Members Column メンバーズコラム

伝えるということ

杉浦美紀彦 (兵庫県健康福祉部)  Vol.244

杉浦美紀彦

 時々メモをします。自分がやろうとしたこと、やるべきこと、やりたいこと。メモを見返したりすると、ほとんどが宿題のままになっていて、いかに自分が怠け者かを思い知らされますね。その多くは、時期を逸していたり、気持ちの盛りをすぎていたりしています。けれども、忘れてはいけないこともあります。
 さて、昨年9月、数十年ぶりに母の故郷に行きました。三重県尾鷲市にある九鬼という人口500数十人の過疎化を象徴するような漁村です。三重県尾鷲市というところなのですが、紀伊半島ですからリアス式海岸の地形により、町はいくつもに分断されています。その一つの「九鬼」という漁村(かつての九鬼村)に母の実家があり、今も母の兄夫婦が住んでいます。人口は500数十人。私が小学校の頃には2000人を超えていたはずですから、過疎化を象徴するような町です。

 私の子供の頃の記憶とそれほど変わっていない、九鬼を訪れた理由は、津波被害の調査への協力のためです。昭和19年12月に発生した昭和東南海地震は、愛知や大阪にも大きな被害をもたらし、紀伊半島を中心に最大約10mの津波が押し寄せましたが、戦中のことで詳しくは報道もされず、記録もあまり残っていません。それでも、その事実から、後世への教訓が得られ、被害軽減に繋げられる可能性はありますから、掘り起こしに努力する研究者がいるわけです。今となっては、当時を知る人も少なくなって、調査も困難なので、私がわずかな伝手となって、九鬼の老人会の方々に話を伺うことになったという次第です。(私の異動前の職場が「人と防災未来センター」で、そこからの人の繋がりによるものですね。なお、私はちゃっかり家族旅行にも仕立て上げました。)
 風化した記憶をたどる調査の成果は芳しいものではなかったのだと思います。80歳の老人といっても、当時は小学校4年生ですから、詳しい様子はわかりません。また、大きな被害を受けた尾鷲市の中心部と違って、九鬼の人的被害は4人ほどで、ほとんどの家屋も被害を受けていないこともありますし、逆にそれ以前の記録となると、潮で流されているのです。今後も調査を継続すべきだという確認ができたことが一番大きな成果なのかもしれえません。
 一方、私としても、その際にたまたま84歳になる叔父から初めて聞いた、予科練を目指した話が印象的でした。敗戦1年前、当時の叔父は特攻隊に憧れる中学校2年生くらいの少年で、清水市にあった海軍航空隊にまで試験を受けに行きます。そこで、たまたま特攻隊の訓練といっても人間魚雷に乗り込む訓練しかしていない現実を知り、失望した彼は、わざと技術試験に落ちるのです。最後の面接を担当した将官は、それに気づいていたように感じたそうですが、何も言わなかったそうです。
 特攻隊といえば。もう一昨年になりますが、事故で78歳の山仲間を失いました。その彼が酔ったときに「知覧よ、さらば」から始まる替え歌を歌うのを数回耳にしていましたが、その唄は土浦の予科練の連中から「必ず後世に伝えてくれよ」と託されたものだそうです。いずれ、その歌詞をきちんと書き留めておこうと思っていたのですが、ついつい後ろ伸ばしに。彼の死の報に際しては、「しまった」という思いも抱きました。最後は「母の顔」と歌って終わりとなります。
 私の大学の恩師の一人は、現在92歳。先日メールで送られてきたメッセージには、若干の従軍体験も綴られていました。敗戦直前、中国大陸に見習い士官として赴任した彼に、旅団長は「生命を大事にして」と言ったそうです。何故、初対面の私だけにというのが、今まで謎だったという言葉に続けて、「今思う。私は元気とはいえ老齢、だとすればとりあえず今のうちに慕ってくれる教え子たちに願いを託しておくことだ。そうだ、私の今の心境こそあのときの彼のそれだったのだ。」とありました。
 先に生きた人々の経験を語る言葉の中に、いろいろ伝えていかなければならないことがあります。それらの先達の言葉に、自分の言葉を足していくことができたら、と思います。田川建三さんの「イエスという男」という本の最初の方に「ある日イエスは決断してナザレの村を出て、あのような活動をはじめた、というのではない」「だいたい、あれだけの活動が、一つ二つの決心やきっかけでできるものではない。」と書かれている部分があります。もちろん、イエスでさえ1度や2度の決心では行動を開始することができなかった、という意味ではありません。むしろ、日頃の活動がすべて決心に結びついていた、という意味の方が近いでしょう。でも、そこを都合よく解釈して、自分も何度でも決心しようと、自分を鼓舞したいと思います。(体の良い言い訳にもなりやすいのですが。)
 というわけで、新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

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