Members Column メンバーズコラム

私とスポーツ

松村裕史 (株式会社マチック・デザイン)  Vol.658

「僕の夢はプロスキーヤー」、小学生の頃に書いた文集のタイトルです。私にとってスポーツは、生きていくために必要なことだと思っています。今まで野球、テニス、スキー、水泳、空手、マラソンと嗜んできました。スポーツを通して感じてきたことを綴りたいと思います。

 

⚫︎運動がしたくて入った野球部

子供の頃から運動することが好きだった小学生時代、少年野球クラブで白球を追いかけていました。守備はライトかレフト、打順は9番、途中交代選手。その時代は今のようにサッカーやラグビーはなく、野球しかなかったので、友達がいるから仕方なく野球クラブに入っていたように思います。2年間プレイしましたが、6年生のある試合でレフトオーバーの三塁打を打ってから、次の試合では打順が2番に繰り上がり嬉しかったのを覚えています。それからは、俺はひょっとして野球が上手かもっと、勘違いし自信を持つようになりました。

 

⚫︎楽しくなったテニス

中学生になり部活はどうしようかと悩みましたが、野球部は眼中になく、小学校のクラブ活動が卓球で、球技が好きでもっと動きまわりたかったので、よりコートが広いテニス部に入りました。未経験でしたが新入部員の中では1番にコートでボールを打たせてもらい、先輩からは「素質がある」と褒められ嬉しかったことを覚えています。玉拾いばかりの同級生に嫉まれることがあったり、先輩との上下関係がうまくいかず、テニスに真剣に向き合うことができず中途半端だったように思います。

しかし他校のライバルが同じ高校になって、仲間として技術を競い合い、時にはライバル、時には団体戦で一緒になって相手チームと戦うなど、充実した楽しいテニスができました。

 

⚫︎憧れだったスキー

その次に夢中になったのが子供の頃の夢にあげた「スキー」でした。小学生では家族で2回、中学生では、ボーイスカウトのスキー合宿に同行し、学生時代は友達とスキーツアーに参加したりと、スキー場へ行く機会を作ってスキーを楽しんでいました。就職後は時間とお金に少し余裕ができ、岐阜県の会社で近くにスキー場があったりと、友達と行く機会が増え、もっと滑りたい、もっと上手くなりたいと、子供の頃のスキーへの想いが再燃しました。週末には1人で車を走らせ2時間かけてスキー場へ足を運び、スキースクールで技を磨きました。

会社に入って2年目の夏、あるスキー雑誌が世界各地のスキー場へ行き現地を滑って紹介する雑誌モデルを募集しているのを知り、スキー場に行きたい滑りたいという思いだけで応募、運よく10人の中に入り、北海道に行けることになりました。私の担当は、恋人と行くニセコ特集。会社へ休暇の相談をしたところ、休むのは無理だと言われたこと、それ以前に仕事を続けようか迷っていたこと、両親に対して心配があったこともあり、会社を辞め雑誌モデルをしてから大阪へ戻ることを決断。その後はデザイン会社とスキー学校でシーズンを分けてバイトをする毎日でした。

バイト先のスキー場は信州で、主に修学旅行生にスキーを教えていました。全くの初心者を4日ほどで滑れるようにするのは大変でしたが、楽しい体験でした。夜はフリーなので、私のように上手くなりたくてスキー学校でバイトしている仲間と一緒にナイターで練習をしていました。スキー学校には2シーズンお世話になり、スキー技術の向上に役立ち、スキー検定にも合格しとても貴重な体験をさせていただきました。そしてスキー場で開催されているレースにも出場、子供の頃からの夢が少し叶ったと思えました。

 

⚫︎10メートルしか泳げなかった水泳

小学生の頃に水泳教室に通いながらも、10メートルしか泳げなかった私が、今は泳ぐのが好きでたまらないというお話です。大阪に戻った私は体力が衰えるのが嫌で、スポーツジムに週に2、3回通うようになりました。マシンで汗を流し、プールでゆっくり泳ぐことが生活のルーティンになっていました。水に恐怖を感じ水泳が嫌いな私でしたが、プールでぷかぷかと浮いてたまに進んでを繰り返していると、不思議なことに水への恐怖心を感じなくなり、水に浸かっているのがなんて気持ちがいいんだと思え、いつしか楽しく泳げるようになったのです。加えてジム仲間も増え、泳ぎ方を教えてくれたりと水泳がどんどん楽しくなって行きました。トレーナーさんには「昔、水泳をやってたんですか」と聞かれるようになるまでに。苦手意識への捉え方を変えるだけでこんなに楽しく思えるんだと実感しました。

 

⚫︎何度もやめようと思った空手

小学校の体育館から聞こえてくる空手の掛け声に、怖いけど練習を見てみたいと思ったことを覚えています。空手を始めたきっかけは、会社の先輩が空手教室の体験に行こうと誘ってくれたことでした。少し興味があったことや、教室なので流石に怪我などしないだろうと思い、興味半分で体験に行きました。いざ体験して見ると、黒帯の方が優しく指導してくださいました。たまたま先生がお休みだったようですが、これなら続けられそうだと感じ、会社の先輩と入門することに決めました。

初めての稽古は先生がいらして指導を受けましたが、圧倒されたのを覚えています。体験時とは一変、先生が醸し出すオーラでしょうか、教室内の空気がビリビリと緊張した雰囲気。腹から力一杯声を出し、型の練習だけで汗びっしょりです。先輩たちが1対1で打撃ありの組手をするのをみて、大変なところへ来たなと少し後悔。フルコンタクトと言って、体に拳やキックを当ててもOKな空手だということは後で知りました。練習が終わると体はあざだらけ。正直、怪我をするのは嫌ですが、上達するのも楽しくて通い続けました。技術を覚えて昇級するのも楽しみでした。昇級試験は型と組手(1分間、黒帯の方とスパーリング)です。組手はこちらが攻撃を仕掛けるやいなや畳に転がされるので、黒帯はこんなにすごいのかと体感。いつか黒帯になれればいいなっと漠然と思いました。

しかし激しいスポーツなので練習中に怪我をしたり、仕事が忙しくなり、3ヶ月、半年、1年も休んだことありました。会社の先輩は行かなくなり、私も何度辞めようかと思いましたが、白、黄、青、緑、茶帯と昇級し、なんとか昇段試験(黒帯)を受けるまでに辿り着きました。試験は、今までに習った5つの型を間違いなく全部通して行い、黒帯10人と組手です。型は覚えればなんとかなると思っていましたが、10人の黒帯の方との組手はすごく不安でした。結果は、組手の数人目で畳にうずくまる程のパンチを入れられ、フラフラになりながら10人を終えることができました。館長から自分の名前が入った黒帯を締めていただいた時はとても感動しました。空手を10年間続けてきたことが報われた瞬間です。その後、昇段試験で肋骨にひびが入っていたことがわかりました。黒帯になる目標が達成されたことや、次の目標を発見したからか、空手はパタリと行かなくなりましたが、私の昇段試験のため稽古に付き合ってくださった、見た目から想像できない強い先輩方とは今も交流があります。

 

⚫︎マラソン

空手の昇段試験を受ける少し前から、ランニングを始めたのですが、きっかけは大阪マラソンに当選したことでした。高校時代、持久走はクラスでも速かったので、全国的に盛り上がっているマラソンにも興味がありました。練習すれば大丈夫だろうと軽く考えていましたが、初めてのマラソンは散々でした。30キロから足が痛く、そこからゴールまでずっと歩いていました。帰宅時はマラソン会場から最寄りの駅まで歩けないほどのダメージがありました。マラソンは向いてない、やめようと思うより、悔しさが込み上げ、すぐに次の大会に向け練習を開始しました。

その結果次のレースは、初マラソン6時間から1時間短縮の5時間で走ることができたのです。その次は4時間、速く走れることがどんどん楽しくなり、走り出して7年になりますが、コロナで休んだ2年間を除き、今も走り続けています。なぜ続けるのかと問われると、やはりそこに目標があり、達成するまで辞めらないという意思があるからです。その目標は4時間を切ること。サブ4と言いますが、フルマラソン人口の1/4の方が達成されています。年々、体力は確実に衰えますが、目標に向け頑張りたいと思っています。

 

色んなスポーツを経験してきましたが、続けてきて良かったと思うことがあります。

 

1つは、やはり健康でしょうか。

今まで健康診断を受けてきて悪いことを指摘されたことがありません。基礎代謝は25歳も若い体を維持しています。

 

2つ目に体力・運動力です。

お年寄りの方とお話しすると病気の会話が多く、どこが悪いどこが痛いと吐露されています。80歳を越えてマラソン完走、水泳大会に出てる方をテレビで見ることがあります。筋肉は何歳になっても鍛えられますし、体も柔らかくなります。無理は禁物ですが気持ちのいい程度で運動を続けていれば、生活は充実し楽しくなるとお伝えしたいです。

 

3つ目はストレス発散効果です。

スポーツでからだを動かすことは、爽快感や満足感などを与えてくれます。激しくする必要はありません。水に浮いているだけでリラックスでき泳ぎも上手くなります。

 

4つ目は交流・仲間です。

一緒に汗を流した仲間。それぞれ目標は違いますが、同じフィールドで汗を流せばすぐに仲良くなれるでしょう。スポーツで知り合いましたが、飲みに行ったり旅行に行ったりと、スポーツ以外に楽しい時間を共有できるのも魅力です。

 

私にとってのスポーツは

 スポーツをする上での最大のギフトは、乗り越える力を得たことではないでしょうか。

生きていると困難な課題や状況にぶつかります。デザインの仕事に当てはめますと、これで完成かと思うことがありますが、いや何か違うな、もっと最高のデザインがあるはずと、プライベートな時間を削って考えることも多くあります。意欲的に乗り越えようとする能力は、仕事をする上でもとても役立っています。

 私は70歳、80歳になっても新たな目標を見つけ乗り越え、生涯スポーツを大いに楽しんで行きたいと思います。

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