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将来の夢

神牧智子 (大阪府)  Vol.241

神牧智子

4月、商工労働部から今度は住宅まちづくり部の仕事に異動した。母に報告をすると、「あんたは小さい頃、お家の広告を見るのんが好きやったからちょうどええのちゃう。」。
仕事の内容は資産活用。使っていない土地を積極的に売り出しましょうというもので、住宅を建てる・住むというところに直接関わらないが、ああ、確かにわたしは広告の間取り図を見るのが好きやったなあと思う。自分の部屋がほしいという夢があり、今は自分の家を持っているのだから、その時の夢は叶った。

まだ叶っていない夢。
小学生の頃の「将来の夢」は、「植物学者か、お百姓さんになりたい」。
丹波の田舎が好きだったし、植物図鑑は一日読んでいて飽きず、新しい種類の農作物を開発して自分で名前をつけたり、いつか自分の植物図鑑づくりをしたいと思っていた。

この頃とても残念に思ったのは、「農家をするなら嫁に行くしかない」ということを大人から言われたことだ。農地は自由に取引ができない。農家に嫁に行くならこの夢は叶うかもしれない、と大人が真顔で言うのだ。まだ小学生で恋も知らないのにいきなり嫁にはなれないと思ったが、この夢は引き続きずっと胸のうちにあった。

この夢に対し、高校の3年間は特に恵まれていて、2反ほどの農園が敷地内にあった。
喜んで園芸同好会に入会、この会員1,2人のほか参加が義務付けられている必修クラブ所属の第三・四希望に「園芸」と書いてしまったアンラッキーな諸氏とともに初めて手に鍬を持ち、丹波出身のA先生のご指導のもと、すべて手作業の有機農業に汗を流した。
大部分は一人ぼっちの水やりと虫との闘い、えんえんとした手作業と重労働、そしてそれを忘れさせるすいか、かぼちゃ、トマト、豆類、山芋など収穫の喜び。

顧問のA先生にも夢はあった。校内に万葉植物園を作ることであり、この実現に向けて一人こつこつと敷地内に場所をみつけては万葉の草花を植えておられた。ところが花実の時期を終えた万葉の草木は、まるで何もなかったようにその佇まいを消してしまう。これはなかなか難しい取り組みだったと今も思う。枯れていると思われたのか、誰かに根こそぎ引き抜かれていたのをよく嘆いておられた。

卒後聞いたのは、A先生が早期退職してケアンズで農業をされているという話と、今は元農園の場所に立派な同窓会館が建ったという話。
ケアンズがどのような気候かはわからないけれど、丹波とはずいぶん違うのだろうと思う。夢の行き着く場所というのは、誰にもわからない。
同窓会館は気鋭の建築家の手によるもので、素晴らしいものだと聞いてはいるが、まだそこに行ったことはない。そこに会館を建てることを夢にみた人たちもいたのだろう。地中にいた大ミミズが心配だったが、今はもうどこかにいってしまったに違いない。

さて、ここからわたしの夢は、脱線に脱線を重ねて迷走する。

当時わたしは、必要があって、進路をいったん社会に出て働くという方向に変更した。
園芸同好会で、「農作業ってけっこう孤独で大変」というのをやってみて、軽い満足感があったのかもしれない。ただ、高校から就職は年に二人程度しかなく「あなたに見せる求人票はありません」と言われて困った。代わりに渡された受験案内のとおり事務職の公務員になり、農家に嫁に行くことはしなかった。

その一方、ベランダ園芸じみたことは続けながら、山野に行けば草花を記録し、落ち着いた頃に自分で描いた図録集をつくれたら、と思っていた。ところが数年前のこと、取り組まねばならないことが幾重にもなり、心を失った結果、気が付けばすっかりベランダを朽ち果てさせてしまっていた。

このときはもう、さすがに自戒・自省した。天から水の恵みを受けられる山野の草木と違い、ベランダに連れてこられた草木は、主が手をかけなくては生き続けることができない。植物が好きだと言葉では言い、それらしく振舞っては来たものの、いったい自分は何なんだ・・・・と。夢朽ち果てたように思えてすっかりへこんでしまった。

そして今。家族が持ち帰った小さな鉢植えがきっかけで、またわたしの身の回りには花と緑が増え始めている。自戒の解けないわたしは、自分の中にある、ある思いを、言葉にすることができずにいながらも、あらためてもの言わぬ植物の魅力に、とらえられている。

大人になると、誰からも尋ねられることがなくなる質問がある。
「将来の夢は何ですか。」

人間をのぞくほかの生き物には多分問われることもない問い。だが、生き抜くために、未来に子孫を残していくために、すべての生命は、その遺伝子の中に「夢」が刻まれているように思う。言葉にならないその「夢」の働きに動かされながら、生命を全うする・・・

わたしにも、きっとそんな「夢」の力があるんだと思う。

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