Members Column メンバーズコラム

人は成長するものではなく、生まれ変わるもの

山内祐二 (株式会社アクルス)  Vol.65

山内祐二

<帰省>
5月の11日から熊本県水俣市に行ってきました。
水俣は私の故郷で48年前にこの地に生まれました。帰省したのは父が亡く
なったためです。享年75歳、6年半の闘病生活の末甲斐なく亡くなりました。
それまで母一人で自宅介護につとめました。母の希望でした。非常に仲の良
い二人で愛し合っていました。ですから発症当時に亡くならず6年半もなが
らいでくれたことは大変良かったことと思っています。そんな二人の背中を
見させてもらって私はありがたく思っています。二人の子供で良かった本当
に思います。 

<離婚と起業>
私は昨年、離婚と同時に追放され起業しました。13年の生活にピリオッド
を打ち新たな人生をスタートさせました。その時は突然の出来事と翻弄しま
したが、暫くして結果的にそうなってしまった起点みたいなものを思い出し
ました。KNSin伊賀に参加させてもらった際に堂野さんも所属する「燃える
人の会」の関幸子さんのお話を聞き「人は成長するものではなく、生まれ変
わるもの」と話されていました。講演後も話を聞き得心行くことばかりで身
体に吸収されました。
結婚と同時に元妻の父の会社を手伝うようになり、自分を抑圧しながら貢
献してきた経緯があり自己表現は少なく曲がっていました。会社を手伝うよ
うになった当初から違和感は強くありました。私の前職がコンサルタントで
あったため中小企業の古い感覚の経営者に多いアレルギーみたいなものと私
自身のキャラクターによるものと思います。結果は残せなかったかもしれま
せんがやるべきことはやりましてので何の未練も悔いもありません。手を抜
かずにやるべきことをやったので現在の私が存在していることを強く感じて
います。また在職中の中小企業の経営と農業経験は今でも、これからも役立
つものとなると思います。
 不況の中、資金ゼロからの開業で1年半存続できていることは私の実力で
はなく「運が良かった」と強く思っています。それも皆さんからの手助けに
よるもので感謝しております。
現在は下請けの仕事で生業をたてさせて頂いてますが、水産・農業をサポ
ートする製品を開発すべく進めております。まだまだ水面下での動きなので
公表できるところはありませんが中小企業で参入できる新たな平地と思い進
めております。

<岩手へ>
 4月28日に東大阪をたち岩手県釜石市を目指しました。
どうしてもボランティアをさせていただきたく小笠原さんを頼りに釜石市
を単独車で移動しました。一関で高速を降り気仙沼に入るとそこからは悲惨
な状況の連続でした。陸前高田、大船渡、釜石、鵜住居、大槌、山田、宮古、
田老、田野畑、久慈、町が無くなっていました。顔がゆがみました。匂いが
頭に残りました。私が被災地に突き動かされるように行くことになった一つ
の理由は阪神大震災の時は滋賀県の会社に勤めていて、すぐ近くなので行き
たいと思ったのですが勤め人ゆえの自由が効かないこともあり二の足を踏ん
でしまい行きませんでした。翌年転職し、担当が神戸になり色んな企業さん
を廻らせてもらいました。その中に長田の植垣米菓さんがありました。有名
な鴬ボウルを製造販売する会社です。植垣社長さんは被災時に長田の消防団
長を務めておられその時のことを手記として残されてました。悲惨な状況、
不安な家族を置いて出て行く消防団員の心境など・・・その手記を近くのカ
ルトンiの高田社長さんが印刷物として起こし配布されました。その話を聞
きやっぱり被災時にお手伝いに行くべきだったと深く思いました。そのこと
もあって突き動かされるように岩手に走ったんだと思います。
 行く前から帰る時は暗い気持ちで帰ることになると思ってましたがやはり
そうでした。被害の大きさに対する人の無力感がそうさせるんでしょうか?
解消されると言うより膨らませて帰路についた思いです。ただ別な思いで心
に残ったのは、主張強い雄大な岩手山、花も山菜も一斉に来る東北の春、流
れ早い水量豊かな最上川、広大肥沃な庄内平野、眺望美くし月山・鳥海山・
朝日岳など自然から与えられる豊かな心を感じました。これまで感じること
がなかった愛国心も!
 帰り着いて時間がたつのになぜか込み上げてくるんです。熱くなるんです。
「ちくしょう」と! 不思議です!

<マクロ経済が>
 KNSのメーリングで「炎上している」と囁かれた時がありましたがご心配
をおかけしました。内側の者はそう熱くはなっておりませんでしたがメール
でのやり取りに限界は感じました。私はそれまでマクロ経済なるものは学問
上のことで縁が無いものとしてましたのでこれを機に目を向け、耳を傾ける
ようになりました。
GDP、証券所取引高、国債発行残高、貿易黒字、社会保証費、消費税、国
債、金融緩和、個人金融資産など文字の理解からの着手です。疑問に思うこ
とも増えてきました、社会福祉費用100兆円、長期の地方債と国債発行残高
が個人金融資産1,400兆円と同額に、東京証券取引所取引額1?3月アジア一
位、東北に自動車関連企業が進出した理由は為替レート107円だと国内生産
が有利と判断、貧困統計をやっていない、生活保護者200万人突破、国の借
金5年で100兆円増、米の大規模金融量的緩和策・日本は何故しないのか、な
ど。
 今読み終えた本が「デフレの正体」藻谷浩介氏著です。読んでみると府に
落ちることが多々ありました。日本はほとんどの国に対し貿易黒字である利
子収入も10兆円程ある、景気が良いと言ってた2005年ごろであるがほとんど
の人がその実感がなかった、地域格差が問題と言われているが大都市の衰退
が現状・特に我が大阪、貿易収支は処方するほどの問題でなく問題は内部需
要の衰退、消費減少がさせたデパート合併、伸び続ける社会福祉費。
デフレの原因は「加齢による労働生産人口の減少と高齢者の増加」。知ら
ないうちに足元をすくわれる事態になっていたことに気付きませんでした。
それじゃ何をしたらいいのか・・・・本をお読みください(^¥^)50万部
突破の本です。沢山の方が読んでおられるということは日本をどうにかしよ
うと思っておられる方が沢山いらっしゃることなので、まだ捨てたもんでは
ない日本だと実感します。

<新たなリーダー発見>
 本から取り出したものをご紹介します。
 *会議は危機管理の最大の敵。決断力がなく責任回避をして臆病な人間ほ
ど会議をやりたがる。
 *危機が国民を鍛える。優れたリダ―というのは国民の意識が転換してか
らでないと出てこない。
リーダーを生み出す土壌である国民自体が変わらなければならない。
 *「お受験エリート」のような似非エリートは社会の一線から退場してい
かざるを得ない。
 *真のエリートやリーダーは赤絨毯を敷いた廊下を手を引いて歩かせなが
ら育てるものではなく、草莽の中から学歴もない、職歴もなく、ただ人を引
っ張る力と魅力と清潔さがあるリーダーが必ず出てくると思う

 多くの方が新たなリーダーの出現に期待を寄せています。私もその一人で
す。何故なんでしょう。自衛隊の方は今回の被災復興にものすごく活躍して
くれました。福島原発では目の色変えて捨て身で作業にあたられています。
 なのに上層部は何をしているんでしょう。原発の現状説明ですら食い違う
東電、原燃、政府。未だ復興財源が決まらない政治現場。被災住民の意を汲
み取れない体制。愛国心ある自衛隊をそむくような国防無策。

 実は強い口調の事を思い書くようになった自分に驚いています。今までは
そうではなかったんです。どちらかと言えば強く発言する人をたしなめてい
た側でした。日本の保守派はサイレントマジョリティと言われ、静かな保守、
物言わぬ保守と言われます。私もそうだったんだと自覚してます。しかし、
これからは違います。社会の一員として発言したいと思います。この震災の
復興に失敗したら日本は終わりだと思っているからです。私は学校の勉強は
できませんでしたが、時々先のことが見える時があります。今がそうなんで
す。
 私からの勝手な提案ですが身近な人にリーダーはいませんか。「あの人な
らやってくれる」と思える人を探すことから始めないといけないと思うんで
す。既存の政治家ではだめでしょう。草の根的にリーダーになり得る人を探
し押し上げて行かないとだめじゃないかと!
 被災された方を集めて意見を聞いて非を認めながら対話ができ、方向を見
いだしてくれるようなリーダーはいないのでしょうか!やっていても聞こえ
てきていないだけなんでしょうか?
 「憧れの国 日本。憧れの民族 日本人」と世界から称賛されたいですね。

<故郷水俣へ>
 水俣から大阪に帰るときにお土産と思い地元に貢献できるように地元のお
菓子「恋路」を買おうと思いました。すると「廃業されてありません」と店
員から返ってきました。外に持って出れる数少ないお菓子なのにと残念に思
いました。同じように湯ノ児湯温泉の老舗・三笠屋旅館が倒産したままで再
建されていません。寂しい限りです。今私に郷土愛も目覚めています。
 私が生まれた昭和38年は水俣病がチッソの有機水銀が原因であると認めた
年です。それまで学問的証明ができていなかったため通産省は認めずチッソ
は長い間廃液を流され続けました。そのため被害が拡大しました。それは何
故、国策と関係していたのです。チッソの五井工場は国の産業を担う工場で、
その工場を支えていたのが水俣工場だったんです。国、企業としては止める
わけにはいかなかったのです。
 補償段階になると色んな情報が飛び交い住民間での対立がでてきました。
グループができました。裁判も長引きました。そのため、離間策と思えるほ
ど一体感がなくなり経済的にも冷え込んだように思います。
 でもここまでは過去の事です。汚染もなくなり自然も豊かです。海の温泉、
山の温泉もあります。国の助けもあり医療機関は充実してます。景勝地には
介護施設も多く他県からの申し入れも多いそうです。もうここでマイナスの
水俣からプラスの水俣に生まれ変わらないといけません。
 知名度は国際的認知です。悪いイメージを払拭しブランディングすること
は難しくないのではと思います。
 腰を据え水俣のために動く時が来ればKNSのみなさんにお力添えして頂か
なければなりません。一人では何もできません。ありがたいことにKNSには色
んな方がいらっしゃいます。心強いです。 

<おわりに>
 長い文章に最後までお付き合いして頂きありがとうございます。柄にもな
く堅いことばかりでした。私に会ってもらうと解るんですがただの酒好きの
はげたおっさんです。酒飲んだらよくしゃべります。ただそれだけの人柄で
す。決してリーダーになりうる器ではありません。お間違えありませんよう
に(^^)最後に軽い流れで聞いてください。来年は「平成」の年号を改め
新たな年号にしてはどうでしょう。気持ちが変わると思います。方向も合致
するんではないでしょうか。すると今から長が?い大晦日ということでやり
残したことをやって、来年からの新たな年のために準備する期間です。私だ
けでしょうね!いい考えと思っているのは(^¥^)

ありがとうございました。

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