Members Column メンバーズコラム
むかし半島だった上町台地
豊岡敬 (日本フッソ工業株式会社) Vol.64
講談社顧問で、坂道研究家である山野勝氏が会長で、タレントのタモリさん
が副会長を務める、「日本坂道学会」は、坂道を愛好・研究する「自称」学
会なのだそうですが、会員は、先の二人以外には居ません。
「日本坂道学会」でも多分研究が進んでいるのだと思いますが、大阪には「天
王寺七坂」というのがあります。北から、真言坂、源聖寺坂、口縄坂、愛染
坂、清水坂、天神坂、逢坂とあり、これに学園坂を加えて「天王寺八坂」と
呼ばれることもあります。天王寺区内の上町台地西側を下っていく坂で、い
ずれも個性的で魅力ある坂道です。またこの付近一帯は、名泉どころとして
知られており、増井、逢坂、玉出、安居、土佐、金竜、亀井の七名泉と呼ば
れ、江戸時代にはこのあたりの水を汲んできて、売り歩く、「水屋」という
商売も盛んだったそうです。そんな訳で、水は豊富で、大阪市内唯一の滝で
あるとされる「玉出の滝」も清水坂の近くにあります。
「天王寺七坂」がある上町台地ですが、縄文時代には西側まで瀬戸内海がき
ており、東側を河内湖に挟まれた、半島状の地形だったそうです。半島の先
端は、現在の大阪城や難波宮跡があるあたりで、大坂発祥の地です。
昔の大阪市は、上町台地以外は水面下にあったということは、かなり低い土
地であると言える訳です。我々が子供の頃は、「雨が降ったら止まる片町線」
と言われて、河内湖の跡、大東市、四条畷市あたりに水が溜まって、電車が
走れなくなっていました。室戸台風の時にも、大阪市の西半分が水に浸かっ
てしまったという話も聞きます。「水の都・大阪」と言われますが、実は潜
在的には「水に弱い都・大阪」でもあったのです。
今回、東日本大震災では、津波による被害が甚大でした。直下型の阪神淡路
大震災のような地震ではなく、海洋下でのプレート型の地震だったので、揺
れによる建物の被害は大したことがなく、その代わりに巨大津波が発生しま
いました。今後30年以内に発生すると言われている、南海地震、東南海地
震も同様に海洋型・津波型の地震なのだそうです。大体、150年周期で発生
しているようで、前回の安政の南海地震では、やはり大阪も津波の被害を受
けたそうです。津波は、現在の御堂筋あたりまで到達して、舟で逃げようと
した人達がことごとく犠牲になり、命を落としたそうです。安政の大震災の
時には、地震発生後、津波が大阪に到達するまでに1時間程の余裕がありま
した。ですから、次回同様の大地震が発生した時には、慌てずに、落ち着い
て、高いところに避難しましょう。そして上町台地以外は、昔みんな水の下
だったということを意識することが防災上大切なのだと思います。