Members Column メンバーズコラム

不易流行、伊賀から。芭蕉よ、今こそ。

塩崎 祥平 (百米映画社)  Vol.691

伊賀に住み始めて8年。

これまでは映画を作ることをベースに、いろんなところに住んできた。でも、ここは、自然とたどり着いた、来るべくして住む定住地。そして何より、好きになった。ここにも想像のお宝がたくさんある。おそらく、何か想定外が起こらない限り、この場所からもう動くことはない。

どんな場所でも物語は存在する。それはどんな地域にも存在する。

その想像をどう楽しむか。そして作っていくか。それがこれまで映画を通してやってきたこと。これから伊賀でどんな物語が生まれるか。ただ、今回の物語は映画や映像に求めるものではない。

何か新しいことを始めると、新しい物語が生まれる。

うちでゲストハウスを始めた。するとすぐにコロナが始まった。しばらく誰もこない。そりゃそうだ。

ゲストハウスは、伊賀上野城下町内にある長屋を修復再生した民泊の宿。民宿ではないので、ご飯は出ない素泊まりの宿です。ただ、キッチンがあるので、自炊はできる。昔の長屋文化をそのままに、そんなデザインは、KNSで知り合った方にお願いした。そのデザイナーは奈良吉野から匠を呼んでくれて丁寧に改修してくれた。匠はなんでもパパッと言ったことをしてくれる。実際、業者に言うととてつもなく時間がかかることが、匠はそのリクエストを1分で解決することもあった。今は家を作るにも、プラモデルかLEGOを組み立てるような取扱説明書ありきの建物ばかり、業者に言っても「それはできないです。」「メーカーの規定外です、専門外です」これしてはあれしては、もう通じない。職人も育たないはずだ。余談はさておき。。。

ロックダウンが終わると、思い他、ゲストハウスが利用され始める。学生たちが卒業旅行がいけないから自分たちで食材を買い、伊賀牛を始めとする伊賀産を堪能したりと、思い出の場所として利用してもらった。まだ飲食店がピリピリムードの中、女子会などにもよく利用された。

そして、コロナが終わるとインバウンドで外国人の観光客が増え始めた。

都会ではない日本の場所を求めて、各国から伊賀に宿泊へとやって来る。聞くと、とにかく観光地しすぎるところが飽きたらしい。もっと庶民的な場所で、ご当地ものを楽しんで、日本の自然と歴史を感じたいらしい。建築関係の人たちも来て、日本の長家スタイルを、そして匠の技術を堪能して帰る海外の人たちも多い。最近は口コミからここに泊まってみたいというだけで、伊賀に何があるのか忍者も知らなかったという前知識ゼロでやって来るお客さんも多い。ゲストハウスしてよかったな〜と思う瞬間である。 

https://www.guesthousedaiji.com/

そんな伊賀市は移住者支援にも手厚い。都会の生活から離れ、どこかに移住を検討する日本人たちが伊賀で物件を見回る際に滞在する宿として、うちのゲストハウスはよく利用される。市がこのゲストハウスを移住プログラム認定の宿とし、うちに宿泊すると市から宿泊費の一部を補助してもらえる。

多くは自然の中で暮らしたい、農業をやりたいという城下町周辺外地域の住まい探しが人気のようで、この城下町内に移住を希望する人は実際はまだ少ない。

そんな城下町、町屋の街並みは老朽化が進み、空き家も目立つ。廃墟を通り過ぎると更地になり、歯抜け状態の町屋風景が目立ち始める。不動産もある程度敷地面積が整うと、そこにハウスメーカーを主体とした住宅地を作る。

今日も江戸時代から続く町屋の1区画が取り壊される。その後は、トレンドのデザインがされたハウスメーカーの住宅がそこに建つ。新しく住む人たちはトレンドハウスを好む。施主さんの意見が第一で商売利益の為に業者側も働く。これまでの歴史の面影がどんどんなくなり、昔そこに誰がいたのか、何が存在したのか。そんなことはどうでもいい。そこに関する意識は皆無だ。ただ、誰もが無関心ということではない。市も景観計画を作成中でそこに集まる人たちで議論もされている。だが、基本、入居者と業者、両者はそれぞれがそれぞれの立場で悪いことをしているわけではない。昔からあるものが消えていく寂しさ、新しい入居者が増えて欲しい希望。その間で街並みの風景に関して誰も何も言えない。

伊賀といえば、忍者という人は多いが、松尾芭蕉も微かに存在しています。松尾芭蕉は伊賀で生まれた人。

松尾芭蕉が残した言葉がある。

「不易流行」

世の中には「変わらないもの」と「常にかわっていくもの」が存在する。その双方を理解し、何を残し、何を作り上げていくのかという思考を積み上げていく先に、本当に守るべきもの、続いていくものがあるということ。

もし、この言葉をこの街の人たちが本当に理解し、意識し動き出すと、今世界で本当に必要なものやイノベーションを実際に生み出すことができるのではないか。伊賀で生まれた松尾芭蕉が呈したものを、町の人たちで実際に形にし、この街がモデルケースとして発信することができれば、これほど説得力があることはない。

今、実際にこの町に残っているもの。それは、僕にとっては幾つもの世代が融合したパラダイスとも言える。江戸時代から昭和の戦前戦後、高度経済成長にかけて作られ、残るものもそう。でも、なんでもかんでも古いもの、町屋の風景がいいと言ってるわけではない。1980年代から2000年代のものも、バブル絶頂から失われた何年と言われる痕跡なども、今となってはそれなりに歴史を感じるものがある。

ただ、個人的にこの町で昔から今もずっと抱いているであろう、ある感情を強く感じる。

それは「都会に憧れる」という意識。これはしょうがないといえばそうだが、そろそろ離れてもいいのではないだろうか。一つ公共のトイレ例を挙げてみる。

一億円のトイレと言われる公共のトイレが数年前、町の中心にできた。松尾芭蕉が詠んだ「さまざまの事思ひ出す 桜かな」という一句をコンセプトに、桜の花びらをデザインにした斬新でおしゃれな?とっても綺麗なトイレ。これができる当初はかなり物議を醸し出し、批判が殺到していたという印象が残っている。

これに反対する第一の理由は、「町の一番ど真ん中に今から税金を使ってしかも一億円のトイレなんて、いるわけないやろ!?」というのが大半です。テレビで流れる税金無駄遣いの報道に慣れた人たちはここぞと流行に合わせて文句をいう。でも、これを作ることに携わった人々は、「今、都会ではおしゃれで多種に活用できるトイレが流行っているんだ!」という意識もあったはずです。実際に、全国でも公共トイレは、様々にユニークデザインを起用し、トイレなのにオシャレ、清潔、行きたくなる、さらにはそのトイレがシンボルのような存在になり、その前でイベントも開催している場所も少なくはない。

この芭蕉トイレの隣にあった空き地スペースには長らくトイレ建設反対の看板が掲げられていた。その文言も結構怒りに任せた内容で、品を感じないものだった。

その隣の空き地でトイレ反対の看板があったところに新たにできたもの。。。それも、やはり都会を意識してできたもの。

でも今となっては、このトイレと新しく隣にできた建物はうまい具合に溶け込んでいるんじゃないか?相思相愛じゃないかと思うくらいです。 

これ以上書くといろんな面で支障をきたすので、ここまでにします。

ここでも都会が悪いと言っているわけではない。

個人のものでも公共のものでも、実はおかしなことに双方が都会の憧れの延長でものを作っていながらお互いいがみ合うという、どこか不思議な、不健康な現状があるということ。それは、この「不易流行」という言葉が潜在意識に存在していないことを象徴するものだと感じる。

空の上で松尾芭蕉は生まれ故郷をどう見ているだろう。

多くは伊賀に住んでいるというと、「え〜!?」と驚かれる。都会から遠いという固定概念だ。ここは、車があれば1時間ちょっとで、いろんなところへ行ける。仕事で大阪へ、名古屋へ、京都へ、拠点でもある奈良へ。運転が全く苦にならない人にとっては大阪にいるより、東海圏まで足が伸ばせる。実際に大阪、奈良に住んでいる頃より、見れるもの体験出来ること、感じるものは多く範囲が広がった感覚。子供がいると余計にその恩恵を感じる。僕にとっては何の不自由も感じない。ただ、お酒を飲むので、大阪からの終電は9時半あたり。それだけがネックだが、サラリーマンでない僕は、毎日通勤することもない。のみとなれば、奈良にでも泊まれるし、大阪にも泊まればいいじゃないか。

実際に撮影の仕事をするときも、伊賀にスタッフを名古屋から大阪から呼べる。普段からあまり接点を持たない名古屋と大阪の映像のスタッフが伊賀で落ち合うということもよくやる。そこで新たなクリエイティブな話がたくさん生まれる。

 僕にとって重要なのは、ここが新しいクリエイティブな場所ということ。コロナで遠隔で仕事ができる環境になり、今まさに、どこにでも住める時代。クリエイティブな人が地域に目を向けないわけがない。都会にいるものが、田舎からの要請でクリエイティブなことをする時代はもう終わりにした方がいい。十分にクリエティブな人材や、まちづくりに長けている人、ビジネスに精通する人は、地域に存在する。コンサルはもういいんじゃない?

繰り返すようですが、多種にわたって人材は地域に十分にいる。

ここ近年言われているSDGS。持続可能な社会。言葉だけが先行して意識はまだまだ遠い。

持続可能な社会とは「不易流行」の意識を持たずしてはあり得ない。伊賀という地で、古いもの歴史あるもの対して持続という考え方は、今となっては逆に諦めがあり、都会への憧れという時代が長く続いたことで、悲観的で持続不可能という意識のがまだ大きい。町家風景の街並みとってもそうだ。建物一つにしても、老朽化で残しておいても危険だ、だから潰してしまうしかないというアイデアしかない。

 地域社会にこそ、本当の社会が抱える課題がある。

 そんな地域だからこそ、想像の世界が必要。想像から創造へ。

 芭蕉が生きた江戸時代は、本当の意味で今人類が目指すSDGSの世界を一旦作りあげていたはず。ここで生誕して、持続可能な社会をみていた松尾芭蕉が、持続可能な社会を求める時代に、「不易流行」の無意識が蔓延しすぎて本来の働かすべき思考が整わない。それこそが、SDGSが進まない最大の要因なのかなと思う。

 そんな中、今僕は、市が事務局を担う「うえのまち風景づくり協議会」という会の会長をしています。やるからには、いろいろ発言もするし、行動も少しづつ起こす。そもそもこの組織は予算がある会ではない。でも、お金がないからと言って何にもできないというわけはない。

なにができるか。

とにかくみんなで歩こうとなった。まずはそこから。

今は月に一回ほどで夜のまち歩きをしています。思いの外、メンバーが増えて毎回15人くらいの人数で夜の城下町を歩く。いろんな業種の方々が集う場所になった。毎回違うメンバーと歩く。

そこにはどんな意味があるかというと、普段見ない町の風景を見るということ。夜ということだけで見えるものも違う景色に見えるし、いろんな発見もある。普段気づかない、足ものにあるもの。そこに最大のヒントが隠れているし、それを感じていくと、本当に町のためになることへの思考、行動意識は高まるはず。

あるものとないもの。ないものは何か。ないのにあるものもある。あるのにないものもある。それを考えること。

 考えていくと、必ず物語ができる。

 いろんな立場の人間がなんのしがらみもなく、ああだこうだ言いながら夜の街歩きをして、そのままKNSでおなじみの飲み会がやってくる。KNSの理念と同様、必ず飲んで騒ぎます。そこで飛び交うどうでもいい話、ひょんな発言から何か生まれることがある。今までできなかったことが、みんなでならできることもあるはず。

 答えを早く知りたい人たちは、結局歩いているだけで何も起こらんじゃないかと、一年経てばそんなことをいい出すだろう。ただ、急いで何かをやるんじゃないと思っている。焦らない、焦らない。その時が来るタイミングは必ずある。歩くのはそもそも時間がかかること。芭蕉も歩いた。

 街をデザインする。なかなかクリエティブなことだ。それを楽しめるかどうか。そこにポイントがあると信じる。センスがあるかないかの話ではない。それを楽しめるかどうか。ちゃんと歴史も鑑みてあるもので楽しめるかどうか。まだまだ先人が残しものがたくさん他の地域より残っている。

 各々が培ってきた様々な分野の技術や知識、知恵を生かし、個人的にも、これまでの地域映画で培ったものを活かしていきたい。もう映画は定年でいいかな。これから一歩ずつ、街をデザインする感覚を共有する。それはそれは楽しみだ。

PAGE TOP