Members Column メンバーズコラム

「日常」に感謝

小笠原徳 (岩手県沿岸広域振興局経営企画部)  Vol.67

小笠原徳

2回目の登場になります。小笠原徳@岩手県庁沿岸広域振興局です。
この度の東日本大震災では、皆様から多くのご支援をいただき、改めて御礼申し上げます。
間もなく、東日本大震災から3ヶ月が経ち、私の勤務する釜石も大分落ち着いてきました。
「復興」に向けた取り組みも各地で始まり、日に日に加速していることを実感しています。

あの地震の時、一橋大学大学院(当時)の関教授や岩手大学地域連携推進センターの佐藤利雄さんをお招きし、セミナーを開催するため、私は釜石市の中心部におりました。

開催直前に大きな揺れに襲われ、会場が壊れたためセミナーを中止。その
後、高台へ非難したところで津波が襲ってきました。
幸い、私は津波を被ることはなく無事でしたが、津波が釜石の街を飲み込
む様子を高台から見ていて、あまりにも「非日常」の光景に実感がわきませ
んでした。

 その時から、「日常」が大きく変りました。しばらくは電気、水道、ガス、
通信手段の無い不便な生活。目に入ってくるのは、変わり果てた街、多くの
自衛隊員・警察官など救援活動をされる方々、震災前はあまり流れなかった
テレビでの地元の映像、スーパーやガソリンスタンドの長蛇の列、行方不明
者や死亡者の数などなど。音も匂いも変りました。

そんな「日常」に慣れたころ、最初に電気と水道が復旧。その後は電話や
ガスが復旧し、店が開き、買い物客の長蛇の列がなくなりと、次第に前の「日
常」に戻ってきました。最近では、会話でも、安否や今後の不安といった内
容から、震災前の内容に戻りつつありますし、被災地の方の笑顔も増えてき
ました。

震災を経験し、今改めて当たり前だと思っていた「日常」がとてもありが
たいことだと感じています。完全な復興にはまだまだ時間がかかり、長期戦
になりますが、皆さんが早く元の「日常」に戻れるよう頑張りますので、ど
うか皆さんも三陸を応援し続けてください!

〔回想〕
□地震発生
3月11日14時40分頃、15時からのセミナーの準備を終え、講師の前一
橋大学大学院 関先生とニュージーランドで起きた地震について談話。その
時、これまでに経験したことのない大きな揺れに襲われる。
ホテルの会場はドアが壊れて倒れ、なお強い揺れが続くので、外に出て収
まるのを待つ。約10分くらいして、「大津波警報、3メートル以上、高台に
避難せよ」の防災放送が流れはじめ、消防車が避難を呼びかけながら走り回
り始めた。関先生、佐藤さんらは一足先に高台へ。私は同僚らと会場片付け
のためホテル前に残る。

□津波襲来
周囲の繁華街では、人々が不安な表情を浮かべながら外に立っていた。我
々もしばらくそこにいたが、今度はサイレンが鳴り始め、消防車も一層激し
く走るので、不安になり、高台にある避難場所に向かった。
高台の登り口に着くとすぐに「津波だ!」と叫ぶ声。少し登って海の方を
見ると、茶色い土煙が横一帯に立ち、これまで聞いたことがない「ガチャガ
チャ」という音とともに車や船がガレキと一緒に陸側へ流れて来るのが目に
飛び込んできた。
それからは、あっという間であった。不気味な色に濁った大量の水が街中
に流れ込み、走っている車を次々と飲み込まれる。会場のホテルは1階がす
っかり水につかっていた。
 その後も津波は何度も押し寄せ、港では大きく上昇した海面を大きなタン
カーが右に左にと漂い、埠頭に建つ巨大な倉庫の上部に衝突するのが見えた。
あまりにも非日常過ぎる出来事に、目の前で起きていることが映画のシーン
のような感じで、信じらなかった。

□避難所
 夕方になり暗くなってきたので、市職員の誘導で高台に隣接する病院へ避
難。院内は停電で暗く、多くの人でごった返していた。空いている病室を見
つけてそこに落ち着き、窓から外の様子を見る。あちこちで火事が発生し、
巻き込まれた車のクラクションが鳴り続けて止まない。車中に逃げ遅れた人
がいるのだろうか。
夜になっても、依然として水が引かず、外に出ることができないので、そ
の日は病院内で過ごすことに。30分くらいして、関先生や佐藤さんらと病
院で再会し、ほっとした。
夜通し続く強い余震と、ラジオが伝える各地の悲惨な状況に動揺し、連絡
がとれない家族の事が心配で、その夜は眠れなかった。早朝、陸前高田市が
壊滅とのニュースに全身が震えた。

□津波の翌朝
 朝、水が引いたので釜石駅まで行けるようになったと聞き、病院を出て、3
キロほど離れた職場に同僚と向かった。前日まで車が走っていた道路はヘド
ロがたまり異臭を放っている、ガレキや壊れた車が山のようにあって、歩く
のがやっとだった。
釜石駅に行く橋を渡っていると、川が逆流し始めた。また津波だ。みるみ
るうちに水位があがり、怖かったが、80センチくらいで止まった。橋から
土手にあがり、線路伝いに駅構内を通って道路に出た。そこから西側は、津
波が襲った街中とは別の「日常」であった。

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