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一冊のマチオモイ帖『毛馬帖』を制作してから

松村裕史 ((株)マチック・デザイン)  Vol.288

松村裕史

大阪市のメビックが主催するマチオモイ帖展に出品を決めた私は、どの町の手帳を作るか悩んでいました。大阪府内で引越を繰り返し、学生時代と就職後は岐阜県にいたので、想いがある町がいくつか存在したからです。悩んだ末、結婚前まで住み、両親のいる都島区毛馬町にすることにしました。題名は『毛馬帖』です。しかし、これがあまり知らない町だったのです。私が岐阜県に在住時に両親が引っ越してきた町で、私が大阪に戻ってから住んだ町。当然、友達も知り合いもいませんでした。毛馬町に住んでからは、就職したデザイン事務所と家を行き交う毎日。買い物は近くのスーパーで、遊びに行くのは梅田やミナミで、この町がどんな町かも知らず過していました。そして結婚後違う町に引っ越しましたが、考えてみれば一番長く住んだ町でした。この町をもっと知ってみようというのが毛馬帖を作る一番の理由だったのかもしれません。

とりあえず締切まで時間もなかったので、毛馬町内をぐるぐると自転車で走り廻りました。想いのある場所を探すもほとんどなく、唯一好きなのは淀川と大川の河川敷ぐらい。風が心地良く、春は川沿いが桜並木になり、とても大好きな場所でした。しかし改めて探してみると、淀川温泉という何十年と続いている銭湯や、重要文化財に指定されている旧毛馬閘門があり、与謝蕪村の故郷だったことも知りました。さらに、姿を消したはずの毛馬胡瓜が世の中に存在するなんて・・・。しかし、あくまで好きな河川敷を取り上げて、他は紹介する程度にまとめ『毛馬帖』を作成することに。完成、出品に至りました。

大阪のマチオモイ帖展が終わると、東京での展示の際、町の想いをプレゼンして欲しいと声がかかりました。プレゼンするほどの想いがあるのかと迷いましたが、いただいたチャンス。プレゼンする事に決めました。プレゼン資料をまとめるうちに、与謝蕪村は故郷にいる間はどんな感じだったんだろう。毛馬胡瓜って、どこで作ってるんだ?そんな疑問がどんどん沸いてきてもう少し詳しく調べる流れになりました。特に与謝蕪村の「春風馬堤曲」という詩は、故郷の毛馬で育った母や河川敷の想い出が描かれとても心を打たれました。そして、毛馬胡瓜の事も詳しく調べていくと、大阪に毛馬胡瓜を扱う会社やお店がある事が分かりました。

まず毛馬胡瓜飴を製造されている会社に電話をかけてみることにしました。「毛馬胡瓜に関心があり、ぜひ飴を拝見したいのですが」許可が出たので早速、会社の工場にお伺いする事に。工場では直売所があり、胡瓜の形をした毛馬胡瓜飴が売られていました。これはプレゼンで面白いネタになると思い、社長に毛馬帖の話をし、プレゼンで飴の話しをする承諾を頂きました。次に毛馬胡瓜の漬物を販売するお店へ伺いました。ちょうど、店長さんがいらっしゃったので、まだ本物を見た事がなかった私は、「毛馬胡瓜はありますか」と訪ねると「夏野菜だから2月の今は漬物しかないわ」と言われてしまいガックリ。毛馬胡瓜は写真でしか見た事がなくて・・・と諦めきれず聞くと、奥の方から、樹脂素材でできた毛馬胡瓜のサンプルを持ってきて頂けました。「これが、毛馬胡瓜や!スーパーで売ってる胡瓜と違って半分白いやろ!」よくみると半分は緑、半分は白っぽい。ふとプレゼンに持って行きたくなり店長さんに、「東京で毛馬胡瓜について話したいんでこのサンプルを貸してもらえませんか?」と聞くと、当然驚き顔。少し考えて「誰とも知らん初めて会った人に貸すんか・・・この胡瓜は本物より高いんやで・・・」と言いながら「しゃ?ない、持って行き!あんたに貸したるわ。信用するから持って帰ってきてや!」飴と胡瓜を手にした私は、感謝の気持ちに包まれていました。

次に連絡したのが「毛馬 胡瓜復活運動推進委員会」。おそるおそる電話すると、元気な女性の方が電話に出られ、毛馬胡瓜の問合せが珍しかったのか「毛馬胡瓜の事は何でも聞いてや?」と、とても喜んでくれました。毛馬胡瓜は、17品目ある「なにわ伝統野菜」の一つで、なにわの伝統野菜研究会という団体もあることを教えてくれました。「そうそう、今度、研究会の集会があるからおいでよ!」とあれよあれよと、後日一緒に参加する事に。集合場所では一台のバスが待機していて研究会の皆さんと合流。バスが発車し能勢の山奥へと向かい、今から「○◎を収穫するわよ!」と言われ、デザイン経験しかない私にはどんな事をするのか全く想像できませんでした。研究会の皆さんは初めての私に優しく丁寧に教えてくださり、気づくと夢中になっている自分に気づきました。その後その日収穫した野菜を料理し、皆でごちそうになりました。そこで、お話させていただいたのが、なんと毛馬胡瓜を復活させた方であり、栽培・生産されている方にもお会いでき、色々なお話を聞けて感動し、すっかり毛馬胡瓜の魅力に取り付かれたのでした。一つのマチオモイ帖「毛馬帖」から与謝蕪村にはじまり、毛馬胡瓜の飴や漬物、収穫体験など、素敵な方々と出会ったお話をプレゼンテーションし、会場も笑いに包まれ大成功に終わりました。

その後毛馬町の様々な場所を紹介する『毛馬帖』から、毛馬胡瓜の物語に寄り添った『続・毛馬帖』を制作。その手帳は研究会の方も喜んでいただき、ゆうちょの全国カレンダー7月にも採用されました。今思えば、仕事に追われ時間がなく『毛馬帖』制作をためらった事もありましたが、たくさんの経験や出会いをいただき、本当に制作して良かったと感じます。制作の機会を与えてくださった皆様には深く感謝しております。私事ではありますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

※毛馬きゅうりとは、江戸時代の大阪が「天下の台所」と言われた時期に
大阪市都島区毛馬町で栽培されていた胡瓜で、西洋の胡瓜に押され約100年前に姿を消した野菜です。その後平成10年に復活し、現在は大阪府南河内郡河南町などで栽培されています。

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