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わたしの仕事は、地域の科学技術振興。

遠藤達弥 (独立行政法人科学技術振興機構 産学官連携ネットワーク部)  Vol.80

遠藤達弥

 よく「仕事はどのようなことをされているのですか?」と聞かれるが、返答に困ってしまう、というより、情けないかな、自分で自分の仕事をうまく説明できない。
 具体的に現在行っている仕事といえば、2年ほど前に地域経済活性化の一環として国の補正予算が付き、そのお金を使って地域の大学や公設試験研究機関に研究設備など研究開発環境を整備して、その後始末が大きなウエイトを占めている。ただ、現在は出向中の身分であってたまたまそのようなことを行っているに過ぎない。すでに1年と8ヶ月が過ぎたし、いつまでいるか、いれるか?もわからない。

 今回、このエッセイを書くにあたり考え、結局、いままでにやってきたことを披露することで、はじめの部分に答えることができるかもしれないという結論に至ったのでしばしおつきあいください。

 就職当時はバブル経済の絶頂期、大学のアルバイトの延長で、たまたま知り合いから紹介された科学技術関連の機関に勤めたのが社会人としてのスタートだった。そこは日本の名だたる製造業が会員になっていて、まずは全体が見渡せるようにと機関誌の編集が最初の仕事であったが、企業での研究開発や大学における研究、また、科学技術や産業技術政策などと触れ、理解する貴重な時期であったと思う。ちなみに当時はまだ活版印刷でそのことも貴重な体験であった。

 その後、シンクタンクでもあったので調査の仕事を行うことになるのだが、現在では普通に使われている産学連携などは当然といったなかでの仕事であったため、その後に推進しようなどといったときには少し違和感を覚えた。この頃当時の科学技術庁(現文部科学省)が現在の地域科学技術振興施策の元となるようなことを始めており、たまたま依頼があって地域科学技術に関連したアンケート調査を行ったのが地域科学技術振興に入り込むきっかけであった。また、NTTとも関係が深かく、ケーブルテレビやパソコン通信などを利用した地域の情報化やネットワークを使った新しいサービス、さらには当時日本でやっとインターネットの商業化がはじまり、それを使った新しい事業やベンチャー企業が生まれてきていたところであったので、そのあたりとも関係を持つようになった。ビットバレーがもてはやされるよりもずっと前で、そのため結局渋谷での集まりには行かずじまいであったが。
 そうこうしているなか、やむない事情でそこを辞めてしばらくは情報系のベンチャー企業(ひとり「ネットベンチャー」と言っていたがまったく普及しなかった)の調査や新しい事業を始めようと画策していたが、たまたまそれまでの調査で関係していた当時の新技術事業団(現在、わたしがいるところになるわけだが)で新しく大型の地域科学技術事業を行うということで結果的には4年ほど働くことになった。そこではその大型プロジェクトの管理や前の年から始まっていたコーディネータのはしりである産学官連携のコー
ディネータ活動を支援する事業の活動の手伝いなどをしていた。
 その後もどうしようかと考えているところに、また、たまたま声がかかり、現在の職場(といっても現在は出向中であるので、元職と言った方がよいのか)で働き始めることになる。そこでは調査からはじまり、イベントの開催や地方自治体の計画策定や大学のプロジェクト作成の手伝いなどまさしく何でも行うことになるのだか、そこも地域科学技術の振興を事業の目的としているところであるので、気がついてみると現在までに20年ぐらい地域の科学技術振興に関係していることになる。

 ここで「地域の科学技術振興」とはどのようなことか。科学技術という手段を使って地域の産業が活性化する、また、豊かな生活をおくる、そのことを後押しすることだと思っている。象徴としての効果はあるだろうけど、産業はべつに自動車や機械、電機電子だとか日本の産業をリードするようなものだけではないし、実際に日本全国すべてが同じようなことなどできるはずがない。仕事柄ほぼすべての都道府県に行ったことになるけれど、なるべく人の集まるところやデパートなどの食品売り場などに行きそこの生活に近づこうとしているが、それぞれの地域にはそれぞれの文化や歴史があり、人や企業、大学などそれぞれ異なった資源をもっているのだから、それを生かさない手はない。無い物ねだりをするのではなく、もしどうしてもそうしたかったら少しずつそれに近づけるための努力をしなければいけないと思う。一方で、大学があれば何でもできる、してくれるといったことは反省すべきである。

 最後に、本文を読んで「たまたま」という言葉を多く感じられたでしょうが、べつに自分の意志がなく流されてきたということではなく、うまくいかなかった結果として「たまたま」そのようになったというように理解してください。ですから、まだまだ挑戦は続きます。
 また、現在は科学技術だけでなく、マラソンなどの地域振興に乗じて、いろいろなところへといくようにしています。大阪と神戸はずれましたが、来月は高知の四万十川、12月は那覇へ出場予定です。

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