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日本に最も近いロシア「サハリン」の魅力

武村智司 (滋賀県 商工観光労働部 中小企業支援課)  Vol.393

武村智司

みなさま こんにちは KNSの世話人のひとり 滋賀県の武村です。
旅シリーズ、第3弾です。
2年ごとにアジアや近隣の国々を巡っており、「ウズベキスタン」、「ミャンマー」に続き、昨年に「サハリン」を訪れましたので、その一部をご紹介します。
サハリン(樺太)は、ロシアの極東地域で、北海道宗谷岬の北方約50kmに位置しており、形は違いますが面積では北海道と同じぐらいの大きさです。北海道とサハリン間は宗谷海峡を挟んで約50キロと、約1時間のフライトで到着できるので、日本から一番近いロシアといえます。
人口は約52万人と、北海道のおよそ1/10で、中心都市であるユジノサハリンスク(旧・豊原)市には、約18万人が住んでいます。

日露戦争後、北緯50度の南半分を日本が統治していた歴史があり、ユジノサハリンスク(旧・豊原)に樺太庁が置かれていました。北緯50度線がロシアとの国境であり、その付近には旧日本軍のトーチカ跡が現存しています。戦後、このトーチカを撤去しようとしたらしいのですが、コンクリートがとても強固で、基礎も深く、撤去費用もままならず、結局そのままになっているそうです。
サハリンには今も日本の建造物が所々に残っています。
サハリン州立美術館は、石造りの外観でとても美しく、おもに西洋美術の展示をしていますが、旧北海道拓殖銀行豊原支店でした。
日本風の瓦屋根を持つサハリン州立郷土史博物館は、旧樺太庁の建物を博物館と利用しており、壁には菊の紋章が現存するなど、当時の名残があります。
王子製紙がいくつもの工場を建設しており、ポロナイスク(旧・敷香)で見かけた日本の製紙工場(日本人絹パルプ株式会社敷香工場)は、今はそのまま放置され、廃墟となっていました。
サハリンを縦断する鉄道は、日本の統治時代に日本から移り住んだ人たちによって敷設され、今も大切な交通手段となっています。線路の幅は当時のままで、ロシア国内の規格よりも狭く、日本と同じ幅のものが使われ続けており、日本から払い下げられた列車やSLが今でも走っています。
サハリンには、北海道サハリン事務所が設置されており、訪問しました。北海道とサハリンの両地域の企業間の貿易や投資の拡大のために、商談会や投資プレゼン テーションの開催などが実施されているとのことでした。
事務所の置かれている建物には、「北海道経済交流支援センター」と「北海道ショールーム」が設置されています。
北海道経済交流支援センターでは、企業等が事務スペースとして使用することができるほか、ロシア側企業等との打合せ、商談場所として無償で共用スペースとして利用することができます。
北海道ショールームでは、北海道産の食品、日用品、服飾品等の展示、ポスター・パンフレット・パネル等による観光地の紹介や、常駐のコンシェルジュによる展示商品についての説明など、対応されていました。
サハリンには、元横綱・大鵬(本名 納谷幸喜)の像が建っています。建立に至った背景は、大鵬の出身地がポロナイスク市(当時・敷香町)だったことから、ポロナイスク市が大鵬の銅像の設置を計画、有志により建立されたとのことでした。
サハリンは、治安も良いとされており、日本統治時代の建造物やヨーロッパを彷彿させるスマートな建造物、雄大な自然をPRに、観光を新たな経済の柱にする狙いがあるようです。また、石油や天然ガス開発への資本投入など、経済協力など日本とのつながりが深くなってきている印象がありました。
サハリンは、歴史的にも日本と関係が深い部分が多く、訪れることでいろいろな思いが湧き上がると思います。サハリンの魅力の全てを、お話することはできませんでしたが、このコラムを読んでいた皆さんも一度サハリンの旅を楽しんでいただいてはいかがしょうか?
世界には、魅力的な国々が数多くあります。そうした国々への訪問、そこでの「気づき」の積み重ねが、これからの私の人生の大切な経験になると思っています。これからもこうした旅を続けていきたいと思いますので、そのお話は、またの機会とさせていただきます。

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