Members Column メンバーズコラム
怪談に学ぶ伝わるデザイン 恐怖と想像力のコミュニケーション設計
淺田依里 (合同会社mano) Vol.807
子どもの頃から、怖い話が好きだった。
好きだった、と言うと少し語弊がある。
怖かった。怖いから、見たくなった。
見たあとに一人でトイレへ行けなくなることまで、なんとなく分かっていたのに、テレビの前から離れられなかった。
初めての怪異に触れたのは『ゲゲゲの鬼太郎』だった。妖怪は怖いのに、どこか生活感があった。目玉おやじはお風呂に入っていたし、ねずみ男はだいたい目先の得に負けていた。妖怪たちは、昔話のなかではなく、自分が暮らしている世界の延長にいた。
TVでは『世にも奇妙な物語』や『あなたの知らない世界』、映画の『リング』やビデオシリーズから始まった『呪怨』も、怖い場面になると薄目で見ていた。薄目で見ても、怖いものは怖い。むしろ見えていない部分を自分で補うので、怖さは増していたような気がする。
なかでも好きだったのは、怪談師や落語家が語る怪談だ。
声の調子、沈黙、わずかな描写だけで、聞き手の頭のなかに見知らぬ廊下や家の引き戸が現れる。全部を見せないからこそ、聞き手は自分の想像力で、いちばん怖いものを想像で創り出してしまう。
「縁起が悪い」と怪談を嫌う人もいる。それも分かる。ただ、怪談は誰かを怖がらせるためだけに生まれたものではないように思う。
怪談は、見えない境界を伝えてきた
人が不思議な出来事や恐ろしい出来事を語り、書き残してきた歴史は長い。平安時代初期に成立した『日本霊異記』には、因果応報や霊験、異変をめぐる説話が収められている。現代の怪談と同じものではないが、人の理解を超える出来事を物語として残そうとする営みは、すでにそこに見える。
江戸時代には、怪談は娯楽として大きく広がった。百話の怪談を語り、話が終わるごとに灯りを消していく百物語。『東海道四谷怪談』、皿屋敷、のちに『牡丹灯籠』として親しまれる物語なども、芝居や講談、読み物を通じて人々のあいだに広まった。
こうした怪談には、川、山、夜道、井戸、辻、屋敷など、印象的な場所が登場する。一方で、語られるのは場所の危険だけではない。約束を破ること、人を欺くこと、禁忌に触れることなど、してはいけない行いや共同体の価値観も、怪談のなかに織り込まれている。
「危ないから近づくな」「それをしてはいけない」と説明する代わりに、「あそこには何かが出る」「そんなことをすれば祟られる」と語る。怪談は、場所や行いに物語を貼りつけ、心のなかに見えない看板を立ててきた。
昔の怪談が伝えていたのは、「その境界を越えるな」という語りでもあったのかもしれない。
デザインやブランディングの仕事をしていると、「伝える」ことの難しさを考える。正しい情報でも、届かなければ存在しないのと似た状態になる。怪談は、理屈で説明する代わりに、情景と感情を通して記憶に残す。だからこそ人は、その場所を通るときや、何かを選ぼうとするとき、少しだけ立ち止まる。
現代怪談「ヒトコワ」は、関係の違和感を語る
一方、現代怪談の代表的な分野であるヒトコワでは、恐怖の対象が変わる。幽霊や妖怪ではなく、家族、同僚、客、知人、あるいは画面の向こうでやり取りする相手が怖さの中心になる。
ヒトコワに登場する人は、最初から怪物の顔をしていない。普通に挨拶をし、普通に会話をし、ときには親切に見える。その「普通」が、ある瞬間から信用できなくなる。何を考えているのか。どこまで生活に入ってくるのか。笑顔がどこまで本物なのか。分からない。
昔の怪談が、場所や行いにまつわる境界を語ったとすれば、ヒトコワは人との関係にある境界を語っている。怖さの舞台は、山奥や辻といった異界との境目から、職場、集合住宅、学校、店、SNSといった日常の内側へ移ってきた。
だからヒトコワの体験談には、「注意喚起のために共有します」という言葉が添えられることがあるのだろう。昔の怪談が「その境界を越えるな」と伝えたなら、ヒトコワは「その違和感を見逃すな」と伝えているように思える。
ニュースになるほどの事件ではない。被害として明確に言い切れないこともある。それでも「あのとき、何かがおかしかった」「距離を取ってよかった」という感覚が残る。ヒトコワは、そうした日常の小さな異変を物語として共有する。
怪談がデザインするもの
怪談は、恐怖そのものを売るための話ではない。見えない不安に輪郭を与え、誰かと共有できる物語にする話なのだと思う。
地域の広報や公共施設の案内、学校での啓発、企業の安全情報なども同じである。「注意してください」だけでは、忙しい日常のなかを通り過ぎてしまうことがある。けれど、具体的な場面や、そこにいる人の小さな感情が見えると、受け手は自分の生活と結びつけて考え始める。
恐怖をあおるのではなく、「ここで少し立ち止まってほしい」という意図を、相手の記憶に残るかたちへ翻訳する。その設計には、怪談が長い時間をかけて磨いてきた語りの知恵がある。
デザインやブランディングも、情報を並べるだけでは終わらない。「自分に関係がある」と感じる入口をつくり、記憶に残る情景を置き、誰かと話したくなる余白を残す。そのために、言葉を選び、見せる順番を考え、ときにはすべてを説明しない。
もちろん、デザインやブランディングは人を怖がらせるためのものではない。けれど、見過ごされがちなことに目を向けさせ、受け手の記憶に残すという点で、怪談から学べることは多い。
そう考えると怪談は、人の想像力と記憶に働きかける、優れたコミュニケーション設計なのかもしれない。
