Members Column メンバーズコラム

変わらないでいるためには、変わり続けなければならない

財前英司 (関西大学梅田キャンパス)  Vol.352

財前英司

みなさま、こんにちは。関西大学梅田キャンパスの財前(ざいぜん)と申します。
私が所属しています関西大学梅田キャンパスは2016年(平成28年)10月に創立130周年記念事業のひとつとして、大阪市北区鶴野町に開設されました。梅田キャンパスの概要説明は今年の3月11日に開催される第56回定例会に譲るとして、今回のコラムではそもそも関西大学(その前身である関西法律学校)が130年前の1886年(明治19年)にどのような背景で創立されたのかを少し振り返ってみたいと思います。

江戸幕府が崩壊し、時代が明治へと変わる世の中においては、近代的な法典の整備が急務とされており、これらを運用する司法官や代言人(弁護士)を育成するための法学教育が時代や社会に求められていました。ところが、当時、関西にはこのような社会課題を解決する学校は存在していませんでした。そこで、大阪控訴院長であった児島惟謙や大阪商業会議所会頭であり、その人望・実力ともに「大阪実業界の木鐸(ぼくたく)」と称される土居通夫らを名誉校員として迎え、彼らの指導や支援を受けた大阪の若き司法官たちにより、西日本で初となる法律学校が大阪市西区京町堀に創立されました。これが関西大学の前身である関西法律学校です。第1回卒業式の卒業生は17名でしたが、その後、京町堀から江戸堀校舎へ移転、大正時代に大学令を受けたことによって拡大し、福島学舎、天六学舎などの設置を経て、現在は吹田市の千里山キャンパスを本部とし、3万人以上の学生、生徒、児童、園児が在籍する総合学園となりました。
さて、どの大学にも各々個別の「建学の精神」というものがあります。建学の精神とは、学校創設時の理念や目的であり、特に私立学校においては、教育や研究活動を行う際の拠り所となるものです。関西法律学校の名誉校員であった児島惟謙は大津事件(※1)の際に国家権力の圧力に屈しないで司法権の独立を護りました。このことは、その後の日本が法治国家であるための重大な転機となったわけですが、権力に屈しない児島惟謙の精神を引き継ぎ、関西大学は「正義を権力より護れ」を建学の精神と定めました。
ここで私にはひとつの疑問が生じました。明治時代に創立し、法律家の養成を目的とした学校における建学の精神は、法学部以外にも12学部を有する総合大学として発展した現在においても有効なのだろうかと。
このことを考えるにあたり、ギリシャ神話の中に「テセウスの船」というお話があります。
 エーゲ海にあるクレタ島のクノッソス宮殿。ここに住む怪物ミノタウロスを退治した英雄テセウスは船に乗り、無事にアテネへと帰還しました。テセウスはその後も次の航海に向けて、この船をメンテナンスし続けました。テセウス亡き後は彼の栄誉を称え、アテネの人々がこの船を引継ぎました。しかし、時代と共に朽ちていくテセウスの船。修繕のために少しずつ新たな木材に置きかえられ、ついには船の全ての木材、部品が新しくなりました。新しい部品で全て置き換わったこの船。確かに元はテセウスが使っていた船なのですが、はたしてこれは「テセウスの船」と言えるのでしょうか。まったく別の新しい船ではないのでしょうか。もし、この船が別の船と言うなら、いつから元の船でなくなったのでしょうか。この問いは「テセウスのパラドックス」とも呼ばれ、多くの哲学者にとって議論の的なとなりました。この問いに対して、私は哲学的な回答をすることはできません。しかし、教育・研究の視点においては、この船は確かに「テセウスの船である」と言えるのだと思うのです。テセウスの船の価値は船を構成する板や帆や船体そのものの物質的な価値ではありません。物質的にいくら変わったとしても「安全に人を運び、無事に航海し続けること」や「船を利用して平和をもたらすこと」がテセウス本人も望んだことであり、アテネの人々が期待していることでもあり、このことが船の本当の価値ではないでしょうか。このことを大学に置き換えた場合、時代と共に移り変わる社会の要請に対応し、高度な教育による社会に役立つ人材の育成、高度な研究による知の創造や継承、それらを提供することが大学の価値となります。よって、大学がその価値を提供し続けるためには、やはり大学そのものが変わり続けるための不断の努力が必要なのではないでしょうか。つまり、変わらないでいるためには、変わり続けなければならないということになります。
俳人・松尾芭蕉が門弟に伝えたとされている
「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」
という言葉があります。この意味は「師や先人がどれほど偉大であったとしても、弟子やその後の人々が形式的な真似をするのではなく、師や先人が何を求めていたのかを考え、その理想としていたところを追い求めなさい」と解釈しています。130年の伝統への自信と責任を持ちつつも、それに甘んじることなく、創立者たちの「求めたるところ」つまり「建学の精神」の意味を現代的に解釈し、不断の努力をし続けることが価値を生み、社会からも必要とされる存在となるためには欠かせないことなのでしょう。
以上のことから、建学の精神はいつの時代においても有効なのかという問いについては、こう答えたいと思います。
いくら時代が変わっても、その大学が存在し続ける限りにおいて、建学の精神はいつまでも変わらず有効なのだと。

※1 大津事件とは帝政ロシア最後の皇帝となったニコライ2世が、皇太子時代に訪日した際、滋賀県大津市で警備中の巡査に切りつけられた事件。近代化が緒についたばかりの日本政府は強国ロシアとの関係悪化を恐れて、巡査への死刑判決を強要した。しかし、児島惟謙はそれを退け、普通謀殺未遂罪で無期徒刑とした。

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