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ウラジオストックを訪ねて

安田耕三 (NPO法人メディカルルーツ)  Vol.385

安田耕三

50年近く前の記憶が蘇った。当時「何でも見てやろう」の小田実の紀行文を読んでそれでは私もと、大学がロックアウトされて大学には行けなくなったのを幸いに、大学の友人とリックを背負っての貧乏旅行、旅の初めは当時共産主義の本山、ソ連。横浜からトルクメニア号(5000トンぐらい)に乗ってナホトカへ、そこからシベリア鉄道でハバロフスクへ、飛行機に乗り換えてモスクワへ、モスクワから列車でフィンランドに抜けてヨーロッパへ。
今回ピースボートの船旅で訪れたハバロフスクは、昔からの東洋艦隊の司令部が置かれている軍港、ようやくソ連が崩壊してロシアになってしばらくして一般の外国人も訪れることができる場所になった。ハバロフスクはナホトカからは200キロぐらい西に位置し、中国や北朝鮮が近い、天然の入江に恵まれた不凍港、ソ連にとっては重要な軍港であった。今でも東洋艦隊の司令部が置かれていて、港には多くのミサイル巡洋艦などの軍艦や潜水艦が停泊している。

 当時のソ連とロシアになってからの状況がどのようになっているのかを知りたくて、ハバロフスクが停泊港になっていたピースボートに乗った。当時のソ連ではインツーリスト経由での旅行、常に監視の人員が配置されていて、行動に違反がないかどうかのチェックが行われていて、とても息苦しい雰囲気の旅行であった。今回ハバロフスクを訪ねてその様子は一変、監視の目はないし、ミサイル巡洋艦等のどこを写真に収めても問題なし、なんと変わった事かと思えて驚きだった。開かれたロシアを体験した。ただ今でもウラジオストックの市街地の外へは、外国人は立ち入り禁止だとかの注意事項はあるが。
街は東洋のヨーロッパのイメージが高く、素敵な街並みが続いている。ニコライ2世(明治時代、日本訪問時に大津事件と言われる事件が起こり、暴漢に襲われて負傷、ロシアに帰国)がハバロフスクに着いた時に、そこからモスクワまで馬車で向かうことになるが、その時シベリア鉄道を建設すると宣言、15年の歳月をかけてモスクワまでの鉄道が敷設されたことを知った。従ってシベリア鉄道の始発駅は、ハバロフスク駅。
昔は日本人もたくさん住んでいてにぎわっていたとか。主にクリーニングを生業にしていた人とか貿易商が多かったとか、現地の案内人の方から話を伺った。昼食のレストランで食べたボルシチやピロシキは、とても美味しかった。ガイドの方はウクライナ育ちの方で、ボルシチはロシアの料理ではなくてウクライナ料理だと強調していた。祖国愛の表れか。ロシアでは食材が豊富ではなくて昔から料理はろくなものがないとか、ぼろくそに話していたが、どこまでが本当かは不明。
多くの日本兵が先の太平洋戦争ではシベリアに抑留された。負の歴史が今も消えずに残っているが、戦争は良い事は何もない。ただただ国民が苦しむだけだけ。たとえ負の遺産を持っていたとしても、仲良しで未来に向かって進んでいく事が大切な事だと歴史の重みを感じながら、ハバロフスクを離れた。たった一日の滞在だったが記憶に残る旅となった。

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