Members Column メンバーズコラム
【九州ちくご元気計画】その後。
田代千峰美 (福岡県八女県土整備事務所) Vol.324
ご無沙汰しております。KNSのみなさまのお仲間に入れていただいてから、かれこれ10年近くなってきています。きっかけは、「九州ちくご元気計画」というプロジェクトをがむしゃらに突き進んでいた頃、確かマチオモイ帖のご縁で堂野さんと出会ったことでしょうか。確かというのは、出会った時のことはあまり覚えていなく、覚えていないというのは初対面の緊張感がなく、元来の知り合いだったような気がしていたせいでしょうか。でも、その時の堂野さんの言葉は今でも覚えています。「ヘンタイはヘンタイを呼ぶ。ヘンタイはヘンタイと出会う。」でしたっけ。その時は、私はヘンタイではないと強く思ったのですが、今は、なんとなく認めている気がしています。そんな出会いでした。
その後、ちくごとKNSは濃密な関係を築かせていただき、出会いのきっかけとなった「九州ちくご元気計画」のプロジェクトは2015年に収束し、今では、あの激動の日々はなんだったんだろうと思うような穏やかな日々を過ごしています。でも、この穏やかな日々になるまでには、このプロジェクトを最後まで見届けることなく部署を異動してしまい、しばらくは挫折感を含めたいろんな思いを引きづっていたことが思い出されます。
だから今回、堂野さんからコラムのお話をいただいた時に、自分のためにも、プロジェクトが終わった今だからこそ、自分なりにやってきたことを整理できる機会だと思い、コラムを引き受けることを決めました。だから、これから書くことは、自分自身への叱咤や激励、どうにも動かしがたい社会や組織に対する愚痴や独り言くらいな程度で読んでいただければと思います。
厚生労働省の雇用創出事業である「九州ちくご元気計画」がスタートしたのは、2009年8月。この事業は、地域に雇用を生み出すための事業であり、地域性を活かすために、厚生労働省が全国のそれぞれの地域に事業を委託しているものである。ちくごでの事業のスタートは、誰もがうまくいくとは思っていなかった。「どうせ、役所のすること。」補助金をばらまいて終わり、もしくは、役所の都合で振り回される事業くらいの意識だったか。
このプロジェクトを立ち上げる際、重要視していたのは「自立」、いわゆる「持続可能」ということ。役所が手を放しても、地元が必要だと思い自ら動き出す事業。だから、役所は自主性を生み出すためになるべく口を出さない。お金も出さない。黒子に徹する。と決めていた。そのことを私の中でプロジェクトの柱とし、持続可能となるための「儲け」をどう生み出すかということを主眼に置いてプロジェクトを進めていった。そこでは「参加者がその気になる。」ための仕掛けを多方面からアプローチした。参加者自体も個性的だった。得体のしれないプロジェクトに参加しようとする度胸、これが面白いプロジェクトだという事をかぎ分ける嗅覚をもっている人が多数応募してきた。いい意味、社会のアウトロー的な人が多く、常識を常識ととらえない感性を持っている人たちだった。だからか、結果は早くついてきた。参加者は主体を持ち、次々に地域のために貢献できる自分の自信と商品を生み出した。2011年にはグッドデザイン賞特別賞を受賞し、「九州ちくご元気計画」の名前は、結構な人たちに知られるようになった。当時の参加人数は、3000人程度。その中で、今もなお、自力で継続している人は1-2割程度か。公共事業にしては多いほうだと思う。それよりなにより、すごいのは、当時の参加者に会っても胸を張って「きっかけは元気計画」、「覚悟したのは自分。」と言われること。今では、全国で活躍を続けている人も多く生まれた。プロジェクトが目指した「持続可能」は、成果が出たと言っていいだろう。
でも、一方で私が目指した「持続可能」は、組織としての継続性。やりたいことを参加者に決めさせる元気計画のやり方は、たぶん、役所やるには突飛だったと思う。私はプロジェクトをやっている間、口を出さないことがどれだけ難しいか痛感した。「主役は住民」と簡単に言うが、これまでの役所の仕組みから考えると、ましてや税金を使っていることを考えると「平等」という考え方は外すことはできない。だから「平等という名のもと」努力していない人までをも対象としなければならず、がんばって主役になれそうな人の足を引っ張ってしまうケースは多いように思う。だから「正当なえこひいき」の理由を役所が説明できるかどうかがうまくいくかの分かれ目だと思っている。機会は平等に与えられるべきであると思うが、結果は平等になるはずがない。でも世の中は、結果の平等を求める風潮が根強い、がそれは無理だ。役所は、きっかけを与えるまでしかできないのだ。だからこそ、多様な機会の与え方、その後の頑張る人への後押しを役所は黒子に徹して行わなければならないと思う。元気計画の成功はこの考え方が根底にあったからこそのこと。私はこのような考え方を組織に定着させたいと思っていた。元気計画参加者の成功を見本として、この仕組み・やり方こそ地域に求められているのだと提示していたつもりだった。そして、プロジェクトの第1期が終わり、第2期が始まったと同時に私は、事業リーダーを交代した。仕組みができていれば、うまくいく。私はそう思っていた。しかし、現実はそう甘くはなかった。注目が集まるにつれ地域性を活かすはずの事業は自由度が狭まり、進め方は国が示した形式となっていった。そして2015年に第2期も収束。継続して支援する組織ができないまま、実施主体である協議会は解散。参加者はそれぞれの力で進んでいくこととなった。
私の理想とした「持続」はできなかった。役所が中心となってしまったことも大きな原因だと思う。ずっと、この事業に携わる努力をすればよかったのかもしれない。その覚悟はできなかった。役人でいる限り一つの部署にとどまることは難しいと諦めていた。うまくバトンを渡せなかったこともあり、私の中ではふがいなさが残るプロジェクトとなってしまっていた。
でも、今は思う。この形で収束したのも正解だったのかもしれないと。一緒にもがいてくれたスタッフは、元気計画で身につけたものをしっかりと地域に還元している。その「元気計画」の種は、いろんなところで今も花を咲かせ、実をつけ、種を作っている。これからも、元気計画に関わった多くの人たちは、もっともっと地域を育ててくれるだろう。「元気計画」は終わってはいないのだ。
あらためて思う。私も負けてはいらんない。次のわくわくの種は、今のフィールドでも見つかりつつある。
最後になりますが、今もがんばって花を咲かせているちくごの人たちをご紹介します。一度、この人たちに会いに「九州ちくご」に足を運んでいただければうれしいです。
【参加者】
夜明茶屋 http://www.mutugorou.co.jp/
筒井花火製造所 http://tsutsuitokimasa.jp/
杏里ファーム http://www.anrifarm.com/
黒木ビスポークルーム http://www.geocities.jp/kuroki_co/
江の浦海苔本舗 http://enouranori.com/about/
山の神工房 http://yamanokamikobo.com/guest-house/
黒木たかっぽ http://kankou.chikugolife.jp/search/shop/detail.html?id=157
うきは百姓組 http://ukiha100.exblog.jp/
ほしのほしやさい http://cictic.jp/hoshinohoshiyasai/
旧大内邸 http://o-uchitei.net/
ほか
【スタッフ】
うなぎの寝床 http://unagino-nedoko.net/
Have some fun http://havesomefun.jp/