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ベトナムの軽井沢、ダラット

斎藤治 (白鷹堂)  Vol.461

斎藤治

 大型連休が終わった5月8日から13日まで、ベトナムを訪れた。昨年9月にホーチミンに行っているが、今回の目的は「ベトナムの軽井沢」と称される中部高原にあるダラットの観光だった。
 この時期、ベトナムは雨季に入り、1年でも最も暑い季節を迎えている。しかし、標高1500mのダラットは過ごしやすいと聞いていた。フランス植民地時代から、避暑地として知られている。人口は約20万人で大学もある。
 ベトナムのLCC、ベトジェットで9時20分に関西国際空港を出発した。大型連休明け直後だからか、搭乗客は少なく機内はガラガラだった。5時間のフライトでハノイに到着し、国際空港から国内空港にバスで移動した。ここまでは良かったのだが、問題はそれからだった。悪天候のためか、機体の整備不良か、ダラット行きの便は、出発時間が遅れに遅れた。2時間半以上遅れて出発し、2時間のフライトでダラットに到着した。空港から予約していた車で約40分、日本のODAで建設した自動車専用道路を走ってホテルに到着したのは10時を回っており、ホテルのルームサービスで軽く夜食とワインを飲んで、すぐに寝た。

 翌朝、ホテルの近くを散策したが、7時前には中学校だろうか、生徒がもう一杯だ。校門で登校をチェックしている生徒たちがいるから、始業時間は早いのだろう。到着した日は夜も遅かったため、市の中心部にはオートバイは少なかったが、朝の通勤、通学時間はバイクが走り回り、道路横断が難しいほどだ。ホテル近くの飲食店で朝食をとる学生や勤め人も多かった。避暑地とはいえ、朝からクラクションやバイクの喧騒は、ベトナムらしいエネルギッシュな光景だった。
 宿泊したホテルのエレベーターは、金網の内側にもう一つ扉があり、開閉は手動式のクラッシックなスタイルで、パリのアパルトマンの風情。ホテルの近くには、ダラットでも最高級のダラット・パレス・ホテルがあった。丘の上に建てられ、眼下のスアンフーン湖を眺めながら朝食が取れる。ホテルの入り口からホテルのエンタランスまではきつい坂道で、自動車か馬車で移動することを想定している。ロビーには各国の元首ら要人の写真が飾られていた。
 ダラット観光の足はタクシーだ。メータータクシーで4時間乗車しても日本円にすると2000円程度と安い。ある程度英語が通じる運転手をホテルで呼んでもらった。初日はリンフォック寺という仏教寺院に出かけ、タクシーをダラット駅に回してディーゼルの電車に乗ってみた。昔はダラットから沿岸部のニャチャンまで走っていたというが、今はゆっくり軒先をゆっくり走ること20分ほどの鉄道の旅だ。車窓からは、丘を埋め尽くすビニールハウスの多さに驚いた。ダラットは1年を通じて気温が低いために、レタスなど高原野菜の栽培に適しているのだ。色鮮やかな花卉の栽培、イチゴなどの果物もベトナム各地に販売している。フランス植民地時代の影響からか、ブドウ栽培も行なっており、地元のワイナリーもある。ダラットワインは高いものでもボトルで1000円しない。安いものだと300円ほどだ。しっかりとしており、なかなかいける。ただし、レストランで置いている店は少なかった。フランスワインやオーストラリアワインに比べて、値段が安すぎ、店の儲けが少ないためではではないかと思った。
 到着したダラット駅はフランス時代の1933年に建てられ、昔使っていた蒸気機関車がホームに停まっていた。鉄道ファンにはたまらないだろう。さらに、郊外のダタンラ滝に出かけたが、午後になると雨が降り出してしまった。滝に降りていくのにローラーコースターに乗ったのだが、かなりのスピードで森の中を急カーブで走るので、生きた心地がしなかった。滝は雨で水量を増して迫力十分だった。滝から出発地点までは、ゆっくりとローラーコースターで戻った。ベトナムの生活で欠かせないものは雨合羽やポンチョ。すっぽり頭から被ればリュックは濡れない。相当のスコールでもしのげる。日本から持参して大変役に立った。
 2日目は天候が崩れる前にと、タクシーで郊外のランビエン山まで出かけた。標高は2163mあり、この地方の観光名所だ。山の麓の入山口でタクシーから観光ジープに乗り換える。結構な急勾配で登っていくから、ジープが必要なのだ。山頂付近までジープで行ける。40分ほど山頂を散策したが、天気が良くて下界が一望出来た。しかし、それも20分ほどだった。怪しい雲が近づいてきて、ぱらりと雨が落ちたかと思うまもなく、バケツでぶちまけたような激しい雨になった。幸い雲行きを眺めながらジープの停車していた場所の近くまで戻っていたため、ほとんど濡れることはなかったが、戻ってきた他の客は全身ずぶ濡れだった。激しい雨の中を走り山麓まで戻ると、雨は上がっていた。山の天候は変わりやすいのを身に染みて感じた。ダラットの街に戻る途中で、タクシーの運転手が「有名な店があるから寄ろう」と持ちかけてきた。
 村の道を走って着いたのは、コーヒー店だった。店頭で自家製のコーヒーを焙煎して売っている。店の下でコヒーが飲めるというので、農家の中を横切って庭に降りていくとコーヒーの木に囲まれて屋根だけついたあずま屋があった。この地方の特産の一つがコーヒー豆で、ホーチミンなどのカフェのコーヒーはダラットのものが多いという。緑の中でコーヒー豆が実った木の下で、挽きたてのコヒーを頂くというのは、何という贅沢な時間だろう。
 ダラットは本当に見所の多い地域だ。ベトナム最後の皇帝、バオ=ダイの宮殿、別荘が残されている。宮殿は広大な広さで、バオ=ダイが自ら作らせたミニゴルフコースもある。邸内の移動は馬車や自動車だった。バオ=ダイは幼いころから宗主国のフランスに留学し、即位後もフランスで暮らした。皇帝といっても政治的な力はなく、お飾りの皇帝であったため、ダラットで暮らしながら、宮殿の建設などに情熱を傾けた。第2次大戦後、皇帝を退位し、最後はフランスで亡くなっている。宮殿を見学しているとバオ=ダイの悲しみが何となく感じられる。
 観光というのとは違うが、ダラットで訪れたかった場所があった。それはベトナムで稼働している唯一の原子力発電所だ。街の中心部から車で10分ほどの高台にある。元々はアメリカが研究用原子炉として提供したものだが、ベトナム戦争終結でアメリカは燃料棒を全て持ち帰り、原発は一度停止した。その後、ソ連の援助により1984年に再臨界した。1週間前に青森県の東通原発の横を走ってその警戒の物々しさを見た目からすると、これほど都市の近くに原発があることに違和感があった。写真を撮ってもいいかと守衛に尋ねたが、当然ながら駄目という返事だったが。
 短い滞在だったが、実際に街を歩いてみると気がつくことが多かった。最後に行ったホーチミンの発展ぶりは、経済成長の勢いを感じさせた。外食など消費生活の質も向上しているし、センスの良い店が増えた感じだ。日本より進んでいるのは、wi-fi環境が整備されていることだけではない。配車アプリGrabのサービスが普及している。どこでも空いている車やバイクが呼び出せば、2、3分でどこでも到着する。要は白タクなのだが、サービスもいいし、車も綺麗だ。東南アジアどこでも普及しているが、日本ではまだまだ難しそうだ。

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