Members Column メンバーズコラム
新潟県三条市の金物卸売業
大澤勝文 (釧路公立大学) Vol.326
釧路公立大学の大澤勝文です。大学では地理学・地誌学などの講義を担当しています。
メンバーズコラムは2回目の執筆になります。
今回は、私が研究対象としています新潟県三条市の地場産業について、金物卸売業に焦点をあてて紹介していきたいと思います。
新潟県三条市は人口10万人ほどの地方都市ですが、ご存知の通り、隣接する燕市とともに金物関係の地場産業が発達しています。三条市での主要製品・取扱品は、刃物、大工道具、作業工具、鍛造品などがあげられ、全国の各家庭には三条の品が必ずあるといっても過言ではないほどです。
三条は「商人のまち」とも言われ(ちなみに燕は「職人のまち」)、卸売業者が地場産業の発展に大きな役割を果たしてきました。卸売業は全国的に厳しい状況にありますし、三条でもその傾向は顕著ですが、一部有力金物卸売業者は越後平野の水田地帯のなかに巨大な倉庫・物流施設を次々に建設し、健在ぶりを示しています。
三条金物のルーツは、江戸時代初期における、水害救済のための和釘生産とされています。そして、三条が信濃川を中心とする水運の要衝であったことから、金物類は問屋の行商によって域外へ販売されていきました。江戸時代後期には関東にも販路を持っていたそうです。以後、昭和の高度経済成長期まで、三条の中小金物卸は東日本全域の金物小売店にきめ細かな販売を行い、高い評価を得ていました。彼ら卸売業者の活躍によって、三条は全国的な知名度を持つ金物産地となったのです。
しかしながら、金物流通は1970年代頃を境に大きく変貌しました。上記の「金物小売店」は商店街などの金物屋さんを指しますが、70~80年代にかけて市場の中心は郊外幹線道路沿いのホームセンターへと移行しました。急成長するホームセンターへの販路を卸売業者が獲得するには、品揃えの拡大、低価格での納入、納品率の向上など新たな対応を求められます。多くの中小金物卸では市場変化への対応は難しく、事業の縮小を余儀なくされました。一方で三条の一部金物卸売業者は、三条製品だけでなく他産地製品も取り扱う集散地問屋としての機能を強化することでホームセンターへの販路を獲得し、大きな成長を遂げていきます。折しも70~80年代は北米向け輸出が減少して地元作業工具メーカーなどが苦境にあえいでいた時期と重なり、こうした金物卸売業者による内需ホームセンター市場の獲得は、産地の存続に重要な役割を果たしました。
90~2000年代に入って、ホームセンター業界は成熟・競争の時代を迎え、三条産地も新たな対応を迫られます。大手ホームセンターは中小のホームセンターを吸収・統合し、業界の「寡占化」が進行しました。これによって三条の金物卸が取引できるホームセンターの数も少なくなり、より有力な金物卸売業者に取引が集中する事態となってきました。こうした有力金物卸は、大手ホームセンターの「寡占化」に対応したさらなる低価格・大量供給体制を実現するために、中国をはじめとするアジア諸国からの仕入れに着手しました。現在、有力金物卸は、香港などのバイヤーから低価格の中国製品を大量に仕入れています。中国からの輸入は、新潟港への船便が利用されており(図参照)、上海から3~5日程(週4便)、大連から4~6日程(週4便)で新潟港に積み荷が到着します。中国からの便のほとんどに三条の有力金物卸の積み荷があり、新潟港でほぼ毎日荷受けがあるそうです。そして有力金物卸は、地元三条に輸入品を在庫しておく巨大な倉庫を建設しています。延床面積1万坪をこえる施設もいくつかみられ、これら倉庫群は金物卸の物流施設としては全国最大規模のものとなっています。
さて、こうした有力金物卸からみて三条の地元メーカーはどのように位置づけられているのでしょうか。有力金物卸が中国からの仕入れを押しすすめているなかで、数量ベースでは地元製品の取り扱いはわずかです。一方で金額ベースでみたときには、地元メーカーからの仕入れが主であるとのことです。中国からの輸入品は低価格かつ定番品として位置づけられていますが、安全性や季節性も重視される金物類において、品質や納期の面では地元メーカーの信頼度がまだまだ高いというのが実情のようです。「数のあがらないもの」(特殊なサイズ品など)についても、地元メーカーへの発注が重視されています。「数のあがらないもの」を地元メーカーとの協力のもとでホームセンターに安定的に供給することも、有力金物卸が大手ホームセンターとの取引を維持していく上で不可欠な要素の一つとなっています。さらに「数のあがらないもの」はネット通販などにおいては意外な注目商品になることがあり、他の金物卸では重要な取扱品となっているケースもあります。以上のように、有力金物卸売業者を軸にしてみると、中国からの輸入取扱量の飛躍的な増加、その一方で金額ベース、特殊品などでの地元メーカーとの関係重視がみられ、今日の三条産地はアジアスケールでの「一大金物流通拠点」の様相を呈しています。