Members Column メンバーズコラム
そして、被災地へ・・・
及川隆 (盛岡市商工観光部企業立地雇用課) Vol.157
東日本大震災から2年が経過しました。
2年間という時間を過ごしてきて、あれからずいぶん経ったなぁという気持ちと、
あっという間だったという気持ちが半々というのが実感です。
2011年8月の産学官民コミュニティ全国大会でも報告しましたように、
同じ岩手県でも津波被害を被った沿岸部と内陸部の盛岡市とでは被害状況に大きな違いがあり、
その状況は今もなお変わっておらず、むしろ時間の経過とともに
その違いはさらに拡大していると感じています。
私の住む盛岡市では、震災などなかったかのように普通の生活が送られていますが、
沿岸被災地では、がれきを撤去しただけの更地や被災した建物が今も多く残り、
震災が日常の中に今もあります。
被災された人々の意識も、時間の経過とともに変化を見せています。
内陸部に避難した人の約3割が「そのまま内陸に住み続けたい」というアンケート結果もあります。
復興が進んでも、そこに人が住み続けなければ、それは誰のための、何のための復興なのでしょう。
復興が進めば、果たして人々は戻ってくるのでしょうか。
沿岸部の過疎化や高齢化、人口流出といった震災前からの課題は、
震災後においても解決しておらず、むしろ顕在化・深刻化しています。
復興の過程においても人々が住み続けられること、
これが復興を進める上で一番重要なポイントなのではないかと思います。
人々が住み続けられること・・・そのためには何が一番必要なのか?
それはその土地での「なりわいの再生」ではないかと思います。
「働く」こと、それこそが生きる糧であり、生きる希望であり、
人間らしく生きていくための誇りではないかと思います。
被災地では、がれき撤去や仮設住宅の整備といった当面の復旧作業から、
インフラ・都市基盤の再整備、災害公営住宅の整備といった公共工事、
企業においては国のグループ補助金の活用等による再建が進み、
経済活動は急激に回復してきています。
これに伴い、震災直後には0.4倍以下まで落ち込んだ有効求人倍率は、
1倍を大きく越える過去最高の水準にまで急激に回復しました。
しかし、仕事があって、働き手が必要な被災地に、肝心の人が戻っていません。
これには、住宅、教育、医療、福祉といった人々の生活における
様々な事情が複合的に関連していることは勿論ですが、
一番は、やはり人々が求めている「仕事」と、被災地で必要としている「働き手」とが
合致していないという点にあるのではないでしょうか。
復興の進捗に伴い、必要とされる「働き手」は各段階において変化しますが、
一方で個々人が求める「仕事」は時間が経過しても大きく変わりません。
これを組み合わせることは非常に難しい。
だけど誰かがやらなければならない。
すべては解決できなくても、その何割かの人々がそこで働き、住み続け、
あるいは戻って来れるようにすること。
そこには今までの方法論にとらわれない、新しいアイディア、新しい手法、
そして人々の心を動かし、行動を促す「誘因」が必要とされるのではないか。
それこそが被災地における「雇用イノベーション」ではないかと思うのです。
私は、4月から、沿岸被災地の大槌町に1年間派遣されます。
大槌町では雇用創出などの事務を担当することになっています。
大槌町は、釜石市の北側に位置し、震災前の人口約1万6000人のうち
1割近くが死亡または行方不明、6割の家屋が被災し6000人以上が避難するなど
甚大な被害を受けた町です。
事業所数も震災前の約3割に減り、被災事業所の約4割が未だ廃業したままです。
役場自体も津波の直撃を受け、町長を含め職員の約3分の1(40名)が犠牲となりました。
(写真は、保存か解体かで意見が分かれている旧大槌町役場。25.3.20撮影)
現在は全国から70名近くの自治体職員が派遣されているとのこと。
今年の正月には、宝塚市の派遣職員が自ら命を絶つという、あってはならない
痛ましい事件もありました。
盛岡に暮らし働く私にとって、正直をいえば沿岸被災地は「遠い世界」という
意識が少しだけありました。
それは、きちんと向き合うことを避けてきたのかもしれないし、
その必要にも迫られてこなかったからかもしれません。
しかし、これからは、復興を「支援」する立場から、復興の「当事者」に加わります。
現場に飛び込み、自分で見て、感じて、考えて、動いていくしかない。
私自身も仮設住宅に住み、被災者の心情を少しでも理解したいと思っています。
大槌の復興のため、私にできることはごくごくわずかですが、
一歩ずつ、前に進んでいきたいと思います。