Members Column メンバーズコラム

自分史製作のススメ

中島康明 (中小企業基盤整備機構 国際化支援センター)  Vol.169

こんにちは、締め切りをとっくに過ぎて焦りまくりの中小機構中島です。
コラムは初筆なのに、いやはや何とも申し訳ございません。 <(_ _)>
さてさて、はてはて、堂野さんからコラムの内容は何でもOK!と温かいコメントをいただいておりますので、ムムムッと頭を悩ますこともなく、本年2月に、ある方から「あっ、それ。中島さんが経験してきたこと、ある処で喋ってよ。」と言われ、一週間ほどで作成した「自分史」が意外に好評だったので、今回はその話、「自分史」についてお話し(執筆)させていただきます。

 「自分史」ってこと自体は特に目新しいものではありません。ちなみにウィキペディアでは『自分の歴史(自分自身の生涯あるいは半生の出来事)を文章化したもの。』とありますが、ここでは、「自分史」は年表による図表化したものを指します。
元ネタは、企業でよく周年行事の一環として作られる「社史」です。私は以前から社史(編纂)は会社の財産(になるなぁ)と、経営者の集まる会合、特に知的資産経営に関する会合の場で「社史」の効用について話していたのですが、人に薦めておきながら、自分自身ではなかなか「自分史」を作ることができませんでした。
・・・かれこれン(十)年。今春に講演依頼があった時、「いつ作るの、今でしょっ!(調子に乗りました。<(_ _)>)」とばかり、講演資料として「自分史のイメージ」が頭に浮かび、作成いたしました。
 さて、図を見ていただくとわかるのですが、「社史」と「自分史」の最大の違いは、おそらく「自分の思考・志向」欄の記載だと思います(「思考」と「志向」の文字を使いましたが、「嗜好」でも「試行」でも「至高」でも構いません。)。これは、自分の行動・活動の原点、源流とでもいうべきものです。企業で言えば、経営理念、創業時の想い、家訓、ポリシーといったものでしょうか、短期的な目の前にある危機をやり過ごすための一時的な術(すべ)ではなく、中長期的な規範・方針(=よりどころ)といったところです。これを書くことが非常に重要なポイントだと考えています(なので一番下(根っこ)に記載しています。)。

 よく、
「なぜ、あの時そんなことができたのか?」、
「どうしたら、あんなことができるのか?」、
「どこからアイディアが浮かぶのか?」
という質問をいただくのですが、正直、自分でもよくわかりませんし、質問自体が難しく答えづらいのでいつも適当に対応しておりましたが、ただ単にふっと湧いた思いつきではなく、つらつらつらーっと永く考え続けていたことが、ある日突然頭に浮かぶ、そのあたりの因果関係を「自分史」を書くことで明確にならないかなぁと思っておりました。
図をご覧いただくと、完全に繋がったということではありませんが、過去の経緯から、将来の予測が何となく見えて来ませんか?
さて、折角の機会なので添付の図、特に「思考」・「志向」について補足させてください。
1999~2001年、私は兵庫県福崎町の山の中(中小企業大学校関西校)で21世紀を迎えることとなりました。「はて?21世紀とはどんな世界」かと思い巡らせたところ、「組織の時代から個人の時代(大企業など法人名ではなく、あくまで個人名が優先・尊重される時代)」が到来するのではないか、ならば(組織は大して意味がなくなるのだから、組織を問わず)若手(=後進)の育成に力点を置くべく決心いたしました(36歳で隠居!!)。
更に2008年頃には、官/民や大/中小企業には各々役割があり、業際化・国際化が進展している21世紀には各々が連携していくことが重要・効率的と思い、活動の幅が一層広がっております。
更に更に申しますと、私が恵まれておりますのは、本業においても昨年の2012年、49歳にして私が超不得意とする外国語が必須な部署に配属され、1999年(36歳)「若手の育成」、2008年(45歳)「官民大小の連携促進」と進めて来たことが、「海外連携」まで発展し、手に届くところまで来ました。1992年(29歳)、「50代には独自のコンサルティング手法で海外へ」などと思いあがっておりましたが、いま振り返ると少し形を変えながらも海外でもお役に立てそうな感じがあります。
どうですか、みなさんも一度「自分史」を作成してみてはいかがですか?過去から明るい将来が見えて来ますよ、きっと。!(^^)!

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