Members Column メンバーズコラム

“自分探し”はまだまだ続く、、、。

熊倉三重子 ((株)創晶)  Vol.251

熊倉三重子

私は皆さんがすごくうらやましい!です。
KNSの定例会に参加するたびにいつも皆さんをうらやましくてたまらないんです!!!

それは、なぜか、私はやりたい「仕事」を見つけていないからなんです。そして「起業」したいんです!

そもそも、戦前生まれの両親に育てられた私は、「女は男しだい」という家庭環境の中、兄が優遇されていることに反発し、女同級生の半分以上が、短大の方が就職が良いからと進学していく中、4年生大学に進学し、バイト三昧の中、そして就活を迎えました。

「男女平等」男性と同じ仕事がしたい私は「総合職」を目指します。バイト三昧の中、手応えも感じておりました。そして忘れもしない6月第4金曜日に、同時に4社から内定を頂き、「一般職」を目指す女友達はこれからなのに、早々と就活を終えました。ただし困ったことに、4社の業種はバラバラ。「総合職」だけで飛びついたためにそうなっちゃいました。どこにしようか!?

結局選定理由は、ほんまに単純に、自宅から通勤可能なこと。一度も家から出たことが無い私は「総合職」なのに、真逆な条件で選定したのです。

T社は100%東京本社勤務。T・B社は最初の2,3年は東京本社勤務で、その後は大阪支社ができるので大阪に戻れる。R社は90%関西勤務。そしてK社は100%関西勤務OKということで、K社ことセンサー・計測機器メーカー「キーエンス」に入社しました。キーエンスがどんな会社かもまったくわからずまま、、、。

「キーエンス」は仕事がタイヘンと言われてますが、確かに営業ノルマはきついし、工場相手なので朝は早いし、営業時間終了後に会議などがあるので、深夜まで働きましたが、地区でのテリトリー制で、ルートセールスなので、飛び込み営業もないし、営業成績が良ければ、出世&給与に反映されて、すごく平等だし、また入社半年間は、琵琶湖の研修センターでみっちり研修を受けられたのは、今になってほんまに良かったと思うことです。そしておかげさまで、営業成績はトップ争いの私は、入社3年目にグループリーダーという役職に昇進し、4人の部下(その内、3人は先輩)を持ち、意欲満々。グループも全国4位に入り、社長でも目指そうかなあって、冗談で言ったそんな中、父が癌で死去し、それからバタバタと結婚・妊娠して退職しました。

退職後、こんなに働いたからゆっくり専業主婦を謳歌しようとしましたが、たった1か月で飽きてしまう。早く仕事を再開しようと、立て続けに2人目も産み、育児時間で、資格の勉強をしました。「中小企業診断士」です。キーエンスでは、コンサルティング営業として、センサー導入による省力化などの提案をしていたので、コンサルに興味を持ったからでした。一次試験をパスして、下の子が1歳になってから仕事を再開しました。コンサルの勉強をしたいので、未公開株式市場専門のコンサルティング会社に勤務しました。ちょうどその頃、親戚の会社がナスダック・ジャパンに上場し、株式公開のコンサルを間近に見たためでした。そして、コンサル会社で公認会計士さんのサポートの仕事をしましたが、即挫折しました。会計士は「数字のプロ」ですが、中小企業診断士は広く浅くの知識だけで、私には何も持っていないし、経験もない、とはっきり実感したからです。

私は何をしたら良いのか?ちょうどそのとき、その仕事を通じて知り合ったコンサルの方のお誘いで、大阪産業創造館「あきない・えーど」に転職。仕事の場繋ぎだけで、ふいっと入ったのですが、私に多くの出会いをもたらせてくれました。いろんな分野のコンサルの方との出会い、そしてそこにやってくる起業予備軍や、起業したばかりの方、第二創業の方、経営革新したい社長さんなど、みんな前向きに進もうとする数多くの出会いがあり、そして燃え上がり!

『起業したい!』
と決めました。支援する立場ではなく、自分がやってみたいと!

しかし全くビジネスプランが無い、、、。自分がやりたいことを見つけるためにいろいろ場を広げないと。そうしてあきない・えーどを卒業し、今度は大阪大学へ。産業・行政と勤めたので、今度は違う環境ということで、アカデミックな教育機関に行ってみたかったのです。これで『産官学』達成だしね。そして需要があったのは、ちょうどその頃、経済産業省が大学発ベンチャー1000社計画を推進し、各大学が競って大学発ベンチャーを立ち上げており、その中でも大阪大学は力を入れておりました。私は工学研究科の創晶プロジェクトに入り、実際に会社の立ち上げに関わらせて頂きました。プロジェクトの先生方は、もちろんものすごく優秀な方ですが、個性豊かな楽しい人ばかりで、お堅いという大学のイメージを一新させたし、これからの優秀な学生たちと接することで大いに刺激を受けました。またその間に、プロジェクト代表の森勇介先生のご紹介でKNSと出会いました。

こうして2005年7月に蛋白質・低分子化合物等の結晶化受託事業の株式会社創晶が設立されました。そして会社が順調に落ち着くまで手伝うということで、そこの社員として入ることに。

あれ!?私何してるの?
そう、私はまだ株式会社創晶にいるのです。あと5か月で丸10年、、、。

このように、産官学ベンチャーと渡ってきて、起業のノウハウは完璧に持っているはず。なのに、やりたいことが見つからない、、、。

産官学ベンチャーを全て渡ってきた人なんて、ほとんどいないから、誇れるのかな!?あっと、まだ外資系に行ってないなって思っていたら、連れ合い(夫)が4年前に外資系A社に転職しちゃいました。

なんやかんやで、あとは「自分がやりたいこと」を見つけるだけ。『番頭』さんに徹したらと言われることが多いのですが、やっぱり自分でやりたいんです!

なので、KNSでお見かけした時は、ぜひ!こんな私に声をかけてください。まだ何甘いことを言っているんだ!など、叱咤激励大歓迎!もちろん、私におもろいビジネスプランをご提供いただきましたら、なおさら大歓迎!!!です。なので、心よりお待ちしております(笑)。

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