Members Column メンバーズコラム

都市の再開発に思うこと

稲垣京輔 (法政大学)  Vol.173

稲垣京輔

 法政大学の稲垣京輔です。メンバーズコラムに初執筆です。この原稿の締め切り直前、さあ、何を書こうかと困っていた時、ちょうど学会のために立ち寄った大阪で、もっと正確に言うと綺麗になった梅田駅で、ふとこのテーマが頭に浮かびました。今回は、都市の再開発について、つらつらと書かせていただこうと思います。近ごろ、仕事の延長線上で、まちや地域の活性化とはどこに到達点があるのだろうかということをたびたび考えさせられます。ちょっとシリアスで堅い内容ですが、学者の戯言と思って読み流していただければ幸いです。「ですます調」だと間延びして思考が途切れてしまうので、以下「である調」にさせていただきますが、どうかご容赦ください。

 日本の大都市では、いたるところで再開発が花盛りである。大阪では、梅田駅北ヤードの開発が進み、5月にグランフロントがオープン。東京でも、私の職場の近くである飯田橋駅の南側一体で、病院やオフィスビルなどが建っていたまとまった土地をいったん更地にし、地上40階建ての高層オフィスと住宅、ショッピングモールなどの建設が進行中のようだ。また、都心の私鉄沿線でも、立体交差と複々線化などによる鉄道輸送効率の改善とともに、主要なターミナル駅前の土地の開発が進んでいる。渋谷、下北沢などでは、かなり大掛かりな再開発が進み、昭和の雑然とした街並みが消え、清潔で便利で近代化した街へと変貌しつつある。
 都市の再開発は、清潔でバリアフリーで便利な価値を提供するため、それに反対の声を上げるのは、生活環境の劇的な変化の影響を直に受ける近隣住民くらいであろう。ところが最近、筆者がこれでよいのかと感じることがある。それは、少数の反対派の意見が聞き入れられないことではなく、開発着手に至るまでの合意形成と意思決定のあり方自体が、高度成長期におけるそれとさほど変わっていない点である。
 大規模な再開発は、今も昔も、地権者とゼネコン、大規模テナントなど直接的に利害関係を持つ強い主体の間の合意によって進められる。つまり、より広範な公共性の高い建造物であっても、利用者の便益や周辺住民の環境変化に対する意見はもとより、その他の様々な価値などを慎重に審議しながら進めるものではない。そのため、残念ながら再開発によって生まれた公共建築や公共空間は、たとえその街のシンボルとなったものであっても、市民の間の合意によって生まれたり、あるいは活用の方法が考えられてきたものは案外と少ない。
 歴史的建造物などが取り壊される場合も同様である。行政への届け出など手続的には問題ないものの、自治体レベルでの景観条例や住民投票など、既存の建造物の取り壊しや修繕のあり方を規制する法的枠組みや制度は、美しい街並みや景観を観光資源や市民の文化遺産としている欧米の中心市街地に比べると、日本はまだ整備が進んでいないと言われている。
 実は、日本の高度成長時代に、すでに西欧諸国では開発主義への反省が始まり、市民を主体としたまちづくりは大きな社会運動となって発展してきた。行政や民間企業が一方的に決めるのではなく、さまざまな形で関与する市民に是非を問う形で、公共空間のグランドデザインが決定されるようになったのである。
 合意形成の手続きの尊重によって民主主義が貫かれていることは、欧州で生活していると、身近なところで実感できる。筆者はイタリアのボローニャに留学していた4年間に、街のシンボルの一つである中央駅の改築案を住民投票で決定するという話を、街の広報誌やポスターで目にした。もはや15年前の話であるが、未だに中央駅の改良工事は途上にあり、高速列車用ホームの使用が開始されたものの、完成には至っていない。しかしながら、合意形成のプロセスの手順を踏むことで、自分も意思決定に関わっているという参加意識が芽生え、それ自体が重要な行為であるということを、そのとき初めて知ることができた。
 日本だったら、議論のための膨大な時間を要し、結論に至らず、収拾がつかなくなる恐れが先に立ち、こうしたプロセスは誰も望まないかもしれない。そもそも、本来は合議で決めるべき事案に対しても、自分の日常生活に直接関わりそうもないと判断されるような事案に対して、多くの人は無関心で意見を持たないのである。実際、東京小平市では、道路建設に対して市民の意思を問う場が設定されたにもかかわらず、投票率が低いために住民投票が成立しなかったというような事例も存在する。
 従来型の都市の再開発に対する市民の関わり方は、つねに与えられるものを消費する役割を求められ、我々はその役割分担に慣らされている。マスメディアにおけるテレビ放送などに典型的にみられるように、都市の再開発の関わり方についても、一方的に発信されたものを受容する大衆消費の概念から脱していないのではないか。
 ところが、現代の消費材の開発現場では、消費者もが商品やサービスの開発に参画するような、よりソーシャルでインタラクティブな形へと変わりつつある。また、福祉、地域社会のあり方も行政主導によって課題を解決するのではなく、社会企業家やNPOなどの市民が主体的に関わることによって、社会問題を当事者間で解決に導くスキームが求められている。
 ここで改めてKNSの役割を考えてみると、産学官民というそれぞれの所属や立場を超えた公開討論の場を提供するものであり、メンバーが知り合うだけでなく、個々に資源を持ち寄ることで、協働の機会を生み出すことが目指されている。こうした活動は、ポスト近代の新たな社会運動の形態と考えられているが、欧州やアメリカに比べると、日本ではなかなか大きな輪になりにくい。
 行政や大企業による一方的な解決方法の提示ではなく、開かれた議論の場によって解決された方が効率的な社会的問題や都市問題、そしてビジネス上の課題は、今後ますます増えていく。さまざまな主体の合意に基づいて課題が解決されるような成熟社会へと移行するには時間がかかるが、そうした機運は是非、KNSからそして大阪から生まれることを期待したい。

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