Members Column メンバーズコラム

ナノメートルの顔 – 電子顕微鏡で見た材料の微細組織 –

久 正明 (株式会社KRI)  Vol.567

久正明

メンバーズコラムでは初めてお目にかかります、久 正明(ひさ まさあき)です。株式会社KRIという受託研究・受託分析を生業とする民間企業で材料研究に従事しています。電子顕微鏡を使って工業材料の微細な構造を明らかにし、その材料が示す特性や機能性の発現機構を解明する、というのが主な仕事です。時には材料が破壊した原因の調査なども担当することもあります。材料の病理学者、というところでしょうか。病理学では顕微鏡を使った細胞組織の観察を通して、私たちの体の中で起きている病気の原因や発生メカニズムを解明したり、病気の診断を確定したりしています。人体ではなく金属やセラミックスなどを相手にして同様の解析をするのが私の仕事で、観察するのは材料に含まれる原子が特定の規則性を持って配列した「微細組織」です。

私たちが日常使っている鉄やアルミニウムなどの金属材料は、原料鉱石から製錬によって金属成分を抽出し、合金成分を添加した後に熱処理や加工を施して製品になるのですが、それぞれの工程の痕跡が微細組織に刻まれていきます。また、製品の使用中に外力が加わったり、高温にさらされたりすると、その影響を受けて微細組織が変化することがあります。すなわち、金属製品の微細組織を観察すれば、その製品がどのような工程を経て生産されたのか、使用中にどのような環境下に置かれたのかを知る手掛かりが得られます。ある製品が使用中に壊れた時、微細組織の声を聴けばその原因を知ることができるというわけです。この話を知人にしたところ、「それって科捜研やん!」と言われたことがあります。確かに科捜研の仕事と似ているかも知れません。材料の微細組織の大きさは1ミリメートル以下のことが大半で、光学顕微鏡では詳細に観察できないことがありますが、光の代わりに電子を使って拡大観察する電子顕微鏡を使えばナノメートル(100万分の1ミリメートル)の微細組織が見えるようになります。最近、新型コロナウイルスの画像をテレビや新聞で頻繁に目にすることがありますね。あの画像はTEMと呼ばれる電子顕微鏡で撮影したものです。ウイルスの大きさは約100ナノメートルですが、TEMを使ってウイルス表面に存在するスパイクの構造を解析することで、コロナウイルスの感染メカニズムが明らかになってきました。ちなみに世界最高性能を持つTEMは日本製で、50ピコメートル(1億分の5ミリメートル)の構造が識別できます。購入するには5億円ほど必要ですが・・・。

ここ数年は炭素材料の微細組織をTEMで解析することが多くなりました。炭素と言えば外見は真っ黒ですが、その内部にはいろいろな表情が隠れていることを次の一例でご紹介します。図(a)に示したのは黒鉛(グラファイト)粒子で、みなさんがお使いになっているスマートフォンや携帯電話に組み込まれているリチウムイオン二次電池の電極材料です。大きさは約10マイクロメートル(100分の1ミリメートル)で、多数の平板状粒子が集積した構造を持っています。図(b)は図(a)に示した粒子の一部を拡大したものですが、その内部には白い層と黒い層が約0.3ナノメートルの周期で交互に積み重なったミルフィーユのような構造が存在していることがわかります。黒く見える層は炭素原子が平面状に規則的に並んだグラフェンと呼ばれる二次元物質で、白く見える層は空隙です。リチウムイオン電池を充電するとこの空隙にリチウムイオンが侵入し、放電時にはリチウムイオンが空隙から抜け出ることで、充放電の繰り返しが可能になるのです。この原理を発見しリチウムイオン二次電池を開発した功績によって、2019年に吉野彰博士がノーベル化学賞を受賞されたのはみなさんご承知のとおりです。さらにグラフェンの平面に垂直な方向から拡大観察すると、図(c)に示したようにグラフェン内部で炭素原子が六角形に規則配列したハニカム構造が見えてきます。図中の黒い点が炭素原子の位置を、白い部分は空隙を示しています。二つの炭素原子の間隔は約0.14ナノメートル、もうナノメートルを通り越してピコメートル(1000分の1ナノメートル)の世界ですね。余談になりますが、鉛筆で紙の上に文字が書けるのは、芯に含まれている黒鉛粒子のグラフェンが剥がれ落ちて(劈開[へきかい]という現象です)紙の上に付着するからだそうです。

なぜ日本刀は強靭なのか、どうしてステンレスは錆びない(正確には錆びにくい)のか、ガラスが脆いのはなぜなのか、身の回りにあるいろいろな工業材料の不思議も微細組織がその理由を教えてくれることが多々あります。材料も私たち人間と同じでそれぞれが特徴的な顔(微細組織)を持っていて、その表情をじっくり眺めれば材料の性格(特性)を推測することができる、その信念で電子顕微鏡に向かい合っています。もし拙文の内容に興味を持ってくださった方がいらっしゃいましたら、定例会等でお目にかかった際にでもお気軽にお声掛けください。

最後までお目通しくださり、どうもありがとうございました。

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