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映画「かぞくわり」一年間、劇場上映を行って感じたこと

塩崎祥平 (かぞくわりLLP)  Vol.484

塩崎祥平

前回、コラムを書かせてもらったときは、2014年。もう5年以上の歳月が経ちました。http://www.kns.gr.jp/column/1238.html
その後、映画の舞台となる奈良二上山の麓にアパートを借りて実際に住みながら2年間、脚本を練ることになります。その地域の毎日の動きと空気を感じるためでした。そして準備に2年。編集も含めた1年の製作期間、そして1年の公開待ち。

その映画「かぞくわり」は今年1月に劇場公開となりました。
現在は地元の奈良大和郡山にて公開しております。

これまで、KNSのメールにて映画「かぞくわり」上映の告知を何度もさせて頂いておりました。
大阪、神戸の上映の際は、たくさんKNSの皆様に劇場までお越し頂き、おかげ様で長い劇場公開の期間を設けることができました。映画をご覧頂いた皆様、そして宣伝をして頂いた皆様、この場をおかりして、心からお礼申し上げます。
本当にありがとうございます。

ゼロからスタートさせる映画作り。製作委員会方式ではない映画作り。本当の意味で、地域で映画をつくることの意義と可能性に向合いながら、どこまで創りたいもの、作るべきものを創れるのか。その地域に残るものをさらにこれからも残していくためには、どんなプロセスが必要なのか。そんな作品づくりでした。決して「作る」「作りたい」が先走らないように。そうすると自ずと時間は経って行きます。

当時コラムに書いていた内容が出来上がった映画に反映されているのかどうか。実際の作品を観てもらった皆様にはどう映っているのかは別として、自問自答すると、それはブレずに通せたかと思っています。

地域映画というイメージは、地域活性のために製作しているイメージがあり、舞台となる地域に住むひとや、その地域を好きなひとたちしか楽しめないという印象が根強いです。その地域以外のみなさんに観てもらうという周知の窓はとても小さく、映画館も含めてその固定概念を持っています。
その中でも観て頂いた方々には、奈良の人だけが楽しめる映画ではないと思ってもらえた方々も多く、100%奈良で作ったものが、奈良以外の地域でもたくさん観て頂いていて、東京、名古屋でも公開できたことも僕にとっては大きかったです。
関西においては満員になる回もあり、その中では、リピーターの方が多いというのは感慨深いです。色んな角度から観る角度によって違う見え方がして不思議という意見や、一度目より違う部分の深さを感じるなど意見を頂いております。どはまりする人は本当にどっぷりはまるそうです。

公開されてからは、色々意見が飛び交うので、うれしいの一言です。
作品は、作品で僕のものではなく単体で存在している。そう、ひしひしと感じます。
僕の想像を越えたところでお客さんには作品の世界を想像頂いていますし、そういう映画にしてもらっているのはこれまで観て頂いたお客さんがいるから。

これこそ、映画の特長だし、やっててよかった。と改めて思いました。

その一方で感じることは、オリジナル作品をもっと観て欲しいという気持ちが増したことです。映画は原作ものを観て楽しむものだ。そんな風潮に世の中更になりつつあると危機感を感じたのも事実です。「映画のために作ったものを観る」という感覚が少なくなっているのでは。。。原作ものを否定している訳でなく、もちろん、自分に原作ものが作れる機会があるならば、監督として作品をつくりたいという気持ちはある中で、僕にとって「奈良」そのものが原作のような感じで作品を作っていた感覚があります。

ただ、何も予備知識無しで、物語を追いながら、観ながら想像を楽しむ。というものが少なくなるのは悲しい。毎年何百本も作られている日本映画作品の中で、オリジナル作品は多いものの見る人が少ないから世の中で知られる機会が少ないというのが現実だと思います。

「かぞくわり」は絵を描く人が主人公です。想像と創造の力。その可能性をこの主人公に託したかったのかと改めて思ったりします。ほとんどの人が、想像していた「家族ものの物語」より違う世界観、ファンタジーの映画だったという観客のみなさんが多いです。

個人社会になればなるほど、情報社会が進めば進むほど、予定調和でないもの、知らないものは、「分からないもの」になり、やがてそれは「おもしろくない」「ダメなもの」ものに変換圧縮されてしまう。これは一番恐ろしいことだと思います。

家族は家族がゆえにわからないことだらけです。家族だからこそ、問題は起こるし、起こったときには想像の力、向合う力が必要だと思います。
核家族を描くこと。前回のコラムでも、それについて「核家族の限界」と言ってきました。ただ、僕自身は、核家族を完全否定している訳ではないです。
核家族が最高にはまった時代はとても短く、経済が低迷していると言われる中で、1家族だけで生活をしていくのがしんどい、さびしいといった目に見えない不安というものの比重が大きくなっていると感じたからです。今それが故に発生している問題をどう捉えていいのか模索して始めている。
それは受け継いで来たものを継承していく、歴史ある民族のDNAが何かを言っているのではないか。

核家族社会は、日本の歴史の中の一幕で、避けては通れない道であること。良い悪いではない。日本の歴史は続いています。続くなかで新しいあり方に向合ってる。その中で無くなってしまい滅んでしまうもの。新しくつくるもの。それは何なのか。理想を追求するが故に常にその狭間でひとは想像していく。

世界でも、今「表現の自由」と「プライバシーの権利」の狭間でもがいています。これからの社会、「歴史」、「文化」、「芸術」はやっぱり切り離せない、必要な存在と改めて感じています。だからこそ、想像の世界を楽しんで、創造していけたらと。聞いた話、近くに小中学校では「絵を描く授業」がなくなってしまう危険があるらしいです。それは絵を評価、採点できる教師がいないことと、絵を書くための準備と片付けの時間が多くかかってしまうからが原因だそうです。すべて答えがある授業だけになってしまう。それをどう捉えるか。

「かぞくわり」は公開が始まりもうすぐ一年になりますが、まだ劇場公開中です。来年になると作品は旧作になり、何か特別な理由が限り、劇場も公開を好まないことから、これから始まる京都、宝塚、千葉、そして福岡での公開で、劇場公開は終了になると思います。

「次の作品を楽しみにしてます」とお声がけ頂く方々も多く、嬉しい限りです。ただ、これから作っていけるのかどうか。もう僕発信の映画を生み出すことがかなり難しくなっています。僕自身のエネルギーは作品に吸い込まれ、本作品のエンディングにある主人公の最後の姿をみているかのように思う瞬間がたくさんあります。

でもこの作品は劇場が終わったら、全国で上映会を行っていきたいと思っています。映画館のない町に率先してプロジェクターを担いでいきたい。

映画は文化のひとつとして捉えられている国はたくさんあります。そして、色んな種類の作品を観るひとが多い。だからその観点で、地域で作られる映画も多い。映画をつくるのは東京だけじゃない方がいい。

ただ単に映画をただ観てください!ということではありません。

地域社会の可能性を、芸術を通して感じてほしいという想いを込めて。

いつかKNSでも、上映会ができますように。

ありがとうございます。

【今後の上映予定】
11月9日(土)- 宝塚シネ・ピピア  毎日10:30 –
11月9日(土)- キネマ旬報シアター(千葉・柏)
12月6日(金)- 京都みなみ会館
* すべて一週間限定上映となります。

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