Members Column メンバーズコラム
豊岡から大阪に出てきて
尾中政憲 (生野区役所) Vol.214
最初に少し私の自己紹介をさせていただきます。
私は今、生野区役所に勤めておりまして、障がいを持つ方の福祉業務を担当しています。
昨年の3月末に豊岡市役所を退職し、大阪に出てきました。
大阪に来て、早くも1年が過ぎました。
なぜ大阪に出てきたの?とよく聞かれます。
私にとって2回目となる今回のコラムでは、そのあたりを書こうと思います。
私の出身は、兵庫県の県北にあります、城下町、皿そばで有名な出石町(現豊岡市)です。
私の出身は、兵庫県の県北にあります、城下町、皿そばで有名な出石町(現豊岡市)です。私は、岡山の大学を出て、市町合併前の出石町役場に就職しました。民間での就職の内定もいただいていましたが、当時の経済状況や実家からの圧力(?)もあったりで、地元に帰ることを選びました。
私が役場に入った年(平成16年)は、翌年の4月に市町合併が控えていたことや、10月に地域を襲った台風23号による大災害があったことなどもあり、大忙しの年でした。思っていた以上に役場の仕事って大変だと感じたことを覚えています。
平成17年に現在の豊岡市に合併し、これまで以上に多くの人たちと仕事をすることになり、充実した日々を過ごしていました。
しかし、就職して3、4年がたったころ、ふと、このまま豊岡で、今の仕事を続ける人生に疑問を感じるようになりました。このままここにいることは、安泰なのかもしれない。だけど、今のままでいいのだろうか、もっとできることがあるのではないかと…。資格の勉強をしたり、身近で開催されるちょっとした勉強会やセミナーに参加したりするようになったのもそのころです。
そんな思いがある中、市役所内で近畿経済産業局への出向者の募集がありました。直感で面白そう!と思い、応募したことをきっかけに、2年間限定で大阪に出てくることになります。私にとって大阪に出てくることは、全く違う環境で働いたり、豊岡とは違う場所で住んだりすることが、自分の中の疑問を試す機会にもなると思いました。
大阪では、仕事を通じて近畿管内の様々な地域や産業を見ることができたこと、このKNSに出会えたことなど、地元にいたままではできなかった経験をしたことや、会うことはなかった多くの人たちに出会えたことで視野が広がりましたし、毎日が刺激的でした。
そして、2年後、豊岡へ戻ることになります。正直、もう少し大阪にいたいと思っていました。
豊岡に帰ってからもできることがあると思い、KNSを豊岡で開催させていただくなど、自分の思う活動はしてきましたが、何か違和感を感じていました。このまま終わりたくない!と改めて思い、再度、大阪に出てくることを決意します。
そして、豊岡に戻って2年後、縁あって、念願の大阪市に採用いただくことになり、今に至ります。
大阪での仕事は、思っていた以上にハードではありますが、やりがいを感じています。また、大阪は大都市ですので、この先どんな仕事をすることになるのか、想像もつかない分、楽しみです。その分、試練もたくさんあるでしょうが、それもまた自分を大きくしてくれると思います。まずは目の前の仕事をきっちりこなしていこうと日々を過ごしています。
また、せっかくなので、いろいろなところに出かけたり、身近になったKNSへも参加してさらに視野を広げていきたいと思っています。
自分がこの先、何をしていきたいとか、正直、今でもよく分かっていません。でも、今までこの直感で選んできた道に後悔はないです。出石町役場に入った約10年前に、まさか自分が大阪で仕事をすることになるとは想像すらできませんでした。そう考えると、この先も分からないですし、それがまた楽しみでもあります。これからも直感でおもしろそう!と感じたことは、大切にしていきたい。どんどん挑戦していきたい。そのうち、自分の生きる道が見えてくるような気がします。
まだまだ若いつもりですが、少しずつ年齢を重ねるにつれて、保守的な考え方になっていると感じることが増えた気がします。ふと、そう感じたとき、さみしい気がします。まだまだ変わっていける自分を信じたい。自分の価値観もどんどん変えていきたい。大阪にはたくさんの人がいて、身近にたくさんの機会があるので、まだまだ自分を変える機会があるように感じます。これらの機会を大切にしていきたいです。
また、地元でもあり、故郷でもある豊岡には、豊岡にいてはできない貢献をしていきたいです。
あと、せっかく大阪に出てきたので、人を笑わせる術も身につけたいです(笑)
これから、まだまだ大阪ライフを楽しみますw