Members Column メンバーズコラム

被災地で3月の未来を想う

山崎慶 (釜石市)  Vol.204

山崎慶

いつも東北の被災地へのご支援、ありがとうございます。 東日本大震災から、ちょうど3年が経ちました。この節目のタイミングに、コラム執筆の機会をいただき、感謝しつつも、いったい何を書けばいいのかとても迷いました。被災地で働く市職員として、被災地の「今」を伝えたり、風化防止について訴えたり、復興支援継続のお願いをしたりなど、いろいろな書き方があると思います。しかし、3.11を迎え、テレビ報道もたくさん行われたので、東北の被災地の現状や課題はだいたい皆さんご覧になったかと思います。ですので、ここはあえて少しだけ仕事や職責を離れて、個人的に最近思うことを書いていくことにしました。

先日、ある方から「震災体験の内面化・深化」という話を聞きました。震災のつらい体験が、被災者それぞれの内面に徐々に沈んでいき、その人を変えていくこと。そしてその変化を、ポジティブなものとしていくことが大事なんだということ。私も、しばらく前からそのことについて考えていたので、話がすっと心に入りました。私個人としては、最近、震災体験がじわじわと自分を変えていき、しかもその変化が、自分の人生をより充実させる方向へ向き始めているという感触を得ています。3.11から3年が過ぎ、震災体験がようやく自分の心の中に収まりどころを見つけてくれたのかも知れません。3年という歳月は、被災地から悲しみを消し去ってはいませんが、新たな変化を生み出してもいます。 この3年間は、亡くなった方々と向き合い続けた3年でもありました。私の家族は幸運にも皆無事でしたが、私の地元は海辺の漁村集落だったので、多くの親族、友人、隣人が亡くなりました。震災前はすぐそこで暮らしていて、お互い助け合って、肩を寄せ合い暮らしていた人たちです。今でも、ふとした時、彼らがどんな最期を迎えたのか、考えることがあります。そのときの、その瞬間の彼らの気持ちを思うと、何とも言えない思いにとらわれます。ただ、いくら悲しくても彼らのことを思い続けていきたいと思っています。人は人の心の中に生きる、というような言葉がありますが、本当にそうだと思います。忘れないでいること、彼らのことを思い続けていくことが、供養になると信じています。 震災体験は、私たちに「人は死ぬ」という当たり前のことを気づかせると同時に、「地震と津波は必ずやってくる」という当たり前のことを思い出させました。「三陸に住んでいるかぎり、いつか大津波がやってくる」ということは、100%と言ってもいい事実だったはずです。物心ついたときからずっと、「大きな地震がきたら大きな津波が来るから、すぐ高台に逃げるように」と親や祖父母に言われ続けてきたにも関わらず、震災前の私はその事実を、本当の意味で理解できていませんでした。東日本大震災以降、南海トラフ巨大地震の話題を良く聞きます。行政では被害のシミュレーションを何度も行っていますし、マスコミでも大きく取り上げられています。確実に、この地震はやって来るそうです。明日、その巨大地震が来るかも知れません。東日本大震災以上の大津波が来るかも知れません。本当の意味でこの事実を理解していたかどうかで、実際に巨大地震が起こったとき、生き残れるかどうかが決まってくると思います。三陸は決して油断しませんので、関西の皆さんも油断せずに備えてほしいと思っています。
さて、3月は東日本大震災があった悲しい月ですが、実は私の年齢が1つ増える記念すべき月であり(3月12日が誕生日です)、学校の卒業式がある月でもあります。震災の時、小学6年生だった子供は今年中学卒業で、中学3年生だった生徒は何と高校を卒業し、社会に出てきます。3月は、未来がどんどん巣立って行く月でもあるのです。そうです。私たちも、のんびりなんかしていられません。前へ、先へ、進みます。
※参考:釜石市の復興の状況については、市ホームページに載っている『かまいし復興レポート』に数値データでまとめられています。
アドレス → http://www.city.kamaishi.iwate.jp/index.cfm/12,0,117,476,html

PAGE TOP