Members Column メンバーズコラム

ラグビーは犠牲のスポーツ

田村孝 (株式会社富士精機)  Vol.309

田村孝

2015年9月ラグビーW杯でJAPANが優勝候補の一角、南アフリカを破る歴史的な快挙を成し遂げた。この偉業は、『21世紀スポーツ史上最大のセットアップを演じた』、と報じられた。
今年3月スーパーラグビーの開幕戦、日本チーム・サンウルブズVS南アフリカ・ライオンズの開幕戦を観に行った。場所は東京秩父宮ラグビー場。この試合を観戦してかつてラグビー選手として約10年間経験してきた立場から選手とレフェリーの関係ついて考えさせられた。

ラグビーに於けるレフェリー(審判)は他の競技と少し異なるニュアンスをもっている。「選手とレフェリーの関係」について。他のスポーツからすると少し珍しいかもしれないが、ラグビーではレフェリーと「コミュニケーション」を取ることも大切だ。どのスポーツでも当たり前だが、ゲームにおいてレフェリーは絶対であり、神となる。理不尽な判定があった場合でも選手はそれを受け入れるしかない。しかし、ラグビーではその「絶対」な判定の基準などについて必ず選手とレフェリーがコミュニケーションを取る(判定は絶対に覆らない)。そして試合中には反則があった際にレフェリーがチームのキャプテンを呼び、なぜ今回反則を取ったのか、これからこのゲーム中どんなことに気をつけてほしいのかについて話をすることも多い。
30人の大男達が複雑に動き回る中で、都度々々正確なジャッジを行い、そして反則が起こらないように未然に注意し選手と一体になっていいゲームを創るのが優秀なレフェリーだ。毅然とした態度と正確な判定が繰り返されれば、わずか80分の中で選手達はレフェリーをリスペクトし、お互いを尊重しながら良いプレーがどんどん出てくる。当然観客は湧き、競技場には興奮が渦巻く。スローフォワードでは?と思われる疑わしいプレーがあっても、その前後のプレーが素晴らしく継続し、観客が湧きトライにつながれば、やられたチームの選手達もノーホイッスルでも納得するものだ。そう、ラグビーのレフェリーはオーケストラの指揮者のようなものだ。
2015年 W杯大会中にJAPANのリーチキャプテンがこんなことを言っていた「レフェリーといいコミュニケーションが取れた」—-。この大会、JAPANは世界中のラグビーファンから称賛を浴びた。ラグビーファンは目が肥えていて、たとえひいきチームでなくても良いプレーには最大の拍手を贈る。
さて、日本に戻って。1995年1月15日 神戸製鋼ラグビー部が新日鐵釜石に並ぶ日本選手権7連覇を達成した。当時の暦で15日は成人の日。東京国立競技場には晴れ着姿の女性も多く、6万人近い観衆の目前でこの偉業は成し遂げられた。当時のラグビー人気はすごいもので、国立での試合には毎回超満員の観客が詰めかけた。神戸製鋼チームが勝利を収め、凱旋帰郷する1月17日の未明に阪神・淡路大震災が発生した。
この年を境に、世の中からラグビー人気が途絶えることになる。直前にサッカーJリーグが開幕したこともあり、この後入れ替わるように世間の注目はサッカーに集まるようになった。
ラグビーの競技特性を一言で表すと、それは『犠牲のスポーツ』だ。トライを挙げた選手が大喜びする姿はあまり見られない。スクラムからボールを出し、何人もの選手が幾度も関わって球をつなぎ、たまたま最後にボールを受け取った選手がグランディングしたに過ぎない。次の選手にボールを運ぶためにそれぞれの選手個々が犠牲になってゴールを目指していく。あいつの為やったら体を張れる、という選手が多く居るチームが勝利に近づける。
近頃の日本の風潮で感じるのは、「俺が俺が」の自己本位が許されること。人のため、何かのために己は犠牲になって、という日本人のもつ美徳が見られなくなった。
 こういう世の中では、当然犠牲のスポーツであるラグビーの人気は出ないだろうと感じていた。ほんの数年前まで、この国はどこに行くのだろうか、日本人はどこまで低落していくのだろうかと焦っていた。前政権の政治家たちは国益を損なう言動や行動を繰り返してきた。企業は社員を機械の一部のような待遇を続け空前の利益を上げてきた。製造業を経営する自分についても、もうこの国でもの造りをしていくのは無理かも、と廃業も視野に入れていた。ラグビー人気が再燃するときは、世の中が少しはましになっている時かなと漠然と考えていた。
そして20年後の今、ラグビーの人気が再び巡ってきた。世の中はどうか・・・      

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