Members Column メンバーズコラム

「運」を信じる人。意識する人。言葉にする人。

橘勝彦 (株式会社タチバナデザイン)  Vol.367

橘勝彦

「運」も実力のうちなどと言われますが人は何歳くらいに「運」というものを本質的に意識するのでしょうか?「運命」「天命」であったとか、運は動けば良くなるから「○○運動」とか運を転がす職業「運転手」など冗談のような事柄まで「運」には様々な思惑があります。信じる?信じない?これまた人それぞれですがなんとなくあるような気がするのが「運」というものではないでしょうか。
運が良かったからとか感謝していますなど上辺だけの言葉で自分を美しく表現するような事も若き頃には多々あったりもします。しかし心底そう感じるにはそれなりの歳を重ねた経験が必要ではないでしょうか。本屋さんでも「運」についての書籍は多数出ていますので皆さんも一度は手にとった事もあると思います.。

学生時代なら受験やスポーツ、就職試験など社会人においては人事昇進や男女関係はたまた収入面や宝くじなど金運までさまざまな「運」を意識する場面があります。
  私自身が「運」を強く意識したのは自分で会社を興した頃だと思います。
  興したといえばエラそうすぎて当時の自分の意志努力実力以上に人や時の運に恵まれたというのが実感でした。テレビなどで活躍している若きアスリートのインタビューで10代にして運に恵まれましたなどと聞くと謙虚な心というかこの年齢で「運」を意識するなど自分は相当鈍感であったと恥じ入るばかりです。
  あくまで個人的な考えですが「運」というのは大きく分けて「幸運」と「不運」があるようですが私の知人も含め、世の中の成功者と呼ばれる人は口を揃えて運が良かったと言います。逆にそうでない人は運が悪かったと言います。これだけの実例を考えると「運」の良し悪しは口癖が何らかの要因なのかとも思います。
  つまり若き時よりのたとえそれが上辺だけでもそういう口癖つまり意識継続が「運」をその後の「幸運」「不運」に分けるのではないかとも思います。パナソニックの創業者、松下幸之助翁が社員採用面接でキミは自分で運があると思うかと聞いたといいますがやはり「運」は意識して言葉にする者に味方してくれそうです。皆さんや皆さんのまわりの人はいかがでしょうか。
  もちろん「運」だけでは人生「幸運」とはならないかもしれません。それ相応の努力も必要かと思いますが自分は運に恵まれていると信じる人とそうでない人を比べると前者のほうが行動や努力の方法まで変わってくるようにも思えます。
  学生時代を含め社会人になってからは特に出会う人によって「運」は大きく変わると思います。どこかで聞いたセリフのようですが信じるか信じないはあなたしだい。
  将来、科学的に「運」について解明されて世界中の人が幸せになれば本当の世界平和が
  訪れることを願っています。でもその前に人それぞれの「幸せ感」についても考えることが「運」の本質を知る近道なのかもしれません。     完

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