Members Column メンバーズコラム
原点に振り返って
坂野聡 (近畿経済産業局) Vol.239
母校の大学が来年に創立50周年を迎えます。7月に「50周年記念館」が竣工し、500席の記念ホールがお披露目されました。「学術目的だけではなく、コンサートにも対応できるようにこだわった」と学長の思いどおり、大阪市交響楽団の記念演奏会は素晴らしい演奏でした。大学の敷地は広がり、学舎の外装は煉瓦造りに統一され、キャンパスは開放感に溢れています。在学時とは随分、変わりました。当時は校舎が道路側に面し、どこか威圧的で、コンクリート地の無機質な建物には寒々しい感じがありました。当時の学校は多かれ少なかれ、同じようなものだったと思いますが、心の内を反映していたのかもしれません。
その頃は、何処によりどころを置くべきか、持って行きようのない不安があり、周りの学生もどこか生気が無く、身の置き場の無い雰囲気が漂っていました。そのような中で立ち直る術を見出せないまま、漫然と日々を送っていました。
しかし、私にとっては幸運でした。講義を通じて、不思議な事に、何気なく眺めていた車窓の風景が違って見えるようになりました。田園地帯が住宅街に変わり、工業地帯、大商業地帯へと変わっていく様子は、講義で聞く立地論の話と結びつき、雑然と都市が形成されているのではないと気付き高揚したのを覚えています。特に、新大阪へと広がる都心の動きや梅田・阿倍野の再開発、関西空港の建設など時折に講義の中で話される都市開発の現状を聞きながら、理論と実践の間の課題解決の難しさに現実の厳しさも知り、更に興味を?き立てられることになりました。幼稚な話と笑われるかも知れませんが、純粋だったのでしょう。
大学で学んだ事を社会に活かしたいという思いが徐々に募る様になり、恩師の勧めもあって、今の仕事に就くことになりました。そして、ようやく最近になって、地域に密着した仕事に携われるようになり、その重圧に苦しむ事も多々ありますが、出発点に立てたという思いがしています。この10年程は、企業の第一線で活躍をしてこられた専門家の方々と共に、地域の強みを発掘し、支援したり、企業同士のネットワークづくりに関わってきました。直近では、地域のグローバル化を進める仕組みづくりの端緒を作ることもできて、微力ながらも地域に役立てたのではないかという実感を持てるようになりました。当然ながら、一人でやったと大仰な事は言うつもりはなく、知見のある方々にご協力をいただき、行政としてすべきことが何なのかを見極めながら進めてきました。力添えをいただいた方々には感謝の念に堪えません。
最近、経済学部に入学した学生の中途退学の数が多いという話を聞きました。他の大学でも同じことが起こっているのか、母校だけの問題なのかはわかりません。私は、てっきり勉強についていけない学生が増えているのだと思っていました。どうもそういうことではなく、経済学を身に付けても仕方が無いと考える学生が増えているそうです。親に勧められ、大学には入ってみたものの、就職にも役立ちそうにないので、専門学校に入り直した方がよいと考えるらしいのです。私の時代に比べれば、よく考えているのだなと感心をしてしまいます。しかし、「理論」は判断の羅針盤になるよと説いてみても、社会経験のない学生には理解できないかもしれません。先生達も学生の興味を掻き立てるような講義に多少は変えればよいのでしょうが、先生方にとってのこだわりもあって、なかなか難しい面もあるようです。「実学」と言っても、社会との接点が少ない先生にとっては、戸惑っているのかも知れません。
先日、知人の依頼で他大学の学生に講義をする機会がありました。講座のテーマは「観光」なのですが、理論と実践を教える授業なので、実際の取組を紹介して欲しい、特に、将来を描けない学生が多いので、刺激を与えて欲しいという希望でした。「観光」には拘らないというので、幾つかのこれまで私自身が関わってきた取組を紹介し、何故、行政機関がこのような取組をするのかという、行政の仕組み、日本の抱える課題など、眠たくなるような話もさせていただきました。拙い講義にも関わらず、意外にも、学生の皆さんが乗り出して聞いてくれていた(ような気がした)ので、多少は関心を持ってもらえたのでしょう。人の琴線に触れることは容易ではありませんが、考える端緒となってくれたのであれば、嬉しいことです。
奇しくも、来春で勤続30周年の節目を迎えます。恩師のご恩に報えているかと振り返る事が多くなりました。大学へもご恩を返さないといけません。地域に貢献できているかと聞かれると、まだまだ道半ばです。
今春、「あべのハルカス」に母校のサテライト・キャンパスがオープンしました。私を見つけた大学職員が阿倍野再開発にも関わってこられた恩師のことを思い出し、私に「先生がご覧になられたら、何て仰るでしょうね」と話し掛けてきました。京阪神を一望できる景色を見ながら、恩師にこの30年を問われたような気がして、恥ずかしい思いがしました。