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おじさんはどう生きるか

小笠原徳 (岩手県商工労働観光部ものづくり自動車産業振興室)  Vol.622

小笠原徳

岩手県庁の小笠原です。久しぶりに投稿させていただきます。
昨年4月に商工労働観光部ものづくり自動車産業振興室に異動になり、自動車産業振興の担当をしています。仕事の内容は、自動車関連の企業誘致、進出した企業のフォローアップ、県内企業の取引や競争力強化支援などです。
今回は、年齢が50代後半になりましたので、最近、定年を迎えるにあたり、いろいろと考えていることを書いてみました。
さて、ご存じの方もいると思いますが、タイトルは某大物音楽プロデューサー(奥様は超大物アーティスト)のエッセイです。華やかな世界にいらっしゃる方で、活動範囲も広く、さぞかし優雅な生活を送られているのだろうと思い、興味本位で買いました。内容は紹介しませんが、一通り読んでみると、とても親近感を覚えるものでした。自分も既におじさんの域に入っており、これからどう生きようかなと思いを巡らせてみました。

実は20代後半の頃、毎年、定年退職されていく大先輩方を見ながら、自分も定年後どう生きていこうかぼんやり考えていました。現役時代は仕事一筋で幹部まで登り詰めたにもかかわらず、退職後一気に老け込み寂しげにしている方や、一方で、好きなことに打ち込み、退職後も生き生きとしている方など様々でした。私にスキーを教えてくださった公務員の師匠も定年になりましたが、定年後は現役の時よりも生き生きとしていて、何よりも師匠の周りには幅広い年代の方々が集まっていましたので、これを見て、自分も長く楽しめるスキーに打ち込もうと思いました。
時はバブルの絶頂期、映画やテレビ番組の影響もあって、スキーが大ブームになっていました。もともと運動は得意ではなく、上手くできるスポーツもありませんでしたが、たまたま小さい頃、裏山で滑っていて、スキーだけは人並みにできたことから、独身だった私はモテたいという気持ちもあって、1級を目指し、定年後は日本中、できれば海外のスキー場を滑りまくろうと考えました。
 以後、毎年冬になるとシーズン券を購入してスキー場にせっせと通い、夏は冬に向けてトレーニング(の真似事)に励み、何度も不合格になりながらも、楽しみながらやっと念願の1級を取得しました。機会あって、ヨーロッパやカナダでもスキーをすることができましたし。
そうすると、今度は欲が出てきてその上の資格も欲しくなり、今度は指導員を目指すことにしましたが、ここからは苦しみの始まり。なかなか指導者の世界に馴染めず、準指導員検定で不合格を重ねながらやっと合格。次の正指導員検定でも不合格を重ね、挫折しかけましたがやっと合格しました。今でもあの苦しみは忘れることができません。
合格した翌年から、縁があって某スキースクールからお誘いをいただき、インストラクターを始めました。昨シーズンでインストラクター歴14年になりましたが、上達するどころか、年々、体力・筋力が衰え、今は腰痛と膝痛に悩まされ、とうとう主治医に「そろそろスキーを辞めたら?」と言われるまでになりました。今は、膝を騙し騙し緩斜面で指導していますが、疲労が溜まると階段の昇降がやっとの時もあります。
今だから言えるのですが、実は、正指導員合格直後は燃え尽きかけており、苦しかったスキーから一旦離れようと思いました。しかし、スキースクールでインストラクターをすることにより、今までなんとかモチベーションを維持してくることができましたが、体力の衰えとともに、今はスキーに対する情熱が大分冷めつつあります。定年後を楽しく過ごすために打ち込んだスキーは、かくして定年を機に終わることになりそうです。
写真は、実家のすぐそばにある橋から見える風景です。高校3年の3月、大学はすべて不合格になり、卒業後の進路も決まらず、この風景を憮然と見ながら、何になりたいのかも、何をしたいのかもわからない中で、これからどう生きていくのか不安を強く感じていました。その後、たまたま受検していた県職員に採用されましたが、今でも当時の不安は忘れません。
先日、帰省した際に橋からこの風景を見て、不安だった高校当時を思い出しながら、県職員のゴールが見えてきて、打ち込んできたスキーから離れようとしている今、これからどう生きるかいろいろと考えました。ただ、何もなく不安しかなかった高校の時と違うのは、これまでの沢山の経験と人脈という財産があります。現段階では、これから目指すものや、やりたいことが明確になっていませんが、何をしようかなとあれこれ考えるワクワク感のほうが強いように思います。さあ、おじさんはどう生きるか?

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