Members Column メンバーズコラム

黄色いパーカーとネットワーク組織 – 大坪徹氏を悼んで

中武貞文 (鹿児島大学)  Vol.299

鹿児島市一番街にあるストリートピアノ(中武撮影)

この原稿を書いている2016年2月10日に鹿児島の地域活性化活動のリーダーであった大坪徹氏が旅立っていかれました。大坪徹氏は私が鹿児島にて所属するKAGOSHIMA熱闘会議の創設者であり初代会長でした。2月11日夜お通夜に参列し、お別れを述べて来ました。それまでコラムにと書いていた内容を辞め、この原稿を書き始めました。大坪氏のことをKNSの皆さんにもお伝えしたいと考えたからです。

KAGOSHIMA熱闘会議は、昭和61年から鹿児島県庁が実施していた「県地域リーダー研修会」(県内の地域リーダーが県外の先進地を視察)の昭和63年の参加を中心に「県地域リーダー研修会OB会」として発足した組織です。その歴史は「平成」元号よりも古いものです。勉強会や地域へのアドバイス,フォーラム等を年に数回実施すると同時に、独自に物産展を開催したり、各種の地域プロジェクトや県レベルの交流会等への支援、県外地域づくり団体との交流等を実施してきていました、そして、会の運営費は,原則として会員の会費でまかない、運営費の補助等は受けないこととしています。
お気づきになられた方もおられるかと思います。KNS、そしてその母体となったINSの活動に類似しているのです。鹿児島にもネットワーク組織があった。それを創設したのが、大坪徹氏なのです。

情熱的でおしゃべり好き、お酒好き、多くの方から親しまれ愛された方でした。私が鹿児島大学の活動を語った際、「大学もようやく本気になってきたなあ」と感慨深げに語った姿が、そしてトレードマークの黄色いパーカーが印象に残っています。近年、大坪氏は「ストリートピアノ」活動に尽力されておられました。家庭などで使われなくなった古いピアノを調律して色鮮やかに装飾し、商店街などの屋外に設置、誰でも演奏できるようにするという取り組みでした。私の子供も鹿児島中央駅近くの一番街に設置してあるストリートピアノを弾いたことがあります。「そのピアノはお父さんの地域活動の大先輩が、凄い人がやり始めたことなんだよ。」と語ったのがつい3ヶ月ほど前だっただけに、記念にと撮影したストリートピアノの写真が、どうしてもどうしても、哀しく見えるのです。

もう、大坪さんはいない。

通夜では、駐車場に車が入りきらないくらい、カーナビで葬儀場近くの道路が渋滞表示になるくらい多くの方が弔問に訪れていました。後に聞くと800人を越えたとのことでした。これだけ多くに親しまれた方がいたということを、そして大坪氏の意思を継ぐネットワークを志向する人々が鹿児島にいることをお伝えいたしたく乱文認めました。

(参考)
KAGOSHIMA熱闘会議
http://homepage2.nifty.com/k-n-k/index.html

ストリートピアノプロジェクト
http://streetpiano-jp.com/japan.html

PAGE TOP