Members Column メンバーズコラム

東日本大震災の被災地の7年目

長坂泰之 (独立行政法人 中小企業基盤整備機構 震災復興支援部)  Vol.362

仮設店舗のカウンターで行われた「いわ井」の「はじめての風呂敷ラッピング」講座

中小機構震災復興支援部の長坂です。先々月の3月11日に東日本大震災の発生から6年が過ぎ、2,000日以上が経過しています。
震災が発生した2011年3月11日は、私は大阪にある中小機構近畿本部に在職していました。午前中、京都府庁で仕事をしている時に東京に戻る内示を受け、その午後に震災が発生しました。東京に戻るまでの間、子供2人が1週間ほど大阪に疎開し、その間にKNSのメンバーとも一緒に食事をさせていただきました。4月から東京の震災緊急復興事業推進部(現震災復興支援部)に併任、3年前から専任となり現在に至っています。早いもので関西を離れてから6年が経過したことになります(最近はKNSになかなか参加できず申し訳ありません)。

中小機構の震災復興支援体制のピークはその年の10月で、本務15名・兼務74名体制で復興支援に当っていました。当時の中小機構の最大の仕事は、阪神・淡路大震災ではなかった制度である、国費によって仮設商店街を始めとした仮設施設を整備することでした。その数は完成ベースで644案件、3626区画、約23万㎡になります(2016年度末)。一方、この3月から4月にかけて、宮城県南三陸町、岩手県陸前高田市、岩手県大船渡市で、新たな商業施設のオープンに併せてまちびらきが行われました。宮城県女川町、岩手県山田町はすでにまちびらきを終えており、今年はまちびらきのピークとなります。逆に、仮設施設はその役割を終えつつあり7年目にして解体・撤去が本格化しています。
 まちびらきはとても華やかで喜ばしいことですが、ハード(建物など)の完成(ゴール)はソフト(商売)の開始(スタート)でもあります。被災地の商業はこれからが勝負となりなります。
 複数の地域で商業復興のお手伝いをさせていただいていますが、このうち、陸前高田市は、震災の翌月に初めて訪問し、震災の約1年半後の2012年11月から本格的に復興まちづくりのお手伝いをしています。アドバイザーをさせていただいている陸前高田商工会商工業復興ビジョン推進委員会の中心市街地企画委員会は68回の開催を数えます(2017年3月現在)。委員会での様々な勉強、議論を経て、陸前高田市の商業者の皆さんは、ハードの完成は単なる通過点という認識で一致しています。市民から本当に支持される店づくりをしない限り、自分たちの店は存続できないと本気で考え取り組んでいます。
以下は、陸前高田市の商業者の取り組みについて、雑誌「商業界」の2017年4月号で寄稿した内容を抜粋して掲載します。
陸前高田市の商業者の取り組み
(前略)話は変わり、2011年に発生した東日本大震災で東北各地は甚大な被害を受けた。私は、「100商店街・バル・まちゼミ」の商店街活性化の三種の神器の本で、「微力でも100商店街・バル・まちゼミが、東日本大震災の復興支援の一助になれば喜んで現地に向かいたい」と書いた。そうは書いたものの、東日本大震災からの復興はゼロからいやマイナスからのスタートである。果たして、被災地の商業者は三種の神器を復興の一助としたのであろうか。特に被害の大きかった三陸沿岸の津波被災地を調べたところ、100円商店街は3地域、バルは1地域、まちゼミも宮古市と陸前高田市の2地域で開催され、さらに大槌町でも勉強会をスタートしようとしていた。
このうち、人口約2万人の陸前高田市では、2016年11月から12月にかけて第1回目のまちゼミが行われた。16社23講座でのスタートであった。津波で甚大な被害を受けた陸前高田市は多くの市民とともに多くの商業者を失った。震災前から衰退していた中心市街地を復興させることは簡単ではないことは誰でも容易に想像できる。私は2012年11月の商工会の勉強会で「ハードの復興ではなくソフトの魅力があって初めて本当の復興が可能となる」と話した。ハードの復興のコストは極力下げ、一方でソフトの魅力づくりを徹底して行わないと中小商業者は生き残れない。その後、2016年4月からまちゼミの勉強会を重ねた。まちゼミの実施に向けて、唯一、商業者の意見が分かれたのは実施時期であった。現在の手狭な仮設商店街で開催するか、新しい店舗が完成する2017年春以降に開催するか。議論の結果は「待たずに実施する」であった。こうして全国初の仮設商店街での「まちゼミ」の開催が決まった。
婦人服・化粧品の店「東京屋」の選んだまちゼミは、「気持ちを伝える簡単おしゃれなラッピング講座」である。まちゼミの主催する「陸前高田まちなか未来プロジェクト」の代表でもある小笠原修氏は、「やはりまちゼミを開催してよかった。受講生の作品はとても綺麗にできたので1ヶ月間店内に展示することにした。最後は、受講生2人の大切なお友達へのプレゼント品を素敵にラッピングするお手伝いをした。2人とも「楽しい」と時間を30分延長して90分の講座となった」という。早速、お買物をしてくださった受講生も生まれた。今後については、「他店のまちゼミでは陸前高田市以外からも受講生も来たと聞く。まちゼミを通じて自分自身あるいは受講生との間に色々な化学変化があると思う。仲間の店のまちゼミの様子を聞くなど、仲間の店のいいところを積極的に自店の店づくりに生かしたい」という。
器・和雑貨・地酒の店「いわ井」のまちゼミは、「はじめての風呂敷ラッピング」講座である。会場はカウンター越し。仮設商店街の手狭な店舗内なので受講生も講師も立ってのまちゼミであった。初回のまちゼミを終えて、「まちゼミをやってよかった。何よりも店の中が賑やかな笑い声で一杯になった。また、店長を店員2人がサポートしたことで、これまでにないチームワークができた。まちゼミ受講生も大満足と言ってくれたが、一番の成果は我々スタッフだったかもしれない」と代表の磐井正篤氏。商工会で復興の中心市街地企画委員会の委員長でもある磐井氏は、「他のメンバーのまちゼミ講座にも出てみたい。まちゼミを通じて一緒に頑張る仲間が少しずつ増えていきそうな予感がする」という。

被災地でも有効に機能する取り組み
震災で甚大な被害を受け、さらには急激な人口減少が予測される陸前高田市の商業者の復興のハードルは低くない。従来の延長線上の商売の仕方では売り上げはジリ貧になり、商売が継続できなくなってしまうのではないかという不安を、どの地域よりも被災地の商業者は強く持っている。まちゼミを実施するからと言って、そんな不安が100%拭えるものではないが、少なくとも、仮設商店街の店内が賑やかな笑い声で包まれ、市内外からこれまで店にお越しいただけなかった方々が来てくれる。新規顧客の開拓に様々な可能性が潜む取り組みであり、そして、何より商業者が将来可能性について考え、行動する機会となる。
「100商店街・バル・まちゼミ」の商店街活性化の三種の神器は実はまったく異なる地域でほぼ同時期にスタートしている。まちゼミは2003年、100円商店街とバルは2004年である。1998年にまちづくり3法が制定された以降、全国の中心市街地の衰退が加速するのだが、三種の神器の誕生はそれとは無縁ではないと考えている。むしろ、中心市街地衰退に対する危機感が、一過性でない持続可能なこれらの取り組みを誕生させる契機になったと考えるのが自然である。まちゼミをはじめとしたこれらの取り組みは、時代の変化に対応した取り組みであり、生活者と商業者の関係性を再構築する中で新規顧客を獲得する取り組みである。そして1つ1つは小さな魅力でも、多くの商業者が参画することで大きな魅力となり、結果として商業者自らの力によって中心市街地エリアに新たな価値を創出することができる取り組みである。そして、その価値に魅力を感じて新たな生活者が中心市街地を訪れるという循環を生み出している。陸前高田市の商業者も仮設商店街でのまちゼミにチャレンジしてそのことに気づいた。実施を躊躇している地域はぜひぜひまちゼミにチャレンジしてはどうだろうか。チャレンジすることで初めてそのことに気づき、そして次のステップでの扉を開ける鍵が手に入れることができる。

以上に加え、被災地では、環境の激変に対応して、これまでの業種・業態に拘らず、新たな業種・業態にチャレンジする商業者、新たな品揃え・サービスを提供する商業者が数多く存在します。三陸沿岸の地域は、震災前に顕在化していた課題に加え、これまで潜在化していた課題も一気に顕在化した課題先進地域です。全ての商業者が等しく果敢にチャレンジしているわけではありませんが、課題先進地域の商業者が本気で取り組む姿勢から学べることはたくさんあると思います。
皆さん、是非、東日本大震災の新しいまちを見に来てください。そして商業者と話をしてみてください。以上で、東日本大震災の現場から現状報告とさせていただきます。

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