Members Column メンバーズコラム
世界陸上 2007大阪大会の恐怖の想い出 – 還暦を振り返って –
諸岡充 (公益財団法人 大阪みどりのトラスト協会) Vol.340
皆さん、こんにちは。大阪みどりのトラスト協会の諸岡です。今年の3月末で大阪府を定年退職した際に、心に残る思い出を振り返りました。そのうちの一つが、2007年に開催されました第11回世界陸上競技選手権大阪大会でのボランティア活動です。
志望の動機は、滅多にできない体験をしたかったことと、大阪府職員として、大阪のPRです。海外であまり知られていない大阪のことをよく知ってもらい、帰国後に大阪のことを良かったと宣伝をしてほしいという思いがありました。
その結果、選手やチームのサポート役の“チームアタッシェ”に配属となりました。
大会は、8月25日(土)から9月2日(日)の9日間ですが、活動は、8月20日(月)から9月3日(月)の15日間連続で行いました。平日は、午前中職場で勤務をして、午後から休暇を取って活動、土日は、終日活動をしました。場所は、主として選手村であるロイヤルホテルで、必要に応じて長居陸上競技場を往復しました。
20日の活動初日の日記によると、「13時40分ホテル着。担当国が発表となる。アルメニア(ARM)、アゼルバイジャン(AZE)、ジョージア(GEO)、キルギス(KGZ)、トルクメニスタン(TKM)のカスピ海周辺の旧ソ連から独立した5か国を3人で担当。他の2人の活動日は少なく、通しで活動するのは自分だけ。責任をもってやり通さなければならない。
午後からTKMとGEO、AZEのチームがホテル到着。チェックインカウンターで手続き。フライト、部屋割り、滞在予定など2枚のシートに記入してもらう。そして、チームリーダーの名前と部屋番号を確認し、パスカードの取得方法などのその後の手続きを説明。16時から23時までロビーで立ちっぱなし。一人で5カ国はきつい。体がもう一つほしい。23時から国別の引き継ぎ書に今日の出来事を記録。
今日既に、旅行社の想定以上の人が来ている様子。選手らが到着してから、旅行社が人数を聞いて部屋割りをしている。部屋がすでに足りなくなってきている。23時30分ロイヤルホテル出。」とあり、これからの不穏な予兆が見えます。
22日、ARMのチーム到着。選手の荷物が途中で紛失したとのこと。航空会社に電話をし、現在、荷物はドバイにあって、24日にホテルに到着するとのことで、その旨をリーダーに22時に食堂で会って伝えました。
23日は、大忙しの恐怖の一日。午前中に大阪コンベンション協会に行き、英語版の大阪の地図やガイドブックを5か国分調達し、13時40分にロイヤルホテルに到着しました。各国の入国情報を確認し、次の仕事は、どのチームの選手が、いつ、どの競技に出場するかの確認。それから、引き継ぎ書を確認。その結果、今日期限の出場確認カードをTKMがまだ提出していないことが判明。ロビーで、TKMの事務局長を見つけ出し英語で説明をしますが、生憎その局長は、英語が理解できません。私もロシア語は話せないので、ロシア語のできるボランティアを探し、その人にことの重大さを説明し、そのまま手続所に連れて行って提出してもらいました。
15時30分「KGZの選手が、大事故で参加できない。国の連盟会長に大至急連絡を取ってほしい」との連絡が入り、リーダーの部屋に電話。「すぐに、部屋に上がってきてほしい」とのことで、リーダーの部屋に上がり、詳細を伝達。
18時30分からは、隣の国際会議場で監督会議に出席。競技運営に必要な情報を知っておくためです。大きな会場に、各国の監督などが集まり、前部に大会の責任者などが20?30人ほど並んで対面し、側面には、各国の旗が並んでいました。そこで、大会の打ち合わせやコース下見等の日程、競技の進め方などの説明がありました。
この日は、ホテルが昼過ぎから大混雑し、監督会議が終わってホテルへ戻ると、ロビーには恐ろしいほどの人が集まり、殺気立っています。一連の手続きの遅れなどで、旅行会社は、宿泊者数の最終確認ができないままこの日を迎えたようです。予想をはるかに超える人が来ているようです。ホテルは既に満室で、旅行社は、必死に他のホテルでの受け入れ調整をしています。昼から来た選手が、何時間も待たされて、南港や甲子園など遠くのホテルにバスで送られています。ここまで、故郷から2日間もかけてきている人が多いようです。やっと休めると思ったら、他のホテルに移動。これは、初っ端から大阪にとって大きなマイナスイメージです。担当のAZEのこの日到着したコーチと選手がこちらに部屋が取れないことが判明。「予約をして、18時にホテルに着いて、何時間も待たされ、結局、南港のホテルになった。チームとして納得がいかない。なぜ、予約していない人を先に泊めているのか。予約していない人を追い出せ」とカンカンです。あちらこちらで、アタッシェが担当国に説明していますがが、いろいろ言われています。25日の朝一番のマラソンの選手からは、「I have to run marathon. I must sleep now.!! No culture, Chaos here!!」など、ボロクソです。我々は、ひたすら謝りつつ、「他のホテルに移動するか、このロビーで寝るかの2者択一である」ことと、「私たちは、ボランティアでどうしようもない」ことを伝えるしかありませんでした。そして、23時40分に、電車がなくなるので、後ろ髪をひかれる思いでホテルを後にしました。
翌日確認すると、結局、AZEの方たちも諦めて南港のホテルに宿泊されました。そこで、こちらのホテルに先に泊まっているメンバーに、むこうの連絡先などを伝え、むこうで何か困ったことがあったら私に連絡するように伝えました。すると、「チームの通訳係のビザは、滞在15日間で9月5日に切れる。その日までの航空券が取れず、9月9日のチケットを取得。その間4日間のビザの延期をしてほしい。」とのこと。そこで、入国管理局に電話をし、8月27日にその通訳を連れて入国管理局に行き、ビザの延期手続きを済ませました。
というようなことがいろいろとありました。競技が始まってくると、出場するまでの手続きや誘導、そして応援のため長居競技場を往復。競技が終わると、そこからは、大阪案内。大阪の地図やパンフレットを渡し、盆栽のお店、大型楽器店、タトゥーのできる店、お土産店などを教えてほしいなどの質問に、いろいろと探して資料を渡し、観光に大阪城や道具屋筋、海遊館などに数回行きましたし、南港の観覧車やサンタマリア号にも選手と一緒に乗りました。5か国相手は大変でしたが、選手の競技や観光時に撮影した写真を印刷し、それを選手たちに贈るなど“おもてなし”を心がけました。
帰国前には、ホテルのロビーで選手たちと記念写真を撮り、お土産の交換をして、バスを見送りました。思いもよらないお土産をいただいたのと、バスで見送られる皆さんの笑顔をみて、満足をしてもらえたかなと思いました。
チームアタッシェをやって、最初の頃は、びっくりするようなことが立て続けに起こりましたが、字数の関係で、ここには書ききれない、嬉しいこともたくさんありました。15日間ボランティアをやっていて本当に良かったと思いました。
次回、「もし可能であれば、東京オリンピックで開催期間を通しての活動ができればと」密かに思っております。