Members Column メンバーズコラム
「リブート」する。
熊倉三重子 (株式会社創晶) Vol.498
1年2か月前に娘同様な存在であった姪っ子が白血病で亡くなりました。まだ18歳という短い生涯でした。競泳選手の池江選手と同じ年で、同じ病気。「死ぬ」ってあっけないものだとただただ実感しました。死ぬ間際に横浜へ最終近い新幹線で私と娘は間に合い、最後まで気を遣う優しい姪っ子。どんなに私が代わってあげたいと思ったことか。勉強もできて、テニスを頑張って、文武両道で自分が行きたい進学高校に入学目前に我が家で発覚し、2年9か月の闘病でした。横浜国立大学教育学部に進学し、学校の先生になるのが夢でした。優しすぎるので、中学時代はいじめにあい、楽しみにしていた高校生活は、1年遅れで入学しましたが、半分以下でしか通えず、それでもテニスの部活動を続け、学校の先生になるという夢に向かって必ず治るって前向きに生きようとした姪っ子に対して、世の中は本当に理不尽すぎる。
それから、何もできずに、ぼんやりとダラダラと過ごす日々。ただ何も予定を入れないので、時間はやたらとあるので、3月にエントリーしていたマラソンのために、走りに行ったりしたが、そんな気分ではまったく記録はよくありませんでした。もっと悲しみに暮れている妹家族や、妹のような存在を失った娘と息子の方がつらいのに、寄り添ってあげることはできませんでした。友達たちも私に気を使って連絡をしてきませんでした。それが、そのような状況を知らないあんまり連絡を取っていなかった友達から連絡が複数来たり、新卒で入ったキーエンス時代の上司や先輩と24年ぶりに再会したりと重なり、やっと仕事以外で徐々に外出する機会ができ、それがきっかけで、半年くらい前から「リブート」しました。娘と息子が姪っ子の分までも、頑張って生きようとしているのに、自分は何もしてない事に気づき恥ずかしくなったのも1つのきっかけです。
私は昨年10月に生まれて半世紀になりました。これからの残りの人生は、姪っ子の分まで頑張って生きようと決めました。そして、まず、身近なことから計画を決めました。私は今まで一人暮らしをしたことがありません。私の同年齢の友達で文系に行った者の半分は留学経験があり、多少なりとも英語が話せます。口では行きたいと言いながら、臆病者の私は行くことができませんでした。それが、娘が突然2年前に半年間UCLAに留学しました。そこで、私も英語が日常会話ができるまで頑張ろうと、英語の勉強を始め、留学しようと計画しております。そして、ゆくゆくは海外でボランティアをしたいという目標を決めました。
そして、ダラダラでめんどくさがりの私ですが、歯をきちんと磨くと決めました。母が認知症で総入れ歯なのですが、認知症の原因になったのではって思ってます。子供たちの弊害になりたくないからです。いつも朝に1分ほどのブラッシングしかしなかった私でしたが、40年間お世話になった歯医者を替え、最新鋭の歯科医院に通い、歯の磨き方や2か月に1度検診を受けて、2種類の歯ブラシ、フロスや歯間ブラシの4本を使って10分ほど1日2~3回ブラッシングするようになりました。週に1回はジムに通って筋トレをして、3月の名古屋ウィメンズマラソンを走って、東京オリンピックを目指します(笑)。映画も月に2回見に行くようにし、昨年は19本。今年は今の時点で、6本。今年のアカデミー賞の作品賞の9作品のうち5作品を見ております。私としては、「ジョーカー」でしたが。「ジョーカー」も半世紀記念日に見に行きましたよ。誕生日に見に行くような内容ではないですがね、、、。そして、できるだけ、お誘いは断らずに、いろんな会に参加したり、いろんな出会いをしようと決めました。一番の夢は、「起業」です。それを目指します。
現在、メキシコ・カンクンに来ております。わが連れ合い(夫)はブラック企業なので休めませんでしたが、娘、息子と、そして妹家族と来ております。大学時代からいろんな国を訪れましたが、四半世紀前に初めて訪れてから、一番ハマった7回目のカンクン。姪っ子とは5回来ました。8年ぶりです。このきれいな海を見ながら、姪っ子とのことを思い出しております。
姪っ子は、死ぬ6日前に初めて、「もう無理かもしれない。」と初めて弱気を吐きました。それまで、どんな治療にも、しんどい、痛い、苦しいなど愚痴一つ言わずに頑張って治療を続けてたのに、それを聞いた妹は驚きました。そして、それから崖から転げ落ちるように、急激に悪化しました。
姪っ子の分まで何かをしようと決めた私は、最後まで諦めません。諦めたら終わりだと姪っ子から教わりましたから。