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水戸黄門や井伊直弼と縁がある「高松城」

木村美香 ((有)テイクワン)  Vol.347

木村美香

日本三大水城の一つ「高松城」。
完全に海水を掘に取り入れたお城は、その中でも高松城だけ。
別名、玉藻城。
「玉藻よし 讃岐の国は 国柄か 見れども 飽かぬ」
万葉集で歌人 柿本人麿が讃岐の地に来た時に詠んだ歌で「玉藻城」と言われる由縁と言われています。また、お城のあった場所の海が「玉藻の浦」と呼ばれていたことも由来しているとか。
今ここは「高松城史跡・玉藻公園」として高松市民に親しまれています。
城や歴史が好きな方にはたまらない魅力がたくさん詰まっている「高松城」。
今回はうどん県高松市在中の木村美香がご案内をさせていただきます。

~歴史編~
①讃岐高松藩初代藩主 松平頼重は、水戸黄門で有名な水戸光圀の兄。
光圀公は本来ならば、兄 頼重が水戸家の藩主になるはずであったのにそれを差し置いて自分が藩主となったことを遺憾としたため自分の息子、頼常を頼重の養子とし、光圀の
息子が高松藩二代目藩主となった。
そして、頼重の息子が水戸への養子となり、光圀の後の水戸藩三代目藩主には頼重の息子がなる。
その縁で、高松市と水戸市は親善都市縁組を結んでいる。
②「安政の大獄」「桜田門外の変」で有名な、井伊直弼(彦根藩)の娘「弥千代姫」は高松藩最後の藩主「松平 頼聰」のお嫁さん。
婚姻関係にあったお二人だが、父 井伊直弼の行った行為により、「弥千代姫」は離縁されてしまう。しかし、月日は流れ9年の後、まだお互いに想いを寄せていた二人は再婚。
東京で、幸せな結婚生活を送っくた。
この縁で、高松城と彦根城は姉妹城都市縁組を結んでいる。

高松藩・水戸藩・彦根藩?幕末の日本の歴史を覗いてみると、縁が深く、また絡み合った間柄であったようでございます。

~お城の小ネタ編~
①高松には、「特別名勝 栗林公園」という大名庭園がある。その公園の広さは東京ドーム3.5個分。そこに植えられている松は1400本。
史跡高松城跡・玉藻公園はそれに比べ、大変こじんまりとしている広さだが、ここには1100本の松が植えられている。
面積当たりの松の本数は、玉藻公園が見ごたえあり!となる。
②墓石で有名な「庵治石」。日本三大石材産地としても有名な庵治町で採取される庵治石は、とても希少で高価なもの。
庭園には、庵治石の灯籠、橋桁、つくばい、靴ぬぎ石などが多数あり、それらは全てが昔の人の手作業で作られたもの!芸術作品を見て歩くだけでも圧巻。
?海水を引き入れているお堀には、約300匹の「鯛」がいる。公園内にある「餌場」から魚たちにエサを投げ入れた時、「マダイ」「クロダイ」の食いつき方は…「凄すぎる!」としか言いようがない。

本当は、まだまだたくさん見どころはありますが、今回はほんの少しだけピックアップしてみました。

今年の元旦に、子供たちと玉藻公園を散策して感じたこと。
公園内の松の緑の鮮やかさ。元旦ということで普段は入ることができない櫓に入り、そこから眺めた瀬戸内海の美しさ。
「自分の住んでいるところの歴史や美しさ伝えていきたい!」。その思いから今回のコラムを書かせていただきました。

「讃州讃岐の高松様は 城が見えます波の上」
高松城は瀬戸内海から観ると、海の上にお城が浮かんでいるように思われたそうな。
そんなお城の天守閣。実は、現在は無く復元中です。この天守閣が完成されたら、四国一の大きさを誇るものとなります。
壮大な浪漫が広がる?!
でも、復元にはお金と時間がかかり…復元できたとしても、その頃には、私はもうこの世の人ではない…と言われています。

「高松城」
少しでも、みなさまに知っていただけましたら幸いでございます。

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