Members Column メンバーズコラム

観光ビジネス成功の秘訣は『物語』にあり

川井徳子 (株式会社ワールド・ヘリテイジ)  Vol.103

川井徳子

 平成23年11月、弊社ワールド・ヘリテイジは、一つの大きな評価をいた
だきました。初めて奈良も仲間入りをした「ミシュランガイド京都・大阪・
神戸・奈良2012」のホテル部門に私共の「ホテルアジール・奈良」が2パ
ビリオンマークをいただいたことです。
 奈良ホテル(3パビリオン)、ホテル日航(2パビリオン)、ホテルフジタ
(1パビリオン)、など大手ホテルチェーンが経営するホテルと並んで、私
共のような地元の小さな企業が経営するホテルに対して、このような評価を
いただけたことは、身に余る光栄と喜んでいます。

 そんな「ホテルアジール・奈良」の物語は、倒産したホテルを買い取ると
ころから始まりました。リニューアルして早13年が建ちます。奈良の宿泊
業界には、老舗の有名旅館がたくさんあり、100年の伝統を誇る奈良ホテル
がそびえています。奈良の観光の源が世界遺産にあることを思うと、ビジネ
スタイプのホテルばかりが増えていくことをもったいないなぁ、と捉えてい
ました。

 旅館ホテルの同業者の方から「あの施設でよくパビリオンをとったなぁ」
と言われたように、古くて小っぽけなホテルです。JR・近鉄奈良駅からの
利便性はとても高いですが、室内からの眺めはけっして良いとはいえません。
しかしながら、ミシュランガイドにおいては「設え」に高いご評価をいただ
きました。設えとは施設デザインのみならず、サービスとの一体化にポイン
トが在るだろうと考えています。

 改装にあたって心がけたこと。それは、奈良という日本文化の源において
は、ホテルという西洋スタイルの空間にあっても、日本的なるもの、奈良的
なるものを感じていただきたい、ということでした。木をふんだんに使い、
建物内に橋を渡したり、共有スペースに囲炉裏を造るなどして、結果的にど
こにでもある均質な効率重視のビジネス・ホテルとは一線を画したものとな
っています。思い返せばオープン当初にイタリアのTV局が取材に来てくれた
事も、私たちなりの想いを受け止めていただけたからかな、と感じています。

 ホテルの称「アジール」とは「聖域、避難所」を意味します。そこに逃げ
込んだ人々は保護される場所、いわば鬼ごっこにおける陣地のようなイメー
ジです。奈良という地域は日本人にとって、心の原点の「聖空間」といえる
のではないでしょうか。その玄関口に私共のホテルはあります。つまり、私
共のホテルは聖空間・奈良の門の役割を担う位置にあるのです。

 大都会の人々に、日頃の心の澱を洗い流す場所となって欲しい、という気
持ちもあり、フロントには暖炉を据えました。暖炉の周りでくつろぐことが
できるよう、椅子や小さなテーブルも用意しました。ゆらめく炎を眺めてい
ると、不思議と心が安らぎます。そんな「心のごちそう」をお客様に提供し
たい、お客様を暖かい気持ちでお迎えしたいと考えたのです。

 暖炉を置いたもう一つの理由は、昔の人々にとって「火」は極めて神聖で、
厳かなものであったことを知って欲しいと考えたからです。大きな松明に火
を灯す東大寺・二月堂のお水取りは、1261年もの間、途絶えることなくそ
の伝統を受け継ぐ行事です。電気の灯りで暮らす私達は、火の神聖さについ
て考えること、昔の人々の思いに至ることは、滅多にありません。しかし、
奈良だからこそ、そういう気持ちを感じていただくことが可能であり、その
瞬間を創り出す事が私たち観光事業者の大切な心であると思っています。

 しかしながら、この暖炉の世話を上手にできるようになるまでに、また、
お客様をしっかりとお迎えできるようになるまでに、ずいぶんと時間がかか
りました。暖炉にも、スタッフの心にも「魅せる火」をおこすには習熟が必
要です。だからこそ今、暖炉の前でお客様がミニ本棚の本や、自分の本を広
げてくつろいでいらっしゃるのを拝見すると、本当に嬉しいと感じます。ま
た今後より一層、暖炉脇に設置したコンシェルジュ・デスクも含めて、スタ
ッフがお客様と対話する空間となれれば、と考えています。

 物語を紡いでいくのは、やはり人です。私共ワールド・ヘリテイジの根底
にある理念、「世界的視野に立って、自然に対する美意識や文化の重みを伝
えていきます」ということをどう表現していくのか。そのことについてスタ
ッフが常に心がけられるようになることが、最も大切だと考えています。現
場の最前線に立てない経営者は、仕組み作りを考えることしかできません。
スタッフに日本的美意識について理解を促し、サービスを通じて、お客様に
伝えていけるように整えることです。スタッフ一人一人が輝く瞬間をサポー
トすることしか、私にはできないのですから。

 観光とは、国の光を観ること。我々事業者からすると光を見ていただき、
人を魅せる事です。それは、訪れた方々に「心動く瞬間」を手渡すことでは
ないでしょうか。サービスとは、もののように見える形で手渡されることは
ありません。しかし、お客様の心が動く時を創り出すこと、お客様が、自ら
の旅の物語を紡がれるお手伝いすること、それが観光の原点ではないか、と
考えています。

 平城遷都1300年記念事業を通過点として、奈良の観光も大きく変わって
いく時が来ているように思います。同時に、観光立国という国の方針にあり
ますように、日本のアイデンティティーを世界に伝えていく努力をする時代
にさしかかっています。日本国とは何か、私達日本人とは何者なのかを知っ
ていただくことについて、奈良は重要な鍵を握っています。私達奈良人は、
日本文化の源流にあって大切なものを伝えていく大きな役割を担っているの
です。日本の物語が、自らの物語と重なり合ってこそ、真にグローバルな人
として生きていくことができるのだと思います。自分が何者であるのかを探
しに、ぜひ奈良へ足をお運びください。

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