Members Column メンバーズコラム

うめきたプロジェクトと共に一歩前へ

神門英昭 (積水ハウス株式会社 開発事業部)  Vol.748

 うめきたプロジェクトに関わりはじめてから早20有余年。グランフロント大阪は開業11年になりますが、今も月1回の事業者会に参加しています。2018年にコンペ当選し共同事業者の一員となったグラングリーン大阪はうめきた公園と共に昨年9月に先行まちびらき、そして今年3月21日にグラングリーン大阪南館がグランドオープンしました。10年ひと昔、今や10年ふた昔とも言える変化のスピードが速い昨今、20数年前は遥か遠い昔の話ですが、この機会にプロジェクト当初の頃を超ざっくり振り返りたいと思います。

 1999年に今在籍している不動産開発の部署に異動し、2002年の梅田貨物駅(通称北ヤード24ha)の国際コンセプトコンペ以降からうめきたプロジェクトに関わり始めました。2003年に大阪市の「大阪駅北地区全体構想」の中で、都心に残された最後の一等地において、知の拠点(ナレッジキャピタル)を形成し、ロボット、健康・医療、IT、環境技術、ナノテクなどの新産業の創出へつなげていくことが目標の一つに掲げられました。これまで従事してきた賃貸マンション・オフィス等の建築設計とは全く次元が異なる大規模複合開発事業でした。新産業の創出という異分野のテーマに対しビジネスについて学ぶ必要を大いに感じ、唯一のビジネスコンサルタントの国家資格である中小企業診断士試験のチャレンジを決意しました。2004年に「大阪駅北地区まちづくり基本計画」が大阪市で策定され、開発事業コンペの提案内容・コンソーシアム体制の調整が日々進められるなか、土日を中心に仕事とは直接関わりのない分野の受験勉強に仕事の傍ら取り組みましたが、1年目は不合格。2年目の2005年(開発事業コンペがスタートした年)に何とか合格。翌年2006年に参加しているコンソーシアム12社が開発事業者に決定しました。試験のために勉強した知識なんて直接実務で役に立つことなどほとんどありませんが、試験合格後の資格登録前に行われる実務研修(4,5人のグループで中小企業を訪問ヒアリングし訪問企業へ改善提案を行う)はとてもいい経験となりました。また、実務研修でお世話になった先輩方に紹介いただいた勉強会に参加してネットワークを広げることができました。これも何かの仕事に直接つながるわけではありません。そこでご一緒させていただいた樽谷さんに紹介いただき初めてのKNS参加となりました。1歩前に踏出したことで必ず飲んで騒ぐ新しい世界へデビューできました。中小企業診断士試験合格しても企業内診断士やコンサル業務をするわけでもないので、名刺交換の際に一級建築士と中小企業診断士という珍しい組み合わせが話題にできるくらいがメリットだったかもしれません。

 2011年2月に大阪駅北地区の名称が「うめきた」に決まり、同年4月にグランフロント大阪の名称とロゴが発表となりました。2011年は大阪・神戸・京都のシティマラソンが始まった年でもあります。梅田スカイビルが竣工した1993年にホノルルでマラソンデビュー。これが最初の一歩だったかもしれません。以降いくつかマラソンは走っていましたが間があいていました。高倍率のなか3大会とも当選し走りました。そして翌年グランフロント大阪開業の1年前にはトライアスロンデビュー。それをきっかけに宮古島トライアスロンへ挑戦した話は以前KNSコラムで書かせてもらいました。何かばらばらの話ですが1歩前に踏出すことはいろいろ繋がっていると感じています。

「うめきた」という名前もすっかりなじんだように思います。

 今年の12月で定年の65歳になります。グラングリーン大阪南分譲棟そしてうめきた公園の残り1haを含めた街区全体(9.1ha)の完成予定は2027年度です。それまでは「うめきた」になんらかの形で関わっていきます。

 グラングリーン大阪は「このまちを訪れる方が前向きになれるまちであること」、「まちでの出会いが、様々な価値を創造し、持続的にみんなと社会全体を良くしていくこと」を目指しています。

 私自身もまた一歩前に踏出したい。

 宮古島トライアスロンへの挑戦を続けていますが、参加資格が4月の大会時の満年齢が65歳以下です。こちらもターニングポイントとなります。1歩前へ。

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