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縁なし、コネなし、知識なしのインド逆営業顛末記

古芝義福 (枚岡合金工具株式会社)  Vol.526

古芝義福

2020年1月も終わるころ、何を思い立ったのか発作的にインドに行きたくなったのである。
なぜインドと訊かれても納得させるだけの材料は私には持ち合わせていない。
過去の行動体験のなかで情緒的価値観で行動した結果、自身の満足感が高かったからである。
その価値観の中身は「ゼロベースから何かを生み出したい」というフロンティア精神だと勝手に思っておるのです。
さて、紹介が遅れましたが私は大阪生野で輸送機器の鍛造部品金型メーカーの三代目社長です。
はっきり言って、技術は中庸、設備は老朽化、熟練工はいないがITリテラシーは高いサービス精神旺盛な怪しい金型屋と言っておきましょう。
話は元に戻して、一体何しに行くのか?

訪印目的の背景事情を言うと日本国の市場性である。10年先その市場は小さくなっていると想定する。
選択肢は(1)縮小(2)廃業(3)海外販路(4)業種転換の4つです。
その目的とはインド国内で開催される展示会出展企業に金型の逆営業をかけること。
東京で出展していた際、外国籍の営業マンが悪びれる様子のなく我がブースで営業する
そのど厚かましさ、いや行動力に商人の神髄を見た思いがしたのです。
「国内では煙たがられるが海外では当たり前のビジネス手法、ならば海外でやってみたい。」
これを思いついたのが今年の1月の事です。
早速、堺筋本町のインド領事館でビザ申請すると出発日に間に合いませんとの回答。
思い立ったら吉日ばりの無鉄砲さで我ながら呆れてしまいます。
「やっぱり無理か?」とあきらめかけのところ、領事館職員から
「日本国だけアライバルビザがデリー空港で発行されるよ」とこの朗報に日本の先人達に
感謝するのでありました。
出発は成田からのデリー行JAL直行便で11時間。。もちろんエコノミーですよ!
入国審査をすませアライバルビザ発行コーナーへ。なんと日本人コンシェルジュがいるではないですか!
インド政府による最恵国待遇にまたまた感謝するのでありました。
空港ゲートを出て取り出したのが最も頼りにしているパートナー「ポケトーク」。
早速ホテルがよこしてくれたタクシードライバーに「ホテルまで何キロ?」「時間は?」
と翻訳機を通してコミュニケーションを進めるつもりが、うまくいかない。
原因は強烈なインド訛りの英語にポケトークが混乱しているのである。
これでは明後日からの展示会はパートナー不在となり
私のボデーアクションとスケッチだけでコミュニケーションをとらなければならない羽目になると凄く心細い思いを、
けたたましいクラクションの騒音を発し続けるマルチスズキの軽自動車で埋め尽くされた渋滞の帯を
ホテルまで10キロ二時間半かけてインド訛り英語のドライバーと成立しないコミュニケーションでかき消していたのでありました。
翌朝パソコンでジェトロデリー事務所の電話を調べ、アポを取る。用向きは通訳の手配です。
昨夜おおよそ日本人が泊まらないだろうと思われるホテルでチェックインに一苦労。
ここでポケトーク君に別れを告げる決心をする。
デリー事務所の紹介でNECデリー事業所へ。
国内最大の現地の日本語通訳保有数を誇っている紹介機関でもあるのです。(社員も兼ねております)
「顔はベンガル、魂は日本人」とキャッチコピーを持ってる通訳君。
頭脳明晰でハンサムな男性通訳という武器を手に入れたことで一安心。
明日からの展示会へのワクワク感こそが今日一日の大変さを癒してくれたのでした。
3日目の朝、国際展示会場に到着し、早速ターゲット企業のブース群をアタック。
昨日渡しておいた日本語の会社パンフレットやウェブサイトに目を通してくれたらしく、
阿吽の呼吸でよどみなく通訳してくれる超優秀な通訳君のおかげで明後日工場訪問のアポを取りつける。
アポ先は民族系(ネイテイブ企業)の鍛造メーカーである。
2日間の逆営業はアポ訪問1件→継続して営業中。
メールで商談継続中1件。FB友達申請3件という結果になりましたが、
総括すると
1.逆営業は嫌がらない。むしろ日本人にはフレンドリーである。
2.インドでは専業性の為、場立ちは営業マンのみ。なので技術的な話ができない。
3.ビジネスを進めるスピードが速い。興味を持てばすぐに工場に来てくれ。契約の話をしよう!
4.アジア諸国の展示会よりも日本の展示会の空気と瓜二つ。ビジネスモードのブースが大半を占める。
5.読むではなく見てわかる販促資料があればグーグル翻訳でも理解可能
6.日本語で「ありがとう」なのに「謝謝」と言ってくる人間が多数いるがそれは誤った認識で悪気はない。
以上総括した結果、2021年度はデリーとムンバイで出展します。(コロナ禍終息が条件)
時系列に印象深い出来事を粗っぽく並べただけのコラム?になりましたが、
書ききれないことが多く、この縁なし、コネなし、知識なしのインド逆営業顛末記ストーリーはまだまだ続きます。

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