Members Column メンバーズコラム

馬見岡綿向神社境内

地方の祭りから考える社会の変化

西村成弘 (神戸大学)  Vol.745

 こんにちは。
 KNS世話人のひとり、西村です。
 2024年4月から神戸大学に移り、活動エリアが大阪から神戸へと広がりました。京都を含め、日ごろはいわゆる「三都物語」(JR西日本)で生活をしているのですが、毎年、連休が近づくと「心ここにあらず」といいますか、「心、京阪神にあらず」となります。そう、5月3日はDNAに刻み込まれた故郷の祭、日野祭りがあるからです。

日野祭りと私

 日野祭りは、滋賀県日野町の馬見岡綿向神社の春の祭礼で、850年以上の歴史があります。テレビニュースや新聞で「豪華絢爛な」と形容される曳山や神輿、お稚児さん芝田楽の渡御などが見どころです。今年は14基の曳山(町内には全部で16基ある)が宮入し、天気が良かったこともあり大勢の人々が見物に来ていました。
 日野町で生まれ育った私は、物心がついた時から祭囃子に浸り、口承と見様見真似で笛(草笛)を覚え、囃子方として曳山に乗っていました。その後、次第に生活の重点が京阪神に移り十分な練習もできないので笛は後進に譲り、いまは娘とともに曳山を引いて参加しています。それでも、祭囃子が聞こえてくると、DNAが疼きだし、近江日野生まれの誇りのようなものが脈打ってくるのです。
 物心ついたのが何歳なのかは正確には分からないのですが、今年でかれこれ半世紀近く祭りに参加したことになります(イギリスで在外研究していた年やコロナ禍で居祭となった年を除く)。振り返ってみると、この間、ずいぶん変化があったように思います。祭礼そのものの進行にも変化がありました。850年を超える日野祭りの歴史を振り返ると、祭礼に用いられる曳山の大きさや基数、神輿や渡御の方法などは時代とともに大きく変わってきており、むしろ変化こそ伝統を引き継いでいくうえで重要であると言えるでしょう。
 祭礼の変化も大事なことですが、マニアックすぎるので詳しいことは記しません。むしろ、このコラムでは、祭りに参加する人の変化について、感じるところをいくつか記してみたいと思います。

祭りに映る社会の変化

 祭りへの参加の仕方、あるいは参加者にはいくつか種類あります。氏子を中心に祭礼の進行を取り仕切る人、曳山や神輿の運行に携わる人、日野祭りのゲスト、そして観光客です。私は「携わる人」と「ゲスト」の中間あたりに位置するのですが、日野祭りのゲストは祭りの特徴も説明できるので、まずは少し説明します。
 日野祭りが行われる日野町は、近江商人の一つ日野商人の故郷です。日野商人は関東をはじめ日本各地に店(たな)を構えて行商を行っていました。18世紀末からは日野商人の繁栄とともに曳山が「豪華絢爛な」ものとなり、祭日には親族縁者や関係者をゲストとして迎えて盛大にもてなしました。日頃は質素倹約な人々も、日野祭りの日だけは特別です。なかでも「鯛そうめん」は日野祭りのための特別な料理で、私も大好きです(死ぬ前に何か一口食べるとしたら鯛そうめん)。「琵琶湖の鮎は外に出て大きくなる」というのは近江商人の特徴を形容するときに使いますが、日野出身者で県外で活動している人々が祭りに帰ってくるので、日野祭りはちょっとした同窓会にもなっています。今年も多くの同級生と挨拶し、お互い50を過ぎて頑張ろうなとエールの交換をしました。地元で頑張っている同級生も、外で活動する同級生も、ともに毎年1年ずつ年を重ねています(これも変化)。
 祭礼の進行を取り仕切る人についてどのような変化があるのかは、詳しくはわかりません。しかし、聞こえてくる話を総合すると、各町の代表が時々の情勢に合わせて真剣に祭りの段取りを考えておられる様子がわかります。
 曳山や神輿の運行に携わる人には、この何十年か、大きな変化がありました。一つはジェンダー平等です。子どものころ、曳山に乗ることができるのは男子だけでしたが、次第に女子も乗ることができるようになり、今は当たり前になりました。私の娘たちも曳山に乗せてもらえて喜んでいました。また、お稚児さんは長らく「8歳の男児」でしたが、今年は3人のお稚児さんのうち1人は女児でした(19世紀中ごろまでは女児が担っていたようですが)。もう一つはグローバル化です。子どもの頃の祭は「地元の祭」でしたが、魅力に惹かれてトム・ヴィンセントさんやモーア・オースティンさんなどが日野を拠点に活動をはじめ、祭りをはじめ日野町全体を盛り上げています。彼らの発信力のたまものなのか、今年も多くのインバウンドの方々が見えられていました(ちなみに日野は交通の便が良くなく、日野までリーチされることだけでもリスペクトに値します)。

「大人」を学ぶ場

 「携わる人」と「ゲスト」の中間あたりにいる私としては、今年のお祭りは、前者の視点からの変化も感じ考えさせるものでした。
 私が見様見真似で笛を習ったのは、親世代の「大人」からであり、中学生か高校生のころまでは一緒に曳山で囃子をしていました。もちろん囃子も習うのですが、記憶に残っているのは、お酒の飲み方(!)や曳山を曳行する集団での判断の仕方など、実にさまざまな「大人」の作法・ふるまいを習ったことです。もちろん、すべてを完璧に身につけられたわけではないし、身につけるべきでないこともあると思うのですが、それでも「大人」の感覚・姿勢は学べたように思います。もう一つ重要なのは、学びたいと思う「大人」がいたことです。そのような「大人」は、実に懐が広く、子どもが若気の至りで少しやんちゃなことをしても、大目に見ていました。もちろん大けがをしそうなことをすればひどく怒られたように記憶しています。地域に「大人」がいたこと、準備を含めた祭りが「大人」が次世代を育てる舞台となっていたことが大事な点だろうと思います。
 ところで、先日、神戸の企業経営者の方々とお話をしているとき、バブル崩壊後の「失われた30年」のなかでもっとも失われたのは次世代を担う若者の元気さではないかということが話題に上りました。元気さ、あるいは元気な人というのは、私の理解では、無鉄砲でやんちゃをする人のことです。たしかに、今の若者(私が見ているのが主に学生ですが)、まじめで自制的でいい子なのです。しかし何かちょっと足りないとも思います。このことについては、若者が悪いわけではないと思います。私はむしろ、「大人」の問題と、「大人」に学ぶ機会が少なくなっていることに問題があると思います。
 はたして自分は学ぶべき「大人」としてふるまえているのだろうか、懐深く、根気強くやんちゃを見守ってやれるのだろうか、そして「大人」を学ぶ機会を、自分もそうですが、社会全体としても提供できているのであろうか。祭りを触媒に、いろんなことが見え、考えさせられたのでした。

 

日野祭り(日野町ホームページ)
https://www.town.shiga-hino.lg.jp/category/31-4-0-0-0-0-0-0-0-0.html 

日野観光協会
https://hino-kanko.jp/festival/hinomatsuri/ 

 

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