Members Column メンバーズコラム

大阪・梅田に魅力的なみどりと公園を

橋本武士 (阪急阪神不動産株式会社)  Vol.632

みなさま、お世話になっております。阪急阪神不動産の橋本と申します。現在は、主に梅田の不動産開発の担当をしています。昨年は久々にリアル開催された9月3日の定例会(第71回定例会 in 関大梅田キャンパス)に参加し、少し懐かしい方々とも久々に直接お話できましたが、このたびコラムを書く機会を頂いたので、自己紹介を兼ねて、仕事廻りの諸々について書かせていただきたいと思います。

さて、私がKNSの活動に初めて参加させていただいたのは担当業務がきっかけで、2014年でしたのでもうすぐ9年になります。入社以来、高架下や駅前など阪神沿線の不動産物件に関する業務(工事、開発、管理)が中心で、(ここでは詳細触れませんが西梅田公園の改修工事に民間の協議会を通じて関わったのを除いて)それまで梅田とはあまり縁が無かったのですが、2014年に異動となり、梅田1丁目1番地計画(大阪梅田ツインタワーズ・サウス)の開発担当となりました。

不動産開発といっても、ハコとしての建物を建てるだけでなく、そこに集まる人々の交流が都市の発展には不可欠という考えから、関西における人財育成・起業支援・異業種交流の拠点づくりに向け、これらに資するようなコンテンツを自主・連携企画の両面で提供する「梅田MAG」という取り組みを行なっており、外部連携の中にKNSの「コミュニティスポット2525」がありました。その後担当も変わりましたが、引き続き個人的に参加させていただいています。

梅田サウスが立地する梅田1丁目は、大阪駅前の一等地かつ街区の形状が五角形ということもあって「ダイヤモンド地区」の愛称で呼ばれる10haほどのエリアです。昭和の時代に、先陣を切って開発が進められたこのエリアは、大阪駅周辺が近年大きな変貌を遂げる中、少々取り残され感がある地区でもありました。また、梅田は地下空間が発達した分、地上部はやや賑わいが不足し、開発された当時の魅力も希薄化してきたことが否めません。

そこで、地区の活性化に向け、地権者企業の方々とエリアマネジメントに関する勉強会を行うことになり、「地上の復権(地上の活性化)」「地区全体の公園的空間化」を長期目標像に据えて、人の空間、豊かなみどり、賑わいの実現に向けて取り組むべきことを議論・検討しました。また勉強だけではなく、実践的な取り組みとして地域イベントの企画・実施にも取り組んできました。 

当時は、うめきた先行開発地区(グランフロント大阪)やJR大阪駅の開発などが進む中、ダイヤモンド地区における地上の復権を目指し、「うめきたに負けるな!」との(密かな)想いで、活性化の検討や取り組みを行っていました。

ちなみに賑わいづくりの取り組みとしては、屋外の音楽ライブや脱出ゲーム(謎解きゲーム)等のイベントを行い、その際の内容については、KNSのプレゼン大会でも以前に報告をさせていただきました。

その後、2018年に梅田サウスの1期棟(低層部百貨店の一部)が完成し、少し一息ついた10月に、丁度そのころUR主催のコンペで事業者が決まったばかりの、うめきた2期開発の担当部署へ異動となりました。

うめきた2期開発は約4.5haの都市公園を含む大阪駅前の貨物ヤード跡地の開発です(このコラムでは3回目の「公園」登場です)。現在はその開発担当として、2024年夏の先行まちびらきに向け、日々取り組んでおります。近況としてはこの辺りの話となるのですが、本件は複数社の共同事業で、具体的な内容は何かと書きづらいところもありますので、詳しくはまた交流会の際にでもお声がけいただくとしまして・・・、私個人のうめきた地区との関わり(思い出)について少し触れたいと思います(→先日タイムリーにプロジェクト名称・ロゴが発表されたところですので、公式サイトをご紹介しておきます(https://umekita2.jp)。私もサイト内のどこかには登場していますので、よかったら探してみてください)。

うめきた(大阪駅北地区)は、以前は梅田北ヤードと呼ばれる鉄道の貨物ヤードで、その周辺エリアも含め、近隣の梅田スカイビルやウインズ梅田等のスポットを除いて、今ほどは訪れる人も多くなかったのではないかと思います。

少し話は変わりますが、1990年代後半、当時私は建築学科の学生でして、主に学生を対象とした設計アイデアコンペが毎年あり、ゼミの同級生と応募したことがありました。その年のテーマは「市場をつくる」というもので、場所の設定等は自由だったため、梅田貨物ヤードを対象地に選びました。どういう経緯で、どんな提案だったか細かい所は忘れてしまいましたが、ECが進みつつある中、物(物流)にダイナミックに触れる場所として着目して設定したと何となく記憶しています。提案作成に際し、当時ほとんどなじみの無かった計画地周辺をリサーチしましたが、大阪駅の目の前に広大な貨物ヤードがあるということが、違和感とともに新鮮味もあって、普段あまり意識されない場所を、人々が集まるような魅力的な場所に転換する試みが面白いのではないか、と考えたように思います(多分)。また、中津・大淀・福島と、梅田という性格の異なるエリアの接点にあるこの場所がとても不思議な、コラージュ写真のようでもありました。

そんなこともすっかり忘れていましたが、勝手提案の学生のコンペから約25年経った今、ほんの一端ではありますが、同じ場所でのまちづくりに実際に関わる機会が得られているということはとても感慨深いです(当時の写真が手元にあったので、現在との比較写真を掲載します)。

梅田といっても、1駅分を含めた1〜2km圏内には様々な特色・個性のあるエリアがあります。これらが時には競い合いながらも、緩やかにつながり、気軽に、容易に行き来できる環境にあることが、梅田全体が活性化し、競争力のある都市となっていくためには重要です。うめきた地区が、梅田でありながら、みどり豊かな場所となり、リアルに人が集まり、交流することを想像しながら、日々取り組んでいきたいと思います。

また定例会などで皆様とお話しできることを期待しつつ近況報告(ほとんど思い出話でしたが)とさせていただきます。

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