Members Column メンバーズコラム
街角のアマテラス
藤井保 (つくり図案屋) Vol.161
皆さまコンニチワ!
デザイナーの藤井です。かつて存在した大阪水道局扇町庁舎内のメビックに居ました。
そこからKNSに参加させて頂いております。
今回、初めてコラムを書かせて頂きます。つい先日までメビックで開催されていた「わたしのマチオモイ帖」に出展するにあたり、長い文章を書いて疲れました。
その延長ですが、ちょっと一息の珈琲タイムとして、最近あった出来事です。
去年の夏頃、休憩に行っている近所の喫茶店に、80歳半ば、ひとりの老人がフラッと来ました。
首からカードを下げて、そこには緊急時の電話番号がありました。
カウンターの端に座り、「アーウー」と何を言ってるのかよくわからん。
次の日も、喫茶店に来ましたが「アアア、ウ?」ホンマ何を言ってるのかわからん。
重く暗い、気難しい雰囲気、チャックの前が全開やん、服装もだらしない。
徘徊老人?ボケてるような感じもする。
近辺はビジネス街なので、普通はこんな客アウトですわ。
後日知りましたが、他では嫌がられて行き場が無かったんです。
しかし、この店のママさんは若いのに老人に面倒な顔を見せない。
店はとても流行っているから忙しいけど、さりげなく気遣いをしたり、話かけたり。
老人は誰でもだいたいワガママです。
そのうち、おじいさんが持ち込んでくる果物を切ったり、餅を焼いてあげたり、鼻毛も切ってあげたり。反面ワガママが過ぎると叱ったりもしていました。
ほぼ毎日、紅茶1杯で4~5時間、閉店まで居るのは良いとしても、きまぐれに閉店後にやって来た時なども、足が悪く、歩くのがとても遅いおじいちゃんと近くまで一緒に帰ってあげたり。
そういう日々を繰り返すうちに、おじいさんに変化があらわれました。
話しかけると受け答えもするようにもなり、昔に会社経営してた頃の話、戦争の話など自分から話をすることもありました。服装も昔のブレザーや靴を引っ張りだして小ざっぱりしていきました。また、以前と違い、頻繁に見せる嬉しそうな顔、声を上げて楽しそうに笑い、他の客とも普通に挨拶を交わす。
おじいさんにとって、楽しい日々が続きましたが、事情で店が閉店することになってしまいました。
ここは人情です。毎日のように来て、店のケンタッキー・カーネルサンダース像のようになりつつあるおじいさんには、ママさんも中々閉店を言えずにいました。
閉店を知った日、おじいさんは、ずっと無言のまま寂しそうに帰って行ったらしい。
そして次の日からずっとお店に来なくなりました。
おじいさんは指が自由に動かず、電話が出来ないので電話機も持っていません。また何故か住所は言わずだったので「高齢だけに何かあったんでは?」「うろうろしていて、車に撥ねられたのでは?」心配しますよ。
そして、いよいよ最終日、常連さんから花束やプレゼントが届いたり、名残を惜しむ客が入れ替わりしていて、いつも以上に賑わっていました。
そんな最終日の午後、店の前にタクシーが止まりました。
「あっ!」ヒョコヒョコおじいさんが降りてきました。
「どうしてたん!みんな心配してたんやで」とママさんが聞くと、申し訳なさそうに「お別れ会の店をいろいろと下見に行ってた」…。そら、驚きました。そんな事を考えていたんですね。「店のお別れ会」を開催して自分が仕切るつもりだったんです。
次の日、おじいさんが予約していた料亭に行きました。
そう言えば、だいぶ前に私と食べ物の話になった時、おじいさんの耳元で「そら、やっはりうなぎでっせ」と、私がささやき続けた「うなぎのコース」です。
「カチャカチャカチャ…」震える手でビールを注いでくれました。底を拭いて、水滴が落ちないようにラベルを上にして、両手を添えて。いにしえのお手本通りの接待です。
おじいさんを肴に談笑しながら、共に楽しいひと時を過ごしました。
ここも流石です。レジでごちゃつかないように、先に勘定もすませていました。
帰りは雨だったので、おじいさんをタクシーで送りました。
送る順番もいにしえの接待です。自分は最後まで乗って行くといって聞かない。
何とかウソをついて家に着き、玄関まで送りました。すでにヘルパーさんが家に来ていて、そういう事を知られるのも嫌だったんでしょうね。
確かに介護は大事だけれど、老人になったとて、すべて人の世話という訳にはいかない。おじいちゃんは、自分から出歩くことでママさんや他人と出会い、新しい友だちもできました。
高齢者の記憶は、少しずつ消えていきますが、年齢という枠を超えて人は復活するものだと改めて思いました。