Members Column メンバーズコラム
失われつつあるものの中で磨かれるもの
長尾 雅信 (新潟大学) Vol.716
・隠れた魅力の行く末
日本全体がしぼんでいる。その最たることとして俎上に載るのが,人口減少である。私が住まう新潟県では,毎年約2万2千人ずつ減少している。これは県人口の約1%にあたる。
私が足しげく通う里山から,さらに足をのばした山あいの集落。朝には雲海に囲まれ,まさに天空の園。道すがら見える棚田も美しい。しかし,そこに残るは4軒のみ。あと幾とせ,村は年を越せるのだろうか。
日本全国には,このような限界集落が多数存在している。それらの存続は風前の灯火である。それぞれには素朴だが飽きの来ない郷土料理があり,生活文化があり,うるわしき自然環境がある。そこには幾世代の人々がつむいできた自然との共生の知恵がある。里山に足を運ぶと,直観にすぐれた人々に出会う。山にかかる雲の様子や川の澱みをみて,天候の変わり目や異常を察知する。草木をみて,その使い勝手を推しはかり,手斧をもって創意工夫に満ちた活用術をみせてくれる。これらは派手ではないが,日本の「隠れた魅力」として現代人や海外の人々を引きつけうる。
・地域再生にむけて
衰退する地域に活力を取り戻すべく,近年,リジェネラティブ・ツーリズム(再生型観光)が注目されている。それは,旅行先の状況をよりよくする観光であり,失った(失われつつある)観光資源の再生活動に関わる旅のあり方である。リジェネラティブ・ツーリズムでは,自然環境の保全,旅先の地元の人々との交流や文化への参加を重視している。訪問者は地域の自然の手入れ,郷土料理づくり,地元の工芸品の制作,祭りや文化の担い手として関わる。その中で,その土地ならではの風土を感じ,理解しながら,その再生に積極的に関与していくことになる。都会に暮らし,デジタルな働き方に徒労感をおぼえる人々にとり,これらの活動は健康と幸福感を取り戻す機会にもなりうる。自然の中でリラックスできる滞在をするとともに,身体を使ったアクティビティを体験することによる心身の回復は,現代人のストレスの解放につながろう。土地の人々が限れた資源の中でなしてきた自然との折り合い,創意工夫に知的刺激を得ることにもなろう。
関係志向の観光となるので,受け入れる側も,新しい知見を積極的に学ぼうとする姿勢,異なる文化や考え方を受け止めてみる覚悟が求められる。いずれにしても,旅行者,地域の人々ともにお互いを尊重し,学び合う姿勢が欠かせない。
・翻弄される現代人
この夏の平均気温は,観測史上最も高い温度を記録したという。存在しているだけでも疲れるような,感覚という感覚が悲鳴をあげた夏だった。台風にも翻弄された。特に台風10号は九州地方をはじめ西日本に災禍をもたらすとともに,遠隔豪雨という,まさに離れ技によって,経済の大動脈である東海道新幹線,東名高速道路を幾日にもわたって機能低下・不全にした。「もはや通常の中に異常があるのが正常だね」と里山に住む知己は言う。今のところ,科学技術の力では,極端な気象を完全に予測,統制することは難しい。
かたや,政府も企業も高等教育機関もデータサイエンスの推進に力を入れている。世界的な潮流であり,すでに周回遅れとなった日本もこれから目を背けることは出来ないだろう。しかしビッグデータを得たからといって,すぐにイノベーションにつながるわけではない。データはパターンを示すことは出来る。けれども,その結果からイノベーションを起こすきっかけを掴むには,分析と直観や創造性を兼ね備えておくことが求められよう。
・現代人の再生にむけて
現代人は科学技術によって客観的に,すみやかに物事を捉える術を手にしている。その一方で,感性を十分に使った技や,創意工夫による発想力,物事の本質をとらえる直観力は衰微している。
私たちは見通しの利かない「森林の時代」にいる。森林には前後左右上下を含め,さまざまな出来事が待ち構えている。“獰猛な獣”や“触れただけで死に至る昆虫”がいるかもしれない。“目を奪われるほどに綺麗な花”には毒がある。安全だと思って進んでいた道から,いきなり滑落するかもしれない。それらは私たちに“検索をする余地を与えない。
私たちは知性と感性を働かせて情報を読み解き,さまざまな選択肢の中から決断を下していかなければならない。その中にあって,私たちは多面的な力を磨いていくべきだろう。先に挙げたリジェネラティブ・ツーリズムは,コミュニティや心身の回復だけでなく,直観力をはじめ,この乱世を生き抜く知恵や多面的な力を涵養しうる。再生するのは地域だけでなく,私たち自身なのだ。