Members Column メンバーズコラム

KNSが広げてくれた世界
タンショウテルタカ Vol.761
〇はじめに
KNSのイベントに参加するようになってからおそらく16~17年くらい経つだろうか。関西地区の大学を訪問し、それぞれのお取り組みのお話をお聞きするのはとても勉強になる。懇親会では多くの方々とお会いすることでたくさんのエネルギーもいただいている。2010年の出版プロジェクトでは、私も著者の一人として参加させていただいた。仕事の面でも、関西地区の方々との交流を通じていくつかのご縁をいただいた。KNSの運営に関わる方々の熱量は凄まじいものがあり、私ももっと頑張らないといけないなと、自身の活動を振り返る貴重な機会でもある。以上つらつらと書いてみたが、KNSとの関わりを振り返った時に、私にとって何よりも一番大きなことは、KNSは踊ることの楽しさを知るきっかけを与えてくれたことなのである。
〇PiKA PiKA
2009年2月28日に開催された「第24回定例会 in 大阪電気通信大学四條畷キャンパス」でのデジタルコンテンツに関わるデモを覚えている方はいらっしゃるだろうか。参加者それぞれがペンライトを持って“〇”などの図形を描き、動画を撮影するデモである。このペンライトアート“PiKA PiKA”で背景に流れていたのが、“Take me to the time”という曲である。定例会のお土産としてこの“PiKA PiKA”のDVDもいただき、何度か見るうちに、この楽曲を演奏しているバンドにとても興味が沸いた。“Take me to the time”はどちらかというとポップな曲なのだが、このバンドが奏でる曲調は実に幅広い。ジャンルとしてはダンス、エレクトロニック、エレポップとも言うらしい。電子音楽に乗せた女性ボーカルと男性ボーカルのハーモニー・・・そう、私はこのバンドにがっつりはまったのである。
〇初めてのライブ
しばらくはこのバンドのアルバムを繰り返して聴き、メンバーのホームページやブログを見る日が続いたのだが、ついにライブに参加することになった。2010年1月に渋谷で行われたワンマンライブである。ライブ会場では勝手が全く分からず、エントランスを通って控え室のようなところで待っていると、知らない間にライブは始まっていた(そろそろ始まりますよと、声が掛けられるものと思っていた)。
初めてのライブは感動と感激の連続であり、自分の好きなバンドが目の前で歌っている、同じ空間と時間を共有していること自体が至福の時間だった・・・そう、私は音楽ライブという世界にもはまったのである。
〇踊ることの喜び
ダンスミュージックは踊ることによって楽しさも倍増する。最初の頃は、多少なり恥ずかしさもあったのだが、好きなバンド、好きな音楽の前ではそんなものは吹き飛んでいた。いつしか私は最前列で踊るようになり、バンドのメンバーにも認識されるようになっていた。ただ、恥ずかしさという点では、自分からメンバーに話しかけることなどできなかった(ある意味で尊敬の対象であった)。最初に話しかけてくれたのはボーカルのメンバーで、ライブ中にマイクを向けられるというファン冥利に尽きる経験もさせていただいた。東京でのライブが多かったのだが、年に数回、大阪にもツアーで来られており、2010年~2011年あたりの大阪や神戸でのライブにはほとんど参加していただろうか。たいていは、複数のバンドが演奏する“対バン”形式であり、タイムテーブルも事前に公開されないことが多い。このバンドの約30分の演奏時間のために、高速バスで往復10時間近くかけて大阪まで行っていた・・・そう、私はこのバンドに心底はまっていたのである。
〇バンド活動休止
2012年の夏ごろだっただろうか。実質的にこのバンドは活動休止状態になった。ただ、公式な発表はなかったため、いつ次の活動が発表されるのだろうかと日々心待ちにしていた。活動休止になったと知ったのは数年後のことであり、これが結果としてショックを和らげることになったのかもしれない。ただ、その間も、このバンドのメンバーの個人のライブに行ったり、個人的にもやり取りをするようになったバンドのメンバーに、私の仕事関係のつながりを紹介したりする機会があった(ファンとしてある意味“一線を越えた”経験となった)。しかしながら、私自身の心の穴を埋められるものではなかった。
〇踊ることは止められない
一度踊ることの楽しさを知ってしまうと、そこからは抜け出せなくなる。音楽ライブやフェスに参加する中で、好きなDJを何人か挙げられるようになった。私が好きなのは、“テクノ”や“四つ打ち”といわれるジャンルである。ハウスも踊れるが、テック・ハウスの方が近い(ちなみに、“EDM”ではない)。
「良い踊り手の周りには、良い踊り手が集まる」、「最前列で踊るのには責任がある」、「フロアは“あたためる”時間が重要」、「群衆は一人の踊り手から始まる」、「踊りつかれた時はお酒がfuelになる」、「一時の激しいムーブではなく、持続性が大事、目指すはその日のフロア運動量No.1」など、私自身のクラブ論を固めていった。そう、勝手な自己解釈、自己満足ではある。しかしながら、こういった考えが受け入れられるのがクラブなのである(もちろん、社会的、法律的に受け入れられる範囲内である)。私もクラブという多様性が許容される場に受け入れてもらっていたのである。
〇海外へ、日本のプレゼンスを示す
2014年頃から、国内だけでは飽き足らずに、踊る場所を求めて海外にも繰り出すようになった。もともと海外志向もあったので、海外のクラブはどんな様子なのだろうかという好奇心もあった。NYCのOやS、シカゴのS、ロンドンのFやM、シンガポールのH、シドニーのCなど、今でもまた行きたいクラブがいくつかある。その中でもベルリンのBは別格である。このクラブのドアポリシーは、世界で最も厳しいとも言われる。私も初めて行った時には2夜連続で撃沈。2時間近く待った挙句に“No, Sir”と言われると立つ瀬がない。最初は、断られる度に憤慨をしていたのだが、何度か通ううちに、ドアマンとの一瞬のコミュニケーションがエントリーの成否を握っていることに気がついた。このクラブに入るためのTipsなる情報はインターネットにあふれているのだが、その中に、“Localであること”というのがあった。当然のことだが、ドアマンの方々も、観光客よりもベルリンという地域の人々を入れたいのである。私はLocalではないのだが、何度か通ううちに、ドアマンは“私のことを認識してくれている”という不思議な感覚があった。それ以降は断られることもほとんどなくなり、安心して列に並ぶことができた。Tipsに、「入れなかったらその時はあきらめる、Maybe next time」とあった。ある意味でクラバーとしての許容度や安定性も試されていたのかもしれない。
このクラブB内では、写真撮影は厳禁であり、中の様子は“門外不出”である。少しだけ書かせていただくと、音楽の素晴らしさも含めて、極度の非日常の空間と言えるだろうか。土曜日の0時から月曜日のお昼までパーティはぶっ通しで続き、一度エントリーを許されると(腕にスタンプを押される)、再エントリーは自由である。明け方太陽が昇る頃、音楽に合わせてブラインドが開かれる。まさにPanoramaと言っていい情景である。私のクラブ活動“clubbing”は基本はソロ活動なのだが、海外では話しかけられる機会も多かった。最前列で踊る姿が少しは目に留まっていたのかもしれない。“Where are you from?”-> “Japan!”日本のプレゼンスをフロアでも示すことができたと勝手に思っている。
〇そして今
上に書いた海外でのクラブ活動はすべてコロナ前のことである。今では私自身を取り巻く生活環境も変わり、フロアから足も遠のいてしまっている。実質的にセミリタイア状態ではあるが、引退したとは思っていない。いろいろと行く理由を考えて、またあの喧噪の中に戻れる日を楽しみにしているところである。
以上、KNSが広げてくれた世界として、私とダンスとの関わりを書かせていただいた。このお話からの何らかのメッセージ性があるとすれば、「夢中になれるものがあるということは素晴らしい、そして、それは何がきっかけになるか分からない」というところだろうか。KNSは、私に踊ることの楽しさを通じて人生を豊かにしてくれた。改めて御礼申し上げたい。ここまで読んでいただきましてありがとうございました。