Members Column メンバーズコラム

新たなつながりを生む「みどり」と街の変化

橋本武士 (阪急阪神不動産株式会社)  Vol.749

みなさま、こんにちは。阪急阪神不動産の橋本武士です。前回、このコラムを書かせていただいてから、はや2年近く経ちました。前回のコラム(Vol.632)では、私がこれまで関わってきた梅田での不動産開発や取組みなどについて、少し触れさせていただきました。

前回執筆時点から2年の間に、梅田の街は大きく変貌を遂げました。貨物ヤードだったうめきた地区では、長年の計画が現実となり、私の記憶に残る一つの風景が消え、新たな景色が生まれました。かつて梅田と大淀・中津エリアを結んでいた500mほどの地下道のあったエリアには、大きな都市公園が誕生しました。ここでは、都心の真ん中にいることを忘れさせるようなゆったりとした時間が流れています。芝生でくつろぐ家族連れ、散策を楽しむ人々、仕事の合間に息抜きをするワーカー、そしてベビーカーを押す親子連れなど、これまでの梅田ではあまり見かけなかった様々な人々が、思い思いに過ごしており、梅田に「多様性」と「寛容さ」をもたらす新しい空間が生まれたことを実感しています。

この公園の特徴は、「周りから隔絶された開放的で特別感のある空間であること」、と同時に「周囲のまちをつなぐ存在であること」という、一見相反する性質を併せ持っている点にあると思います。広大なみどりの空間は、都心の喧騒から適度に距離を置き、訪れる人に安らぎを提供します。それはまるで、街の中に現れた静寂なオアシスのようです。その一方で、この公園はこれまで分断されていた梅田の中心部と、隣接するエリア(大淀、中津、福島方面)を「つなぐ」役割を果たしています。かつて地下道でしかアクセスが難しかった両エリア間がシームレスに結ばれたことにより、梅田という街が視覚的にも、感覚的にも拡張したと思います。

この「拡張」は、視覚的にも現れています。新たに建設されたグラングリーンの建物群のみならず、新しい公園空間から眺める、既存のビル群の景観もまた素晴らしく格別です。公園の南側から見上げるグランフロント大阪や、今やインバウンドでも欠かせぬ梅田のスポットとなっている梅田スカイビル。これらのランドマークビルを公園から新鮮な角度で眺めることで、それらの建物のデザインや存在感を再認識することができます。ここから周囲を見回すと、単に物理的につながっただけでなく、視覚的にも街の要素同士が有機的に「つながった」という感覚になり、街全体を一体的に捉え直すための、新しい「視点場」を与えてくれたと思います。

都市での体験を考える上で、その場所に実際に身を置くことに加えて、少し距離を置いて、その街のスカイラインやシルエットを眺めることも、また別の意味で重要だと感じています。電車で淀川を渡る際に、梅田の個性的なビル群を目にすると、「あぁ、梅田にやってきたな」という、(少し大げさですが)気持ちのスイッチが切り替わるような感覚になります。それは街の持つエネルギーや存在感を、少し離れて遠景から総体として捉えるからこそ感じられるものかもしれません。

この感覚は、私自身の幼少期の記憶とも深く結びついている気がします。私は大阪府吹田市の生まれで、小学生の頃(=昭和の終わりくらい)、近所の堤防に上がると、川沿いの遠方に梅田の街が見えました。当時は梅田にも高層ビルが今ほど多くはなく、阪急・阪神の両百貨店はありましたが、ヒルトンプラザ大阪やアクティ大阪(現・大阪サウスゲートビルディング)が建設中だったか、ようやく姿を現し始めたか、という時期だったと思います。そのころ、特に梅田方面で際立って見えたのは大阪マルビル(※現在は新たなビルへの建て替えのため、旧建物は無くなってしまいました。ほぼ同い年だったんで少し寂しいですが。)で、直線距離で7kmほど離れていましたが、当時は途中に遮る建物が無かったため、天気が良ければ遠くからでもその存在が視認できて、夕方にはマルビルの電光掲示板(もちろん文字までは読めませんが)の光が動いているのは見えていたと記憶しています(先日、兄と話をする機会がありこの話題をしましたが、記憶違いでは無かったです)。

小さいころ電車では20分ほど先にある梅田は特別な存在で、母親に連れられて、非日常の体験をしに行く場所でした(ちなみに、阪神百貨店と阪急百貨店を「はしご」するのが、我が家の定番ルートでした)。そして中学生の時には、ドラクエ4発売日に、友人と始発電車に乗って、開店前の阪急百貨店に並んだ、ちょっと冒険のようなわくわくする記憶も思い出されます。そうした一つ一つの小さな経験・記憶が、私の心の中に「梅田」という街のイメージを積み重ねていきました。

子供の頃の特別な体験場所としての梅田。そして、社会人になって、自分がその街を「作る側」として、まちづくりに関わる立場になったこと。この二つの「梅田」が、私の中で交錯し、重なり合っているのを感じます。私が担当業務として関わっているのは、もちろん全体から見れば極めて部分的に過ぎません。しかし、これまでのキャリアを通じて、梅田の比較的様々な場所や案件に、不動産開発やまちづくりの立場で関わる機会を得られたことは、私にとって大変貴重な経験です。特に、うめきた地区のように、かつての貨物ヤードが広大な都市公園へと生まれ変わるという、まさに街の歴史的な転換点に、当事者の一人として関わり、この街が生まれ変わる場面に立ち会えたことは感慨深く思います。

うめきた地区(グラングリーン大阪)の先行まちびらき・施設の全体開業を迎え、一つの大きな節目を迎えました。しかし、うめきたの開発もまだもう少し続きますし、まちづくりは、決して完成することなく、常に進化し続けていくものです。現在、私は引き続き梅田の担当をさせていただいております。今後、梅田にどのような関わり方をすることになるか未知数ですが、これからも「歴史の生き証人(?)」として、梅田の更なる変化・発展を見守りたいと思います。

前回のコラムの最後で、私は「梅田という多様な特色を持つエリアが緩やかにつながり、気軽に、容易に行き来できる環境にあることが重要」であり、「うめきた地区が、梅田でありながら、みどり豊かな場所となり、リアルに人が集まり、交流することを想像しながら、日々取り組んでいきたい」と書きました。先行まちびらきを迎えたグラングリーン大阪の姿は、まさにその想像が現実となりつつあることを示しています。この新しい街のスタート地点に立ち、多様な人々の交流が生まれ、街全体が更に活性化していく未来に大きな期待を寄せています。

最後になりましたが、また定例会などで皆様と直接お話しできる機会を楽しみにしております。

 

※公園の「映える」写真はメディアでもたくさん紹介されているので、本コラムの写真は、あえて前回コラムと同じアングルで撮影したものを掲載しました。実はここからですと継続工事中の北公園の目の前で、あまり変わり映えしないのですが、よく見ると違いがあるのでよかったら探してみてください。

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