Members Column メンバーズコラム
ポーランドから帆船「ダル・ムウォジェジ」大阪港来港
篠原真知子 (中小企業診断士) Vol.474
KNSの皆様、中小企業診断士の篠原真知子です。2016年11月30日に「大阪帆船と国際交流の会SAIL ‘O’」でコラムを書きました。その続編で再び、昨年のことになりますが、2018年秋のSAIL ‘O’のボランティア活動について書かせていただきます。最後まで読んでいただければ幸いです。
2018年9月18日、ポーランド、ダル・ムウォジェジ大阪港来港のメールにざわついた。何しろ私は、1997年大阪港帆船祭り、SAIL OSAKA‘97のポーランドチームで歓迎活動をしたのだから。
ポーランドの帆船、ダル・ムウォジェジ大阪停泊予定は、当初は11月13日から11月16日。その後、停泊期間の変更があったり、一般公開の日や、時間も直前まで一転、二転、私のスケジュール調整に間に合わず、焦った。それ以前に応募したハルカスランのボラ活動があるため、団体が歓迎準備する、横断幕作成には参加できなかった。11月11日には区民ハイキングに既に申し込んでいたため、入港日の歓迎式にも参加が難しくなり、苛立ち混乱はマックスになった。そんな時、SAIL OSAKA‘97時代の埃を被っていたアルバムを取り出すこととなった。これがきっかけで、他の仕事を変更して、できる限り、ダル・ムウォジェジと同じ時間を過ごそうと心が決まった。
11月12日(月)11時の集合に向かった。途中、制服姿のクルーに何度か遭遇し、その都度テンションが上がった。天保山岸壁に向かい左に折れると船首が目に飛び込んできた。堂々と岸壁にダル・ムウォジェジが停泊、再会に感動した。ダル・ムウォジェジは‘18年5月20日にポーランドのグディニャ港を出発し、ポーランド独立回復100周年を記念した世界一周航海の途中であった。私は、乗船一般公開の受付を担当した。「船上は外国ですので?」と、おひとりお一人に案内し、お名前、ご住所などを記入していただいた。小雨交じりで気温も低い。それでも平日にもかかわらず訪問客は途切れることはなかった。この後、運よく、夜の船上パーティにも参加できた。急きょ参加女性は着物を着ることになったが、私はSAIL ‘O’備え付けの振袖を着つけてもらえた。着飾った女性6人で、鏡割りしたお酒をゲストに配って、パーティに和のおもてなしをさせていただいた。
11月15日(木)、一般公開の最終日。ダル・ムウォジェジは、ダイヤモンド・プリンセスに天保山岸壁を譲り、中央突堤北岸壁に移動した。曇り空、気温も低い。風も寒いし、駅から遠いこんなところまでわざわざ人が来るとも思えないし、心も足も重かった。それでも、角を曲がり帆船の姿を見るとウソのように、活動モードにギアが入った。途中、ダイヤモンド・プリンセスの乗船客、東京方面のご夫婦を案内して連れてきた。西区の幼稚園からバスで訪問があったり、新聞を見て市外から来た方もあったり、なんと埼玉から新幹線で来た人もいた。午後5時まで、人出は途切れることなく、うれしい想定外であった。昼過ぎ、船長が船から降りてきて、港湾局の職員や私たちSAIL ‘O’と記念の集合写真を撮った。イベントをやり遂げた3者の気持ちが一つになった瞬間だった。
11月16日(金)出港の日。航海の無事を祈願し、大阪税関・神戸税関合同音楽隊が演奏をする。大阪市や港湾局からお見送りの言葉があり、ポーランド側から返礼の大使や船長の挨拶が続いた。船長が「ブルージャケットのSAIL ‘O’メンバー?」と言うのが聞き取れた。イベントの仲間と認めてもらえて光栄だった。デッキに若いクルーが整列し、歌ったり、ウェーブをしたり、暫く岸壁に集まった人たちとの別れを惜しむ時が過ぎた。タラップが上がりいよいよ船出。SAIL ‘O’の団体リーダーから「船が出てすぐに人がいなくなると船の上からはとても淋しい」との実体験を伺っていた。船首が向きを変えた後、メンバーは横断幕や旗を持って、中央突堤の最先端ぎりぎりまで移動した。船は次第に小さく、小さくなって行く。それでも、みんなでbon voyage、bon voyageと沖に向かって叫んだ。
「帆船と国際交流の会」にふさわしい活動ができて幸福でした。
ありがとう、ダル・ムウォジェジ。ありがとう、SAIL ‘O’のみなさん。