Members Column メンバーズコラム

「紙の温もりが未来をつくる」 -印刷物の価値とこれから-
新留 賢一 (東新印刷株式会社 代表取締役) Vol.762
デジタル化が加速度的に進む中、「紙はもう古い」との声を耳にすることが増えました。
スマートフォンやタブレットの画面で、本も新聞も教材も簡単に閲覧できる時代。
しかし、その一方で「やはり紙の方が頭に入る」「記憶に残りやすい」という声も根強く、国内外の研究でもその有効性が再確認されています。
学習における紙の強み
教育現場では、特に小中高生の学習効果を巡って、紙とデジタルの比較研究が進んでいます。結果は興味深いものでした。
紙の教材を使った場合、文章の構造や全体像を把握しやすく、記憶の定着率が高いという報告が多く見られます。
これは、紙の場合「ページ全体を俯瞰できる」ことや、指でなぞる・書き込みをするなど「身体感覚を伴った学習」ができる点が影響していると考えられます。
また、紙の教材は通知やポップアップによる中断がなく、集中力を保ちやすいことも大きなメリットです。
近年、北欧や欧州の一部では、教育のデジタル化を一時的に見直し、紙教材を再び導入する動きが報告されています。これは、タブレット中心の授業で読解力や記憶力が低下する傾向が見られたためです。
つまり、デジタルの利便性を否定する必要はありませんが、学習においては紙を組み合わせた「ハイブリッド型」が、今後の主流になると考えられます。
高齢者にとっての紙の魅力
高齢者にとっても、紙媒体は大きな意味を持ちます。
まず、視認性です。電子機器は文字サイズや輝度を調整できる一方で、長時間の使用による目の疲れや、操作の難しさが課題になります。紙は直感的に扱え、ページをめくる行為そのものが脳への刺激になります。
また、紙媒体には「所有感」があります。棚に並んだ本やアルバムは、思い出や知識のアーカイブであり、手に取ればすぐに過去の記憶を呼び起こすことができます。
デジタルは膨大な情報を保存できますが、「手触り」や「経年変化」といった感覚的価値は紙にしかありません。
印刷業界の現状と傾向
とはいえ、印刷業界は確かに大きな変革期にあります。
商業印刷(チラシ・カタログなど)はインターネット広告に押され縮小傾向。一方で、パッケージ印刷やラベル印刷、オンデマンド印刷など、「モノ」としての価値を持つ分野は堅調、もしくは成長を続けています。
特に近年注目されているのが「付加価値印刷」です。香りのする紙、環境配慮型の再生紙、立体感や質感を表現する特殊印刷など、五感に訴える製品が増えています。単なる情報伝達手段から、ブランド体験を演出するツールへと役割が変化しているのです。
また、SDGsや環境意識の高まりから、森林認証紙やアップサイクル素材の活用も進んでいます。単に「エコだから」ではなく、「企業価値を高める選択」として採用する企業が増えている点も、これまでとの違いです。
今後の展望 ―紙とデジタルの共存へ
これからの印刷業界は「減る市場でどう生き残るか」という発想だけではなく、「新しい紙の使い方をどう提案するか」が問われます。
例えば、学習分野では「書き込み可能な印刷教材+オンライン解説動画」という組み合わせ、高齢者向けには「読みやすいデザイン+保存したくなる冊子」という提案が考えられます。
デジタルが苦手な層への情報提供や、逆にデジタル世代に「紙ならではの価値」を体感させる企画も有効でしょう。
印刷は、ただの情報伝達ではなく、感情や記憶を伴った体験を提供できるメディアです。
ページをめくる音、紙の匂い、インクの光沢――これらはデジタルでは再現できません。
だからこそ、印刷業は「紙離れ」に怯えるのではなく、「紙ならでは」を武器に、デジタルと共存しながら進化していくべき時代に入っているのです。
その未来像は、教育現場の教室や、リビングの本棚、あるいはブランドのショッパーの中に、静かに、しかし確かに広がっていくはずです。