Members Column メンバーズコラム
利益率を上げることは地域循環共生社会への第一歩
北林 功 (COS KYOTO株式会社/ 一般社団法人Design Week Kyoto実行委員会) Vol.682
僕は未来に美しい自然環境とその中で人々が心豊かに生きられる社会を残すことを目指して生きてきました。色んな経験を積む中で「地域で培われてきた知恵や文化にその叡智が詰まっている」ということに気づきました。そして現在は地場産業や地域の現場に根付くそれらの叡智を知り、これからの社会や経営に活かす研修やツアーなどに取り組んでいます。その一環で、モノづくり関係の地場産業の方々の研修やサポートもしているのですが、「利益」に対する考え方の変化がポイントであると考えています。
モノづくりにおいて、皆さんは「高利益率」という言葉を聞いたときに、どのようなイメージを持たれるでしょうか。
利益率を上げるということは、持続する社会につながっていきます。それは次の2つの理由があります。
①同じ利益額を得るのに必要とする様々な資源が少なくて済む
②高い利益率でも求められるということは、それだけ世の中にとって意味が大きい
特に地域の自然風土に根付いている地場産業において、その資源を浪費し、安く多く売ろうとする事業をすることは、肝心要の自然風土の破壊につながり、自らの首を絞めることになります。日本の製造業の営業利益率は3−5%程度です。一方で、例えばHERMESは39%にも達します。つまり、同じ利益額を稼ぐためにHERMESは日本の製造業の1️/10で済むということになります。そのため、自然風土の恵みを背景として価値の高いものづくりで利益率を上げることに取り組むことは、サステナブルな社会構築に向けて、大変重要なことなのです。テクノロジーの力で循環を促進する・自然に還る素材を開発するといったことはもちろん必須ですが、それと合わせて「安くて良いものを大量に作って売る」という価値観からの転換も必須なのです。
ただ、「高利益率」のために、多くの企業が真っ先に考えるのが「コスト削減」「効率化」です。もちろん無駄なコストを無くすこと・効率化を図ることは必須という以前に当たり前のことでしょう。しかし、人件費や福利厚生など人が前向きに働く環境に必要なコストや設備投資などを削減することと、「効率化」は同義ではありません。むしろ積極的にそういったものには投資していくことで、「効率化」することやアイデアやイノベーションが起き続ける環境を整備することの方が重要でしょう。
そして、「高利益率」のためには「販売価格を上げる」つまりは「価値を上げる」ということに思考が向くことが重要となります。このためにはもちろん「世界唯一」や「最高レベルの技術開発」も大事でしょうが、果てしない比べ合い、つまりは競争の中で一番にならないといけなくなります。しかしながら一定以上の品質以上では、むしろ「唯一」「独自」の価値が重要になることの方が大きく、それにはどの企業がなり得ます。そういった自分たちにしかない価値を徹底的に見つめ、世の中の誰に届けば、自分も相手も幸せな関係になれるのか、つまりは自己理解とターゲットを明確にしたコミュニケーションが重要な要素になってきます。ここでいう「自己」の中には、これまで・これから思い、活動している地域、歴史背景、風土などの取り巻いている環境なども含まれます。その自己分析をベースとして、唯一の価値観を考えて訴求していくことが高価値への第一歩となります。
このように考えると、実は日本は高価値を訴求できる魅力の宝庫です。安全で公共交通機関は充実していて、サービスレベルは高い、清潔といったことはもとより、季節の移ろいによって表情を変えていく美しい自然風土、美味しい食材と料理、豊かな生活文化や景観、細部まで行き届いた美意識など、身の回りに当たり前にある要素の一つ一つが、実は世界的に見て稀有だということを自覚することがスタートです。あまりにも当たり前で気づきにくくなっていますが、これらの要素が一つもない国も多いのです。しかもこれが地域ごとに全く異なる魅力を持っているのです。その中だからこそ育まれてきたものづくりが自分たちの背景にあり、それをストーリーとして、相手に届けて感動を生んでいくということが重要になってきます。こう考えると地域の自然や風土を当たり前に大事にし、サステナブルな社会にも繋がりますね。
そして、この「相手」を誰に絞り込むのかということも大事なポイントです。大学での講義でも企業での研修でも多く見られる傾向が「嫌われたくない」という思考です。高利益率を生むことは、対象層に熱狂的に好かれるということです。言い換えると対象層以外には嫌われる、あるいは相手にされないということとイコールです。この思い切ったターゲティングを取る勇気を持つことが求められます。
これらの要素を考えるには、地域の中でできるだけ多種多様な人たちと普段から議論を交わせる交流関係があるかどうかが大きな意味を持ちます。このような「社会・技術・文化などの多数の側面からさまざまな事象やモノについて意味などを論じ合う非公式のネットワーク」(ミラノ工科大学ロベルト・ベルガンティ教授)は「デザイン・ディスコース」と呼ばれます。まさにKNSそのものですね。(付け加えるならば、当方が京都で取り組んでいるDESIGN WEEK KYOTOなどの活動も)
自分の背景への認識を踏まえたものの見方や価値観を披露しながら、多様な人たちと多くの何かについて議論する機会を地域で豊富に持つことが、独自の高価値に繋がっていく第一歩になると確信しています。