Members Column メンバーズコラム
失われゆく昭和文化遺産を求めて
阿部伸彦 (住友生命保険相互会社) Vol.440
KNSメンバーの皆様へ。
今回コラム担当の阿部伸彦です。今回初めてのコラムになります。
まず自己紹介からさせていただきます。
大阪東住吉に生まれ・育ち、大学卒業後住友生命に入社して30年、全国転勤族なのですが、九州3年・東京3年以外は関西勤務、人生53年のうち45年を大阪で過ごした大阪大好き人間です。
1年半前から天王寺で勤務しておりますが、直前9年(H20-29年度)は法人支援部門に所属、弊社のお客さまである(1)大企業職団様の営業管理・活動促進等、(2)中小法人様支援としてセミナー・イベント・ビジネスマッチング等を担当しておりました。
KNSとの出会いは今から5年程前。
当時社外の方・他社との交流を仕事にしておりましたので昼夜問わずセミナー等に参加しておりました。ある日、たまたま参加したセミナーで当日夜に開催予定という阪神電気鉄道株式会社様の第1回「梅田MAG」を紹介いただき、飛び込み参加。その会の懇親会でKNSのことを教えていただき、2014年3月の甲南大学での「第44回定例会」に初参加、以来主に定例会中心ではございますが、現在に至っております(長々と失礼いたしました)。
さて、そんな私ではございますが、今回は仕事ではなく趣味の話を書かせていただきます。
中学生の頃から史跡・神社仏閣・建物等を中心としたまち歩きが大好きでした。祖父の代から地元で建築関係の仕事をしていた影響かもしれません。最近は、TVでは「ブラタモリ」、イベントでは毎年10月下旬に開催されている「生きた建築ミュージアム フェスティバル大阪(通称:イケフェス大阪)」(もちろん可能な限り参加!)、各地で開かれているトークショー、書店での特集コーナー等、まち好き・建物好きとしてはワクワクする出来事が毎日のように出会えます。Facebook等SNSの力も大きいですよね。ここ数年高校時代の友人と年に1、2回まち歩きを楽しむ機会が出来たり、「自分の住んでいるまち、生活しているまち、思い出のあるまち」の良いところを再発見すること、そこから何かを生み出すこと、が注目されていることを素人ながらに感じています。
そんな中で、私がいま関心を持っているのが「キャバレー」です。(この言葉を聞いて、不快に不潔に思われた方本当に申し訳ございません。)
きっかけは、KNSでした。2017年9月定例会の会場であった「味園」、ここの地下にはユニバースというキャバレーがあったことをご存知の方も多いと思います。2011年3月までは営業されていたようですが、惜しまれながら営業終了、いまは貸しホールとなっております。2015「味園ユニバース」という映画も公開されていましたよね。
2018年2月、その味園でミニ井戸端会議「東吉野がつないだご縁 – 西岡潔さんと“いい階段”を語ろう」が開催されます。ビルマニアカフェさんの「いい階段の写真集」の写真を撮影された西岡さんから階段の魅力、戦後のビルの魅力などのお話を聞くことができました。戦後の魅力的な建築が老朽化を迎えて、取り壊しが進んでいる話の中で、日本の高度経済成長時代に全盛期であったユニバースをはじめとするキャバレーがその役割を終えて、どんどん消えていること知り、「失われゆく昭和の文化的遺産を一緒に体験する機会を作ろう(=一緒にキャバレー体験をしよう)」という話で大いに盛り上がりました。
私自身がいまのユニバースの存在を知ったのが5年ぐらい前、ビルマニアカフェさんが主催するイベント「トロピカルビアパラダイス」の会場が味園ユニバースであり、何かしらのご縁を感じた瞬間でもありました。
キャバレー:フランス語ではcabaret(「居酒屋」)。歴史的には、舞台で演じられる寸劇や歌などを楽しんだり、ダンスに興じたりできる酒場で、19世紀パリで興りヨーロッパ中に広まったと言われています。日本では、第二次世界大戦後の進駐軍向けサロンをルーツとする大人の「社交場」であり、店内は、ステージ=生バンドの演奏・ショータイム、ダンスホール、ボックス席、きらびやかな照明等の設備・演出。単なるアルコール、女性との会話を提供するだけでなく、当時の文化の発信地になっていたようです(和田アキ子、ちあきなおみ等キャバレーのステージからメジャーデビュー、デビュー前のピンクレディが契約していたが公演前に大ブレイク等)。一般的には、高級クラブ等とはダンスフロアがあるところが、ナイトクラブ・ダンスホールとは女性の接客があるところが違うと言われています。
先程も記載のとおり、昭和20年代 東京・銀座に進駐軍向けに日本第1号店がオープン、1960年代 高度経済成長期に隆盛を迎え全国各地に豪華な内装の大箱が誕生、全国チェーン店(ハリウッド、グアム、ハワイ、ロンドン島)も生まれ、最盛期には全国に200軒を超えるお店があったそうです。言わば、戦後アメリカナイズされた文化を取り入れた娯楽場として、日本の高度経済成長に支えられながら、大衆・民衆の心をつかんでいきました。かの味園ユニバースは最盛期にはホステスさんが1000人ほど在籍されていたようです。しかも当時キャバレーは地下ではなく、1階から4階までの吹き抜けで、上下に動く空中ステージもあったそうです。正にエンターテインメント空間ですよね。
しかしながら、1973年の第1次オイルショックにより経済成長は終わりを告げ、1975年以降 カラオケの普及による時代の流れに沿った変化ができず、また1980年代にはカジュアルなお店(スナック等)・新しい遊び場(ディスコ等)の台頭でお客を奪われ低迷期に、昭和が終わる頃には店舗数激減。いまや「繁華街の絶滅危惧種」の存在となっています。
そう言う私もキャバレーには「おっさんたちが行く店」「なんとなく厭らしい店」という偏見もあり、また時代的にも入社が1989年とキャバレーの衰退期に重なることから、まだ一度も訪れたこともないのが事実です。(恥ずかしながら、今回本を読んだり、調べたりするまで、キャバレーの形態・サービス等について少なからず勘違いをしておりました。)
思えば子供の頃、「み・そ・の?」のフレーズが印象的なCMが夜遅くなるとTVから流れていました。「グランシャトーへいらっしゃい・・・」「雨が降ってもサン・サン・サン・・・」いまでも口遊めるメロディーを覚えておられる方も多いと思います。
しかしながら、大阪では、2001年1月31日 映画「Shall We ダンス?」のロケ地となった「ワールド」(梅田)が閉店、2011年3月15日 「味園ユニバース」営業終了、2015年2月28日 「ナイトクラブ香蘭」(京橋グランシャトー) 閉店、2016年10月28日 「キャバレーサン」閉店、神戸では34年の歴史のある「クラブ月世界」が2005年にライブ&イベントホールになり、東京でも2017年8月10日「レディタウン」(蒲田)が53年続いた歴史に幕を下ろし、2018年1月10日に創業86年の銀座「白いばら」(銀座で10数店舗あったキャバレーの唯一の生き残りのお店)が惜しまれながらも閉店、老舗・名店と言われるお店が次々に姿を消しております。現在調べることができたのは以上ですが、恐らく知らないところで、記録の残らないところで消えていったお店が多数あるんでしょうね。
いま、団地、ニュータウン、長屋、純喫茶といった昭和的文化遺産・歴史的建造物等の見直し・関心が高まっております。また、東京オリンピックから大阪万博へと「高度経済成長期の夢とパワー」をもう一度という声も聞こえてきます。岡本太郎さんや太陽の塔も注目されていますよね。
キャバレーというイメージから名建築・シンボルには成り得ませんが、写真等を見るとその内装の華やかさ、豪華さは、一見の価値があると思っています。皆さま、いまでしか体験できない(恐らく何年後には絶滅してしまう??=ちなみに大阪で営業が確認できたお店は5軒)昭和の文化とパワーを一緒に体験しませんか?そうです。いまです!
「失われゆく昭和の文化的遺産を一緒に体験する機会を作りましょう(=キャバレー体験をしましょう)!」
もしご興味のある方がおられれば遠慮なくご連絡をください。
最後に・・・
私のくだらないコラムに最後までお付合いいただき誠にありがとうございました。
KNSの皆さまにはこのような機会をいただきましたことを大変感謝しております。
活動に参加させていただくたびに、皆さま方とお話させていただくたびに、新たな気付き・パワーを頂戴しております。私自身は何のお役にも立っていないと思いますが、仲間として交流していただけることに喜びを感じております。
これからも私が唯一できること「必ず・飲んで・騒ぐ」を続けていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。