Members Column メンバーズコラム

福島第一原発のある福島県大熊町への訪問

長坂泰之 ((独)中小企業基盤整備機構 震災復興支援部)  Vol.232

東京電力福島第一原子力発電所を背に

中小機構の長坂です。東日本大震災の翌月に大阪を離れてから3年半、被災地の復興支援が今の主な仕事です。今回は東京電力福島第一原子力発電所のある福島県大熊町を訪問して感じたことをお話させていただきます。
昨年の10月に福島市内で福島県主催の「まちなか商業」復興・再生フォーラムでお話しさせていただいたご縁から、今年5月に訪問しました。訪問の目的は、大熊町でのスタディツアーを計画していた方から、「現地を見たうえでツアーについて何かアドバイスがあれば」ということでした。
当日のスケジュールは、以下のとおりです。

9:30  福島駅出発
10: 45 福島県田村市ワークマンで防護服関係を購入、昼食。
11: 45 福島県田村市出発。
12:45 大熊町坂下ダム到着。「じじい部隊」を同乗して大熊町町内を案内。
    (じじい隊=大熊町役場現地連絡事務所駐在員 鈴木久友氏(元大熊町総務課長)ほか)
16:00 大熊町町内案内終了。坂下ダムで鈴木氏から現状のお話しをお伺いする。
18:00 スクリーニング(大川原地区)
21:00 福島駅到着

当日の放射線量は福島市内の0.09マイクロシーベルトに対して、大熊町内では2.72マイクロシーベルトと約30倍、福島第一原発から約1キロ離れた草むらでは43.81マイクロシーベルトと福島市内の約500倍でした。それでも放射線線量は、2011年と比較して相当減り、除染すると1/3にはなるということでした。なお、原発事故前までは0.3マイクロシーベルトを超えると自衛隊は撤退することになっていたと聞きます。
また、滞在当日の被曝量は4.8マイクロシーベルト(年間だと1752マイクロシーベルト)。この被曝量は、医師や技師、看護師は一年間の被曝量が1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)以下がほとんどということから、それなりの被曝量と言えます。
このような状況から、大熊町の90%以上は帰還困難区域(居住制限地域)となっており、残りわずかな地区を居住ゾーンとして復興を目指していると聞きましたが簡単なことではないのは明白です。また、5月時点で国は、福島第一原発の南側11平方kmを除染した残土等の中間貯蔵予定地にしたいとしており、ここが中間貯蔵地になると市街地の1/3が住めない土地となってしまい、いずれにしても町民が簡単に帰還できない状況であると言えます。
その結果、大熊町の人口約1.1万人のうち、帰還希望は全町民の9%にとどまり、保留が30%、残り60%以上の町民が帰還を希望していないという厳しい数字でした。

 このようななかで、大熊町のスタディツアーが計画されました。ご一緒した方からの説明は以下のとおりでした。

「今年10月から大熊町を中心としたスタディツアーを計画している。除染が進んではいるものの、20歳以下と未婚は禁止、困難区域はバスから降ろさないなど一定の条件を付けての実施を考えている。1泊2日で東京発いわき市内で昼食(いわきに避難している大熊町の飲食店からの仕出し)、午後から大熊町内で福島第一原発等の視察。夕方、いわき市内。翌日は福島県内(会津若松市にある大熊町の仮設住宅や小学校等)を巡り夕方東京着。スクリーニング(除染)体験も予定。実施主体は、大熊町ふるさと応援隊、町民によるNPOである。」

そもそもツアーをこの時期に実施すべきかどうかという根本的な議論はありますが、ツアー実施を前提とした場合、説明を聞いて私は、「ツアーに参加する方はこの内容で満足するかもしれないが、仮設住宅や小学校に訪問する時に、ツアー参加者が観光客気分で訪問することになってはならない。むしろツアー参加者も復興を自分事と捉え、そのうえで自分たちが今後何ができるかということを考える機会としなければ意味がない。そういう場を用意することが大切ではないか」というお話をさせていただきました。企画者やツアー参加者にとって満足であることは重要ですが、それ以上に、被災地、被災者の方にとって意味のあるツアーとなった時にこのツアーが真に価値のあるものになると思ったからです。

最終的に先日発表となったツアーの概要は以下のとおりです。詳細は聞いていませんが、被災地、被災者の方にとって意味のあるツアーにしたいとおっしゃってました。
【趣旨】
現在、福島第一原発近辺の帰還困難区域は、長期にわたって住民の帰還が難しいとされており、許可が無ければ立ち入りをすることが出来ません。しかしこのような状態が続くと、帰還困難区域の現状がどんどん忘れられていってしまいます。そこで、今この瞬間帰還困難区域はどのような状態になっているのか、大熊町の実態はどのようになっているのかを知るためのツアーを企画しました。このスタディツアーへの参加を通して、共に大熊町の未来・日本の将来について、考えていきませんか?
【概要】
<参加対象>
・ 20歳以上の方※ 妊娠している方を除きます
<参加にあたって>
NPO法人大熊町ふるさと応援隊の会員限定のツアーのため、会員登録(賛助会員年会費:3000円)をお願いしております。会員登録の際には、氏名・住所・連絡先をご登録いただきます。また、帰還困難区域立ち入りの審査のために本人確認のできる書類(運転免許証・パスポートなど)の提示もお願いしております。
<開催にあたって>
月に1回程度、一泊二日で行います(詳しい日程などはお問い合わせください)。
出発・解散は東京となります。
<ツアー内容>
・ 大熊町の帰還困難区域バスツアー、大熊町仮設小学校見学、大熊町避難者とのお茶会 等
【問合先】
電話 090-6278-3981 大熊町ふるさと応援隊まで http://npo-okuma.jp/study-tour.html

 なお、今回、大熊町に訪問したことで私自身が感じたことが、NPO法人東日本大震災被災者応援・愛知ボランティアセンターのブログにありました。一部抜粋をしながらコメントさせていただき私のコラムを終えたいと思います。

原発事故で被災した地域には2つの「見えないこと」「分からないこと」が人々を大きな不安に陥れている。1つは、「見えない放射線」の「分からない危険性」による大きな不安。被災地に吹く心地よい風と思う風は放射線を含んでいる。それに気づくと、心地いいとはとても思えない。放射線に色はない。匂いもない。蓄積していても気づくことはない。放射線はまったく見ることができない。線量計で計測できるが、それとてもどれだけ正確かは不明である。だから、放射線は被災地の人々のみならず、私たちも不安に陥れている。もう一つは、「将来が見えないこと・分からないこと」による不安だ。本当に町に帰ることができるのかどうか、誰もわからない。自分たちの暮らしがこれからどうなっていくのか、まったくわからない。将来が見えないことは津波被害の地域も共通だが、原発事故の地域では残留放射線がいっそう将来を見えなくしている。

私は今回たまたまこういう機会をいただきましたが、原発事故で被災した地域に行き、現場を見て、初めてわかることがたくさんあります。スタディツアーもそのひとつだと思います(なお、帰還困難区域の国道6号線は9月15日に全面開通しましたが、住宅地などへの進入規制が続く予定です)。

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