Members Column メンバーズコラム

関西人と東北人の気質の違いはルーツ?

岩 渕 明 (INS会長)  Vol.784

昔大学で就職担当をしたときに、成績の良い子が落とされた。人事課に訪ねた時、集団面接で関西の学生は分からないことを逆に質問して解を答えたが、岩手の子は質問しても即座に答えを出さなかった由。とろいといえばそうなのだが、彼はじっくり考えてから答えるタイプであった。何故東北人は口が重いのか。

KNSとINSの運動展開もベクトルは同じなのに異なる。また、東北人と関西人の性格の違いに気づいたのは3年前のKNSの定期集会(大阪港のフェリー)で、万博の呼び込みを3人の若い演者が笑いを誘いながら話した時である。TVで「吉本」を見る分には何も感じなかったろうが、もし盛岡でこのようなトークショウをやったなら、「ふざけすぎる、もっとまじめにやれ」と声が上がるだろうが、船上では聴衆が拍手喝采であった。同じ日本人なのに何がこのような差異となるだろうかと、年齢に帰すかもしれないがこの違和感を引きずってきた。

2年前に「日本は120人の縄文人からはじまった」という本を書いた。去年の9月そのさわりを学園都市の定期集会で述べた。結論はまじめな東北人に対し関西人は吉本系だとした。なぜか?拙著でホモ・サピエンスの渡来を定量的に検討したもので、400年BCから600年ADの間に大陸(朝鮮半島)から100万人も渡来しなければ今の人口(1.2億人)になりえないという新たな計算結果による発見(驚き)であった。大陸から渡来人が来て弥生時代が始まったと教科書で習っても5W1Hは書かれていない。

結局、当初北九州に上陸した一団が、国という概念を持ちえなかった原住民(縄文人)集団を征服して小国を形成し、やがて領土の拡張のために東進し卑弥呼の時代、古墳時代、ヤマト時代と日本を統一してきたと解釈する。奈良から平安時代にかけ朝廷は「征夷大将軍」なる軍人を組織して縄文人を追いやった。「夷」とは田舎の異民族をさし、当時は蝦夷(縄文人の末裔)をさす。では朝廷側の民族はといえば「倭人」であり、古代朝鮮人と縄文人の交雑による新たな民族である。当然朝廷に近い人ほど朝鮮系のDNAが強くなる。ここからは想像と創造となるが、ではなぜ100万人も来たのかといえば、渡来者の中心は中国の支配から逃れた半島の王族一味であり、新天地での地盤確保と富の源泉としての稲作に従事させるための農夫が多数である。余剰米を生産し、それで半島の鉄製品を購入する。国力の定まらない卑弥呼の時代以前から倭は何度も朝鮮半島を攻めているが、これは半島の実家を支援するためであろう。そうなのだ。縄文人はアメリカインディアンであり、侵略者の騎兵隊や開拓者が渡来人なのだ。・・・

混血の程度を探るためにDNAの分析がされている。男性のアイヌ人の70%がまた沖縄人の50%、現代日本人の30%が縄文人のDNA(Y染色体ハプログループD)を持っているという。現代日本の地域性でも東京は全国から人が流入したことで特徴的なものは見られないが、一方で関西圏の人は朝鮮系との関連性が高いことも示されている。

そろそろつぶやきを終えよう。東北は縄文人の色が濃く、関西は渡来人の色が濃いということは性格的にもその影響が強いということであり、陽気で明るい気性の関西人は朝鮮半島由来であり、まじめなで寡黙な東北人は縄文系といえる。大事な点は「日本人、日本人」と叫ぶがそれは高々2000年の歴史であり、渡来人が現在の朝鮮半島の人とは異なるだろうし、2000年後の未来の日本人は今とは違った形質を持つであろうことを予想している。会ってみたい気もする。

(追)奈良での講演会の後、京都府庁の女性の方に「学園都市の象徴的写真を探してください」と頼んだことを覚えているのだが、見つかりましたか。

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