Members Column メンバーズコラム

人間50年

塩崎祥平 (百米映画社)  Vol.774

ありがたいことに、コラムのご依頼を度々いただきました。コラムはこれで4回目となります。
僕の存在をまだ覚えてくれていたなんて、、、KNS廣田さんありがとうございます。KNSに長く参加できてない自分。お前誰やねんっ!と思う人が多いのも当然です。

https://kns.gr.jp/shiozakisyohei20140305/
https://kns.gr.jp/shiozakisyohei20191106/
https://kns.gr.jp/shiozakishohei20240417/

ただ、今回だけは、、、僕の近況。。。といっても、本気で何もないと、、、前回のコラムからほとんど何も報告することはなく、、、お知らせすることや、こんなことをやってるからぜひご一緒に!とか、自慢することも何もない。

なので、ただただどうでもいいことではありますが、最近思うことを書いてみます。

最近、妻が病を患い、73歳だった父が亡くなった。そんな歳かと思うことが多い。はァ…とため息が溢れる。
これまでは、何かと活動をして、仕事ではあるが、実際は自分のことに時間を費やすことが多かった。家にいない時も多かった。でも、今はもっぱら家で過ごす日々。そして家にいることに重きをおくことに充実感を噛みしめている。

それには子供の存在が大きい。自分のことや他人以外で、理由もなしに無条件で応援したり、サポートしたりできてしまう、すごい存在。彼はもうすぐ10歳。 勉強嫌いで、サッカー馬鹿で、歌、踊りと芸能好きで、遊ぶことしか考えていない、口が達者なクソ生意気の、、、、素晴らしい、スーパーな息子である。

この間、その息子が通っている能楽教室の発表で、織田信長がよく好んだ『敦盛』という仕舞を演じた。

「人間〜50年〜」

というやつです。 

 

今では、このフレーズは「人間は50年しか生きれない」という、その時代の人の人生は50年が平均寿命だったということが強調されがち。信長が死んだのが47歳だったこともあり、「人生50年と謡っていた信長はその目前で命を落とした」ということだけが一人歩きしていているが、実際、この演目のこのフレーズ「人間50年」は何を謡っているかというと、

 

「この世の50年という時間は、あの世では1年にも満たない時間に過ぎない。」ということです。

 

信長本人からしたら、こんなに頑張って50年近く生きていても、あの世ではたった1日のこと。まだ何も成し遂げてないし、人間の一生なんてあまりにも儚すぎる。と謡っていたのでしょう。

そう考えると、今日の僕の一日は、天からすれば鼻をほじっただけのようなもんだ。

 

ただ、戦国時代の平均寿命は50歳だったというのはまんざらでもない。そしてその平均寿命50歳というのは昭和戦前まで続いていたことも事実である。

 

でも、当時の平均寿命が50歳というのは、0〜10歳までの死亡率があまりにも高かったので、平均するとどうしても統計上平均50歳にしかならないということ。戦前までは子供が10歳まで生きるというのは、ほぼ奇跡に近いぐらいの感じだったらしい。そりゃ七五三を祝うのも当然。そう考えると、息子よ、よくぞここまで元気に育ってくれた。感謝しかない。

だから戦前までの平均寿命がそうであっても、ほとんどの人が50歳前後で亡くなっていた訳ではもちろんない。長生きする人はいつの時代にもいて、80歳まで生きる人はたくさんいたらしい。

 

もちろん、医療の発達は幼児の生存を高めただけでなく、高齢者が長く生きるために貢献し平均寿命80以上の今の日本を作ったのは間違いない。ただ、生きる人は生き、私の父のように、平均寿命に至らず死ぬ人は死ぬ。余談でした。

 

でも、考えると、47歳になった僕は、今の平均寿命80年とすると、折り返し地点を十分に越えている。

いずれにせよ、「人間50年〜。」と歌いながら仕舞を演ずる息子を見ながら、色々考えときだなと思う。

 

今まで生きた時間の50年をもう一度というのは現代の平均寿命を考えても厳しい。もし仮に50年生きたとしても、そこに意味はあるのかとも思ってしまう。人生100年時代というフレーズをよく耳にするが、自分にはどうもしっくり来ない。

 

 

自分の知力、体力、能力も自分の中で熟知した。今まで才力がないままで、それでも成し遂げたい、やってみたいと思うことに邁進してきた。

 

よく「まだまだこれからの歳」、「脂が乗って、今からだ!」と言われるが、これまでのように自らが動いて何かを成し遂げようとか、達成しようということは全く思わなくなった。それが間もなく50歳という目前で自分の気持ちがそうなった。

 

何が欲しいかって、何も欲しくはない。高級車が欲しい、自分の趣味のためのあれが欲しい、これが欲しい、、、なんて何にも思わない。仕事もあれもしたいこれもやってみたいも思わない。安定を求めるような面白くない仕事はなおさらしたくない。

 

家があって日々、毎日家族と一緒にご飯を食べて平穏に暮らせることが何よりも幸せだ。しいていうなら最大の夢は早く孫と遊びたい。。。

そんなことを思っている時点で、、、もう僕は、「人間50年」なんだと思う。

 

だからといって生きる意思や気力がないという訳ではない。やる気がない訳でもない。

 

家族のためには生きる。そして家に必要なことはする。

 

家のことをしていると、実は暇な時間は少ない。春には竹が生い茂り、何日も格闘する。暑い時期は雑草が生い茂る。草刈りをするだけで時間はすぐに経つ。これらを放置すると近所から苦情がくる。邪魔だから切れと。秋になれば落ち葉が増える。柿がなり熟して落ちる。放っておくと、また近所の住民から文句がくる。だから柿をむいて干して近所に渡す。するとありがとうに変わる。冬に備えて暖をとるために薪を用意する。薪は乾いた木じゃないといけないから、翌年、翌々年のものを準備する。それだけで何日もかかる。

 

これに季節の野菜を庭に植えていると、毎日野菜達と向き合う。生き物を飼っていると、その子達と向き合う。手入れが必要だ。なんせ時間はどんどんすぎる。暇なんて思ったことない。家のことをやって汗かいて、夜には家族で飯食って、晩酌。これをやっているとどうも心地いい。

 

体力を使うから休まないといけない。その時間も必要。でも、そうやって体が動くのもせいぜい30年ぐらいか。もし本当に命が30年続くのかと想像すると、別に30年続かなくていいとも思う。自然に成り行きに。老後に必要なものも、こうすれば生きれるというある程度の算段はついた。

 

あと2、3年で息子は親にそっぽを向く年齢になる。成人するまであと10年。この10年はあっという間に過ぎるだろう。それが過ぎてしまうともう、あと20年。そこから10年経てばほぼ父親が73で亡くなった歳になる。

 

だからこそ、毎日家族と一緒にご飯を食べたい。

 

もし仮に80歳まで生きれたとしても、もう動くことさえ面倒になる歳。85になる同居の義父を見ていると、80を超えたあたりから一気にその活動範囲は狭まり、そこからストレスを抱えながら過ごしているように見える。脳みそは抜群に働いてるが、それに体がついていかない。一方真逆で体は動くが脳みそがついていかないこともある。そのアンバランスのダブルパンチが全てのストレスの根源であるようだ。今では隙があれば目を瞑る。朝から飯を食いながら寝ることもあり、味噌汁を床にこぼす。でも食事が終わると車を運転してどっかに行こうとする。娘(妻)や僕から止められ怒られる。義父のイライラは積もり、寝に入る。昼に寝るので、夜寝れない不眠症。。。それの繰り返し。

 

それを見ていると、僕はそんなストレスを感じたまま生きたくはない。

父たちの世代。それは、終戦後。つい50年ほど前までは、まだまだ皆、家業や農業を離れ、外に出た時代。これまでこの時代と人、世代に関して、仕事でたくさんの取材をしてきた。

 

毎日母ちゃんが農作業に家の仕事に追われ、亭主関白の父ちゃんに、おばあちゃん(姑)に泣かされていた。母ちゃんの悲しむ顔を見たいくない。それはみんなうちの家業のせいだ!だから絶対に家業は継がない、嫌だ!今からの時代、家業なんて、農業なんてやっても無駄だ!やってても時代遅れで生きていけない!だから俺は家を出て、会社に務める!

そして結婚し、家族のために、家族の時間を犠牲にしてがむしゃらに働いた。定年してから色々好きなことをやってやろう!定年してから、家族との時間をいっぱい作りたい!

が、、、体がついていかない。。。もう子供達はいない。。。そんな感じの声を多く聞いてきた。

 

そして、今は米騒動が起きている。コメを作る担い手も少なくなっている。

 

無駄だ!という点は、今住んでる街もそんな感じだろうか。そこは松尾芭蕉が生まれた街。その街の人口は減っていき、建物は廃墟化する。そんな中、古い町並みを残そうという動きがある。でも、それに対しては、こんなボロボロの建物を残したい!?何がいいんだ?そんなことして何になるんだ?そんな無駄なことをしてどうするんだ!?と年配の先輩たちは口を揃えていう。

 

話を自分に戻します。これまでの人生の半分以上を前へ、前へという意識の中でいたものが、これからはいろんなことが停滞し、衰退していく。その状態を理解し、楽しめるようになりたい。

 

そのために、自分からは求めない時間を楽しむ。自然の流れに呼吸を合わせていく。ただ、それが誰かのためになるなら、そしてそれができることなら、する。「そんな呑気なことを」と言われても仕方がない。

 

そう、一つ懸念なのが、戦後から頑張って作り上げて来てもらったこんな平和な環境と社会をこの国が続けられるのかどうか。ターミネーターの時代が僕が生きてる間に来てしまうのではないか。今のAI具合をみていると、そう遠くはないと思ってしまう。息子の時代が心配だ。。。

でもそこは祈るしかない。何ができるとて、何もできない。

できるのは、自分の呼吸を整えるだけ。

 

松尾芭蕉の気持ちがわかるような気がする。芭蕉とはバナナと同じバショウ科の植物で、バナナとは違い実も小さくまずくて食べることはできない。かといって葉っぱや茎は丈夫ではなく何か生活のために役立てるものに加工できる訳でもない。松尾芭蕉は晩年の名前にバショウを選んだのは、自分は芭蕉のように世の中に何にも役立たない存在と思い、そのあり方をバショウ科の植物と重ねた。芭蕉の詩に出てくる蓑虫(ミノムシ)も、枝に揺られて何もしていないように見える。人間が生きるのに必要としない、されないものをじっと観察し考える暇な時間。出てくるのは五七五の字だけなのである。しかも17字だけ。なんて素晴らしい。

 

人間が無駄だというものに、本当に必要なもの、見るべきものが隠されている。無駄なものや時間は本当に無駄なのか。誰かにとっては無駄なことが、誰かにとっては無駄ではない。それに気づいた時、景色は一変するはず。

 

そんな無駄と思われるものを若い人たちと見ていきたい。僕の人間50年はもうそこまできている。

 

おしまい。

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